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馬車の窓がこつこつと叩かれる音に気がついて、馬の手綱を引いた。騎馬を寄せるのを待たず、勢いよく開かれた窓から聖女が身を乗り出す。
「クリムゾンの馬、かっこいいねえ! あたしもそっちがいいなあ」
「令嬢を乗せるには専用の鞍を用意しないと」
「聖女さま、危のうございますから。どうか席にお戻りください」
無邪気に言う聖女に伝えるも、聞くわけはない。ウズ嬢の呼びかけも気にする風はない。それどころか「えー、馬車からひらっとさらって乗せてくれたりしないのー?」とくちを尖らせている。
警護のために馬車に乗せ、周囲を騎馬で囲っているというのになぜ馬車から出すのか。理解不能だがそれを告げたところで彼女は満足しないだろう。
「そんな危ない真似できないよ。モモカが怪我でもしたらと思うと……」
口ごもる俺を見かねたのだろう、聖女の耳にささやいたのはマリーベール嬢だ。頬を赤くした聖女をさりげなく馬車のなかに引き戻し、マリーベール嬢は片目をつむってみせた。
隣に座る護衛の女性騎士、マリーベール嬢を見つめる聖女の視線は熱い。それもそのはず、騎士服を着た彼女は大層凛々しいからな。片目をつむる気障な仕草も、ラビアタがやれば腹がたつがマリーベール嬢にかかれば茶目っ気たっぷりで目を奪われる。その向かいで呆れたような顔をしているウズ嬢は、そっとしておこう。
案の定、見惚れた聖女がおとなしくなったのをこれ幸いと馬を操って馬車から距離を取れば、寄ってきたのは王子の乗った騎馬だ。
「クリムゾン、ジプソフィリアの令嬢とは親しいのか」
「マリーベール嬢ですね。親しいというか、私が一方的に慕っている状態です。彼女の弓さばきはそれはもう素晴らしいのですよ、王子」
彼女に告げた思いへの返答は、待ってもらっている。ただ、俺が彼女に抱いている気持ちを知ってもらい、聖女への態度は本意ではないとだけ伝えてある。
そのうえで、マリーベール嬢は以前と変わらない態度で接してくれる。いやむしろ聖女との会話をさりげなく引き受けてくれるあたり、勝機があるのでは? と思ってしまう。
「お前は、その、聖女と親しいのではなかったか」
浮かれている場合ではなかった。
ためらいながら聞かれた質問に、意識を王子に戻す。
どう答えるべきか。王命はまだ生きている。ならば聖女を想っているかのように匂わせるべきなのだろう。
だが。
「親しくさせてはもらっています。自分などが厚かましいとわかっておりますが、妹のようだと、思っています」
嘘はつきたくない。本心を告げた途端、王子の端正な顔がほころんだ。
ああ、やはり王子は聖女のことがーーー。
「では、ラビアタは!」
「は? あれは、なんと言いますか悪友というか腐れ縁と申しますか……」
食い気味に続いた質問に首を傾げながらも答えれば、王子がきらりと眼を輝かせる。なんだ?
「ならば! お前の友人の座は私にくれないか!」
いつになく真剣な表情の王子だが、きりりと引き締めた目尻が赤くなっている。憤怒ではないその感情は……羞恥か?
「友人、ですか」
その意外なことばの意図をはかりかねて間抜けにも繰り返す。王子が、俺の友人に?
俺は臣下で、王子は王族。その大前提を打ち砕けるほどのつながりがローズ家と王家の間にない。
ローズ家に限らず、今代の王の子らは王妃の手で育てられたため、乳兄弟であるだとか、年の近い華族と過ごすことはなかった。
そのぶん、家族仲も姉弟仲も良いと聞き及んでいるが、殿下と年の近いのは姫君ばかりで男同士の付き合いに憧れがあるのかもしれない。
しかし、学園に通う年にもなって友になりたい、などと真正面から言われようとは……。
「このような戯れを口にできる時期を逸脱しているのは承知している。だが、それでも」
言い淀んだ王子はちらりと馬車に視線を向けて、唇を噛み締めた。なにかを覚悟したように真っ直ぐな目がこちらを向く。
「今を逃せば友人を得る機会などないだろう。それを思うとなりふり構っていられないと思ってな」
「では、聖女さまを見ておられたのは……」
つぶやけば、王子は恥ずかしそうに苦笑した。
「会って早々、親しげに話す姿がうらやましかったのだ。私にはそのような間柄の者はいない、と突きつけられているようで」
思えば聖女に嫉妬していたのだろう、そう言って笑う王子の顔はいつになくやわらかかった。
これまでのあれやこれやは、すべて杞憂だったのだ。
それに気づいてひどく疲れたような気になるが、杞憂で良かったのだと心を落ち着けた。
些事を頭から追い出し、目の前のことにあたらねば。
「私……いえ、俺はどうにも堅苦しさが抜けないと言われますし、公私の切り替えもうまいほうではなく」
「ああ、それは私もそう変わらない」
「武術一辺倒で世辞にも気がきくとは言われません」
「変に機嫌を取られるよりよほど良い」
「余暇にすることと言ったら剣を振るか兵法書を読むかで、遊びらしい遊びも知りません」
「それは……ふむ。私も遊びを知らないな」
問題点を挙げれば、王子はひとつひとつにうなずいて答える。
しまいには、楽し気に笑う。
「私たちは似ているのではないかと思っていたのだ。聞くほどに、やはり似ているな。似たもの同士、友となれたら、と思うのだが」
こういうとき、どう答えたものなのか。ラビアタと付き合いがはじまったときのことを思いだそうとするが、あいつは気づけば横でへらへら笑っていたからな。参考にならんやつだ。
「……あー。では、俺で良ければ、よろしくお願いします……?」
どうにか当り障りのなさそうな返答をくちにすれば、王子はくくっと笑い声をもらす。
「まだ堅苦しいな。だがまあ、悪くない。なあ、クリムゾン?」
「はあ。しかし、公の場ではご容赦ください、王子」
楽しそうなのは良いことだ。常に気を張っておられる王子の気安い友になれるかと聞かれれば疑問だが、一時の息抜き程度になれれば良いと思う。
俺自身、ラビアタと知り合ってからはずいぶんと気が楽になったのは事実だ。本人に伝えるつもりなどないが、友とはやはり良いものである。
「公の場ではこれまで通りの振る舞いを許そう。だが、そのぶん私的な時間には王子と呼ぶのも禁止する」
「は?」
「この期間にせいぜい聖女を見習っておくのだな。帰還後には私的な茶会に招くから、心しておくように」
「は!?」
「内々に聖女の送別会をしようではないか。ラビアタに、ハイドランジア嬢とジプソフィリア嬢も招こう。友人の想い人のことを知っておきたいからな」
活き活きとした顔で告げた王子は、意気揚々と馬を操り馬車に横づけている。
窓から顔をのぞかせた聖女の横に、ちらちらと見えるのはマリーベール嬢の顔だ。その麗しい横顔がほころぶのに俺の心臓がどきりとはねる。
微笑んだままのマリーベール嬢と視線が合って、心臓がはねるどころでは済まなくなった。
その後はマリーベール嬢はじめウズ嬢、王子と皆で聖女に振り回されながらもどうにか各地の訪問をこなし、無事に全土が豊穣の地となる。
これで国は安泰、と王城に帰還したあとの送別会ではラビアタが「なんかみんな仲良くなってる? 妬けちゃうなあ」などと言っていたのはまあいいだろう。
自分の世界へと帰る聖女の笑顔を見送り、ようやく肩の荷がおりた。
友人としてなら楽しい彼女だが、色恋に絡めるのは難題であった。王命を果たせた気はしないが、王子と聖女の間に男女の関係が発生しなかったのだから問題はないだろう。
「これでようやく、マリーベール嬢と向き合える」
晴れやかな気持ちになったクリムゾンは知らない。
この後、王が私的に下していた聖女誘惑という命を知ったスーベニール王子が憤慨し、クリムゾンの実家に家出してくることを。
すべての事情を聞いたうえでマリーベール嬢が「では、次はわたしを誘惑してもらおうかな?」と距離を詰めてきて翻弄されることを。
何はともあれ、国土の豊穣はなった。
クリムゾンの平穏は遠いが、華の国は今日も平和だ。




