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まったく心休まらない温室での集まりの翌日。王に呼び出され、再び王の私室にやってきた。
「王よ、聖女の各地訪問に王子やマリーベール嬢の同行を許可されたのは、どういった意図があるのです!」
いつもであれば気の乗らない呼び出しだが、今日ばかりはそうも言っていられない。ウズ嬢からの知らせを聞いて即、馬で駆け付けた。
「うむ……スーベニールにも良い機会かと思うて」
「機会など、今後いくらでもありましょう! これではなんのために私が聖女のそばにいるのか」
歯切れの悪い王に、つい語気が荒くなる。いつもであれば不敬罪が、と気にするところであるが、今回ばかりは黙っていられない。このままでは、マリーベール嬢が見ている前で聖女に軽薄な態度を取らなければならない。学園の生徒たちにあれこれ言われるのは我慢できるが、彼女にまで誤解されてしまってはたまらない。
「だって……スーベニールがどうしても、と。許可する、と言うまでくちも聞いてくれんのじゃもの」
「仕方なくありません。子離れなさってください」
両手の人差し指を突き合わせて「仕方なかろう?」とくちを尖らせる王に、ついつい冷ややかな声が出る。ふと悪友の「最近、ウズちゃんに似てきたよね」ということばを思い出したが、今は関係ない。
「わ、わしのせいにするがな! スーベニールは「クリムゾンが行くなら」と譲らんかったのだ。お主のせいでもあるのだぞ!」
「王子が?」
顔をしかめてはっと気が付く。王子は、クリムゾンに聖女を取られまいとしているに違いない。
「ならば、私の同行を取り下げていただいて」
「ならん! それで、もしスーベニールが行くと言って、スーベニールと聖女がふたりきりになってしまえばどうなる? あれほどできた子に聖女が惚れぬわけがない!」
自分の子への評価の高さが面倒くさい。王子は確かに外見が整っているが、それだけで誰もが好意を寄せるとは思えないのだが。
「……改めて問いますが、王は聖女をどうしたいのです」
「どう、と言われるとな」
不敬ついでに問いかければ、王は存外まじめな顔をしてあごをなでる。こういう顔をしていれば、王らしく見えるのだが。
「我らの国の都合で呼び出して居るのじゃ。国土の豊穣を成してもらうほかは心おだやかに過ごし、何事もなく親元へ帰ってもらいたいと、思うておる。」
穏やかな顔でそう言う王に、はっとした。この方もひとの親。年の近い子を持つ親として、聖女の身を案じていないわけではないのだ。
「ゆえに! スーベニールと恋仲にさせるわけにはいかんのだ!」
「……同行はお許しになったうえで、ですか」
見直しかけたが、取り消そう。王がこの調子では、宰相が胃を痛めて休暇を要するのも当然だ。
「一度出した許可をやすやすと取り下げられるものか」
「どうあっても、ですか」
「くどい! そんな優柔不断な態度、見せられるわけがなかろう!」
そう言う姿はきりりとして、いかにも人の上に立つ者らしいが。くちにしなかった誰に見せられないのか、という部分に王子を当てはめればただの親ばかだ。
ついついじっとりした目で見ていれば、王の威厳はどこかに行って残ったのはいじけた中年だけ。
「……スーベニールは末の子じゃ。うえの娘たちは皆、もうわしの相手などしてくれん。傷心じゃろうと思うた末娘にさえ邪険にされ、妃にも構いすぎじゃと言われてしまうわしの気持ちなど、お主にはわかるまい」
「はあ……」
いよいよ取り繕うことさえやめた王に、なんと返していいものか。
「末の姫君の件につきましては、我が兄が本当に申し訳のないことを」
「よい。ローズ家の者は好いた相手に一途なのだと、末娘に諭されたからな。婚約の取りやめを請われた当人が受け入れておるなら、しようのないことよ」
ひとまず応えられるほうについて謝罪をと思えば、王がひらりと手を振ってさえぎった。
「寛大なお心に感謝いたします」
頭を下げながら思い浮かべるのは、王家の末娘と婚約を結んでいた兄の顔だ。
クリムゾン以上の堅物で、父のあとを継いで騎士団長になるべく鍛錬に精を出していた兄。そんな兄を重用して、王は歳の頃の近い末の姫との婚約を結ばせた。鍛錬一筋で好いた相手のいない兄もそれを受け入れていたが。
「よもや、婚礼間近になって意中の相手を見つけるとは思わなんだがな。それも弟の婚約者を」
苦々しげな王に返すことばはない。兄がクリムゾンの婚約者に恋をしたのは一年前のこと。親同士の決めた婚約者とはそれなりに友好的であったが、それなりでしかなかった。
兄とふたり、そろって「申し訳ない」と頭を下げられれば婚約の取りやめに同意するしかない。というか、惚れた相手のいた自分にはむしろありがたい申し出だった。
「そのうえ相手の家に婿に入るなどと。ハイビスカスの領地は南の島であろうに!」
末の姫さまが受け入れてくれたことでおさまりつつあった王の機嫌は、兄の発言を思い出したことで再び急降下する。
だが、俺から擁護すればきっとさらに気を悪くしてしまわれるだろう。どうすれば……。
床についた膝に視線を落として考え込んだとき。
コンコンコン、と軽い音が響き許可を得る前に扉が開く。
「それは、ローズ家と父上と姉上の間で終わった話でしょう。蒸し返してクリムゾンをいたずらに煩わせるのはいかがなものかと」
「す、スーベニール!」
王の叫びに振り返れば、開いた扉の向こうで王子が眉間にしわを寄せていた。
「廊下まで聞こえておりましたよ。クリムゾンは今、肩身の狭い思いをしているというのにそれをさらに助長するおつもりですか」
「いや、それはその、ちがうのだ!」
慌てて椅子から立ち上がり弁明しようとする王に、王子は冷ややかな視線を崩さない。
本人たちはただの親子のやりとりのつもりなのだろうが、見ているこちらは胃が痛い。
「何がちがうのです。文句がおありなら、ローズ家の当主なりその夫人なりに伝えれば良いものを。父上はいつも拒否できない相手にばかり強気ではないですか。そんな王に誰がついて行くというのです」
胃が痛いを通り越して、吐きそうだ。
これは反抗期で済ませて良いのか。王家の不仲など、国民どころか臣下にも知れ渡ってはならないだろうに。やめてほしい。やるなら、せめて俺のいないところでお願いしたい。
「クリムゾン、行くぞ」
「は」
いろいろと思考を放棄し、王子に言われるまま王の私室を辞する。この気まずい空間から出られるなら、何にだって付いて行こう。
「す、スーベニール……!」
王の哀れっぽい声を無視して王子が扉を閉めたのに、ほっとしてしまうのは仕方ないはずだ。




