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「クリムゾン、そなたに聖女を誘惑してもらいたい」


 王に呼び出されて行ってみれば、かけられたのはそんなことば。

 「は?」と聞き返したくなるのをぐっとこらえて、慎重に答えを探した。


「聖女、とおっしゃいますと」

「昨日、召喚の儀にそなたも同席したであろう。あの礼儀を知らぬ小娘よ」


 私室の椅子にふん反り返る王を前にして、言いたいことがたくさんあった。

 仮にも召喚に応じてくれた聖女を小娘呼ばわりはいかがなものか、であったり、王の私室で人払いがされているとはいえもう少しことばに気をつけたほうがいいのでは、であったり。

 けれど、実際にくちにしたのは別のことば。

 素直に思ったことをこぼしていて、平穏無事に過ごせる場所ではないのだ、特に王家に目をつけられている家系に属する自分は。


「聖女さまは、異国よりいらしてこちらの常識にうといのでありましょう。礼儀の教師をつけると聞いておりますので、じきに―――」

「そんなことはどうでも良い」


 当り障りのない返事を王は遮った。

 心底面倒くさそうに、爪先をいじりながら続ける。いじるまでもなく、磨き抜かれた爪であろうに。


「問題はあの小娘よ。あれがスーベニールを気に入っては困る。スーベニールには第一王子として国内の有力貴族と結婚してもらわねばならんというのに、万一、聖女と間違いがあっては……」


 王の心配ごとは、第一王子について。王のくちから名の上がったスーベニール・ピオニーはなるほど、女人であれば誰しも目を奪われる麗しい見目をしている。

 オレンジがかった金髪に負けずはっきりとした顔立ちは、今だ十六歳の成長途中でありながら優美さと気位の高さをうかがわせてひとの目を惹く。加えてその性格は、王家ピオニーの名に相応しく凛として気高い。真面目、と言えば聞こえはいいが融通が利かず諫言を受け付けない態度は、一部の女人にはたまらないものがある、とは友人の談だ。クリムゾンには理解しがたいが。


「であれば、スーベニールさまにそのようにお伝えを」

「ならん」


 本人に言えばいい、という提案は、すぐさま却下された。なぜ、と問うまでもなく王は続ける。


「あれは今、絶賛反抗期でな。言えば、むしろ『国の誉れである聖女こそ我が妻に相応しい』などと言いだしかねん。あれも頑固だからな……」

「……お気持ち、お察しします」


 王の手前「確かに」とうなずくわけにもいかずことばを濁したが、学園のひと学年下に在籍するスーベニールの頑固さは聞いていた。

 曰く「学問を志す者として垣根があってはならない」と学園内でのスーベニールの王族扱いを禁止しただとか「王族だからこそ市井の暮らしを知らねば」と率先して街に繰り出すだとか。王族の警護も担当する父親がしばしば愚痴をもらしていた。

 そのときは、王家に取り立てられるのも大変なのだな、と他人事であったが。


「そんなわけでな。聖女がスーベニールに好意を持つ前にクリムゾン、そなたが聖女を篭絡せい。なに、聖女は各地の豊穣が確認されれば元の世界に帰還する身。それまでのほんのひと月ほどで構わん」


 まさか、自分にも王家のもたらす面倒が降りかかってくるとは。

 

「お、お待ちください!」


 必死の思いで声をあげた。不敬と言われようとも、今を逃せば断るタイミングはもうない。


「なぜ俺、いえ、私なのですか。ほかに見目の麗しい者はいくらでもおりましょう。折よく、十華のどの家にも聖女さまと年のころの近いものが居りますし。華やかさで言えばカトレヤ家やクレマチス家の者でも良いのでは」

「カトレヤは一匹の蝶だけで満足するような家ではない。クレマチスは確かに美しいが、絡めとるのも早ければ飽いてしまうのも早いからのう」


 見目だけで言えば王子スーベニールに負けるとも劣らない貴族の家名をあげるも、王にすげなく返される。王の言う通り、どちらの家の性質も聖女を相手にするには不利だ。美貌を誇るカトレヤ家は堅物とは正反対だが、同時に複数人の異性とのうわさがのぼるのはいつものこと。この国では常識のようなその考えも、招かれたばかりの聖女には通じないだろう。クレマチス家はひとを篭絡することにかけては右に出る者がいないが、気分屋で知られている。

 噂に疎いクリムゾンにも届くほど有名な話で、王もその程度は考えたらしい。


「では、カサブランカ家あるいはエピフィルム家は」

「カサブランカは気位が高すぎる。頼まれて女を落とすような真似はせんだろう。エピフィルムは、なあ……」


 ゆるゆると首を横に振る王に、クリムゾンも思わずあらぬところを見つめてしまう。

 焦りのあまり思わず名を出してしまったが、エピフィルムはない。夜の女王とも呼ばれるかの家系は、そろって閨事に精通しているらしい。

 まだ成人を迎えていない十五の聖女にけしかけていい相手ではないだろう。一年後の帰還の折に、腹に命が宿っているなどと洒落にならない事態を招くわけにはいかない。


 頭を抱えたいのを必死でこらえていると、王がごほん、とわざとらしく咳をする。


「その点、そなたなら聖女に手を出すこともなかろう? クリムゾン・ローズ」

「手は、そうですね。出しませんが……」


 ローズ家は代々堅物で知られている。そしてその堅物さを買われて、代々騎士団長を任されている。現在は、クリムゾンの父がその任に就いている。

 だからと言って、王家より下される命を何でも聞くわけでもないのは王も知っているはずなのだが。


「そなたの家にはほかにも家を継げる者が居るし、そなた自身、婚約者どのに愛想をつかされたところであるしのう?」


 何か言うよりも先に、王がからかうように言った。

 事実だ。

 事実だが、格別クリムゾンの心を揺さぶる事実ではない。理由あってのことだ。

 ため息をこらえ、王の申し出を断ろうとするのを遮って、王はささやく。


「それに、そなたがこの話を受けてくれるなら、そなたの兄の愚行も忘れてやろうと思っておるのよ」

「っそれ、は……」


 息を飲んだのを悟られてしまったのだろう。王はにんまりと笑って、ひらひらと手を振った。


「くれぐれもこのこと、スーベニールと聖女に悟らせるな。行ってよい」

「……御意」


 唇を噛み締めて、王の私室を後にするほかなかった。

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