火に炙られている芋虫
※劇中歌……Yogi & Skrillex - Burial (feat. Pusha T, Moody Good, Troll Phace)
画面に浮かぶ『馬頭間 頼斗/ファンタジー』とルビの振られた名前を見つめる。口から思わず「ハッ!」と侮蔑の息が漏れた。いかにもラノベ作家にいそうな、ダサイ執筆名だな、と総一は呆れてしまう。
メズマライト、英語のmesmerizeを捩ったにすぎない。確か、『魅了する』という意味だ。まるで「あなたを魅了する作品を書きます」とでも宣言しているようで気に入らない。
さっき流れた残虐な動画を思い出す。グロ動画など見慣れているし、ある程度の耐性はあると思っていた。それでもやはり、女性の右手のミンチ映像は衝撃的だった。が、部屋に響き渡った彼女の悲鳴は、それを遥かに凌駕して耳にこびりついている。
壁に表示された、刻々と減っていくデジタルの数字を眺める。状況に気持ちが追いついていかない。おかめ面のスピーチを聴いて、初めに浮かんだ言葉は『騙された』だ。メールにあった書籍化の話など一言も出てこなかった。
小説を書かせるショー? 何だそれは。誰がどう得をするのだ。視聴者だの配信だのと言っていたが、ネットで流れてでもいるのだろうか。ポケットからスマホを取り出し、『瀧田川出版 ライブ配信』で検索する。
『ご使用の端末からのアクセスは制限されております』と検索結果に出た。ネットが使えないのかと、今度は『瀧田川出版 ショー 隠しルール』と打ってみる。
【隠しルール】
・宣伝は自由
・いずれのサイト、また複数のサイトへの重複投稿可能
・制限時間内に更新する文字数は最低一万字とする
・三十日以内に三十万字以上の作品を完成させること
これはどういうことだ。閲覧ができる。しかし、これでは隠しルールではなくなってしまう。配信ではなく隠しルールが見れるのは腑に落ちない。配信を制限するよりもこちらを秘匿するのが普通ではないか。
最初の『宣伝は自由』というのは、四つあるルールのうちの『他言無用』に抵触していないだろうか。いや、と総一は思い直す。そうではない。それぞれ言葉が欠落しているのだ。きっと作品の宣伝は自由だが、状況は他言無用に違いない。
総一は上から順に目を通していき、最後の三十日以内という表記を見て、総身の毛がよだつような気がして身体を震わせた。三十日もこんな窓もない場所に閉じ込められたら、おそらく正気を保ってなどいられないだろう。以内ということは、早く作品を仕上げれば、それだけ早く解放されるとも考えられる。
ともかく、疑問が多すぎる。おかめ面は小説を書けと言う。さもなくば酷い目に遭わせるぞ、と。小説を書かせて何がしたい。奴の目的は何だ。なぜこんなことをする。どうして俺が選ばれた。
ランキング上位に自作が入ることはよくある。だがそれも日間の最高で五位止まり。それ以上は古株の常連が占めている。ここにいるのが彼らでなく自分なのが解せない。
持ってきたラップトップをバッグから取り出そうと、ジッパーに手を掛けたところで盛大なビープ音が部屋に鳴り響き、総一は身を強張らせて顔を上げた。頭を振って天井の四隅や背後を確認するも、部屋に異常は見当たらない。
「おやおや、何ということでしょう!」と質の悪い機械音声が聴こえ、心臓を握られたような思いでモニターを見やる。先ほどのおかめ面が映っているのかと思ったが、画面には総一にあてがわれた執筆名が残っているだけだ。
「誠に残念なことではありますが、ここでルールの違反者が出てしまいました。ショーが始まってまだ十分と経ってはいないというのに。実に嘆かわしい!」
鼓動が速くなってきたのがわかる。まさか、隠しルールを検索したのがまずかったのか。違う。そんなことは書かれていなかった。おかめのスピーチ終わりから、これまでに行った一連の動作を反芻する。
モニターの執筆名を見て苦笑、ネットへの接続と使用、瀧田川出版の配信および隠しルール検索、そしてバッグを開けようとしてビープ音が鳴った。やはり、これといった間違いは犯していないように思う。
「それでは準備が整ったようですので、今回の不届き千万な違反者を皆様にご紹介いたします! お近くのモニターにご注目くださいませ!」
己の顔が映し出されるのではないかと怯えつつ、モニターを食い入るように見つめていた総一は、画面が中央から左右ふたつに分割され、それぞれに浮かんできた名前に目を細めた。
『和泉 三等兵/純文学』
『櫻庭 道真/時代・歴史』
名前が縮小して上部に移動する。椅子の上で拘束されている人影が暗闇に浮かび、少しずつ画面が明るくなるにつれ、震えるように踠く二人の姿が鮮明になってきた。どちらの背景も総一がいる部屋と同じで白い。
右側の男性が童顔で少年のように見えるのとは対照的に、左側の男性は長髪ながらも前髪の生え際が後退し、その落ち武者のような風貌のせいもあってか、遠目にも三十代や四十代ではないらしいことがわかる。
あの女性のときのように、二人のウェブ小説家としての経歴や本名が流れるのだろう。と総一が思っていると、画面左側の櫻庭という老けた男性が突然バネのように弾け、両脚を開いた状態で逆さ吊りとなった。
右側の和泉という男性も、強制的に椅子から立ち上がらされたようで、両手を吊られてでもいるのか、天井へ向けて両腕を大きく広げている。座った姿勢ではわからなかったが、櫻庭が長身のせいもあり、小柄な和泉はその顔とも相まって、まるで中学生か高校生のようだ。もしや、本当に未成年なのでは、と総一は訝る。
「先ほど申し上げましたように、彼らには違反内容と程度に応じた罰を受けていただくこととなります。そして今回、彼らが破ってしまったルールは」おかめ面は十分に間をためてから、「極刑に値します!」と声を張り上げた。
おかめ面の機械音声が遠のき、代わりに混線したかのような、二人の男性の喚き声が部屋に響いてきた。潰れてうまく聴き取れないが、ほとんどが「やめろ!」だの「ブッ殺す!」だのの、怒りに満ちた抵抗の言葉や罵声なのはわかる。
どちらの男性からか「説明しろッ!」と、ひときわ大きな抗議の声が上がった。違反内容は知らされないらしい。彼らが何をどの程度で違反したのかがわかれば、少しは行動の指針になるかとも思ったが、どうも期待はできそうにないようだ。
何も起きないではないかと画面を見ていた総一は、画面の左右それぞれに巨大な錆びた鋸が出現したと同時に、男性二人の怒鳴り声の背後で、緊張感を煽るような不穏な音楽が流れはじめたのに気がついた。クラブなどで流れていそうだが、ジャンルまではわからない。とにかく低いベース音のようなものと、ときおり手を叩くクラップ音が聴こえる。
画面内左では天井から吊り下がった鋸が、両脚を広げた男性の股間へと、滑らかな動きでゆっくりと降りていくところが映っている。同様に画面の右では、腕を吊られた男性の左右から現れた鋸が、腹と腰の繋ぎめ辺りを目がけて両側から接近しつつあった。
わけのわからない叫び声を上げながら、身体を捩ってどうにか危機を回避しようとする二人の様子は、まるで火に炙られている芋虫が、逃れらない運命に抗おうと必死に身を躍らせているようでもある。なぜか同情や憐れみという感情が湧いてこない。
総一が見ているうちに、画面の左右で鋸がゆるゆると前後に動きだした。徐々にスピードが上がるのかと思ったが変わらない。大きな振り幅で、ひと引きごとに正確な軌跡を描き、押し切れる限界であろう速さを保って機械的に動いている。鋸刃さえなければ、巨大な振り子のように見えなくもない。
おかめ面は極刑と言っていた。二人に何をしようというのだ。右手のミンチだって十分に極刑じゃないか。さすがに命を奪うようなことまではしないだろう。なんせ、ネットでライブ配信しているのだ。スナッフフィルムを世界中に流して日本の警察が黙っているわけがない。むしろ、さっきの女性の動画を観て、すでに通報してくれた人間がいるのではないか。
映画さながら、突撃してきたSATが画面に現れ、今にも窮地の二人を救いだしてくれるのではないか。そんな妄想を展開させていた総一の前で、左の男性はデニムの股間の部分が、右の男性はセーターの両脇腹の部分が、それぞれ濃厚な色へと変わっていった。
総一は思わず己の股間を押さえ、鳥を思わせる甲高い声で叫びながら、痙攣のように全身を激しく震わせている画面左の男性から目を逸らした。クラブのトイレで聴いているかのような、こもり気味のベース音が響くなか、鋸の長いストロークに合わせ、「はぁぁぁぁ!」とカウンターテナーのような高音が部屋を貫く。
なぜここまで酷いやり方をする必要があるのだ。何をしたかは知らないが、ショーとやらのルールを破ったぐらいで受ける罰にしては、どう考えても度がすぎている。
「あ”あ”ぁ! あ”あ”ぁ! あ”づいぃぃ! あ”づいよぉぉ!」
どちらの声かはわからない。音声だけでトラウマになりそうだ、と総一は両手で耳を塞ぐ。こんなことをしたら死んでしまう。普段から使用している執筆名も本名も明かされないということは、もし死んでしまった場合、知り合いがこの配信を見ていない限り、誰にも探してもらえないのではないか。
どうして俺はこんなことに巻き込まれてしまったのだ。