Shame on you
丈匡との望まない関係は、夏休みに入るなり急激にエスカレートした。私だって馬鹿ではない。当然、そうなるであろうことは予想しており、事前に図書館への逃亡を計画してもいた。
ところが、義親は夏休み中の私の外出を制限した。宿題をすべて終わらせるまで家から出てはならない、と。従って、図書館で勉強させてくれという私の申し出は、にべもなく彼らに却下された。
義親が家を出る午前八時になり、玄関のドアが施錠される音がした後から、私の地獄が始まる。
「おはよう、千咲姉ちゃん」
気味の悪いニヤついた笑みを浮かべながら、ベッドに身を横たえたままの私に丈匡が近づいてくる。ノックをするようにと何度も注意を重ねたが、まだ一度たりともしてくれたことがない。
横を向いた私の顔面の前に立ち、丈匡が腰を突き出す。カーキ色をした半ズボンの股間のあたりが異様な膨らみを帯びている。
「早く起きてよ」
「やめて」
「なんで? 昨日もやってくれたんだし、いいでしょ?」
警戒を怠り、油断をし、付け入る隙を与えてしまった自分に非がある。一度だけなら、という甘い考えに流されてしまった。たとえ子供とはいえ、己が異性に対して無知であったせいも否めない。
社会的に見れば十歳の男児はただの子供でしかない。だが、生物学的に見ると、メスを妊娠させるだけの十分な生殖機能を備えたオスだ。その辺の認識を、当時まだ中学生に上がりたてだった私は誤っていた。
「駄目よ」
言いながらのろのろと身を起こす。
「なんで? 千咲姉ちゃん、僕のこと嫌いなの?」
「そんなことない。けど、あのね、丈匡くん」
「うん?」
「丈匡くんも言ってたでしょ? 私たちは家族なんだって」
「うん」
「お姉ちゃん、家族同士であんなことをするのは、おかしいと思うな」
すると丈匡は「ふーん、あっそ」と言って部屋を出ていった。案外すぐに聞き分けてくれたではないか。これなら初めからきちんと話すべきだった。そのように自省した私は、しかしすぐさま己の考えを改めることとなる。
再び眠りにつこうと横になった私のもとに丈匡が戻ってきた。
「千咲姉ちゃん」
「今度はなに?」
目を開けると何かが動いているのが見えた。それがタブレットに映った義親のあられもない姿だと気づくのに、性知識の乏しかった私は時間を要した。ただ、そういった映像を観たのも初めてのことで、それが性行為であるとは知りもしなかった。
「お父さんとお母さんがやってるこれ。これやってみたい」
「え? だって、これ」
「家族でやることならいいんでしょ? 昨日、千咲姉ちゃんがやってくれたのも、あとのほうでやってるよ」
そう言って丈匡は半袖のシャツを脱ぐと、早くも半ズボンのボタンに手をかけた。丈匡の手を抑えようと慌てて上半身を起こした私は、勢い余って
もう話が頭に入ってこない。
床にアヒル座りで文章の見直しをしていた菜々は、スマホを持った両手をスカートを履いた太腿の上へと力なく下ろし、部屋に響く二人の男性の叫び声を聴きながら、正面の壁に表示された『400』という赤い数字を虚ろな気分で見上げた。午前三時頃、突如として下った判定で獲得した不可解なポイントだ。
不可解なのは、ポイント獲得に至った判定の理由である。なぜなら『規定文字数未到達』であることと、『作品未公開』でポイントが入ったのだ。むしろ後者はポイントが入らないのではないか、と事前に懸念していたことだ。それなのに、逆にポイントが入った。
数字の右隣には今や二つのモニターが天井から下がっている。左の画面内では一時間ほど前から男が手術を受ける様子が流されており、新しく現れた右側のモニターは画面が二分割され、それぞれ右では男性が、左には女性が施術を受けている様子が映し出されている。
自作の話が追えないだけじゃない。判定結果の発表後、モニターに現れた順位表を見たときには肝が冷えた。
1位 紅 朱音 1660
2位 霧海 塔 1120
3位 馬頭間 頼斗 700
4位 屍蝋 兇夜 400
皇 奇迷乱 400
トテチテ 400
他に二人と同率四位ではあったものの、ちょっとでも間違えば死ぬかもしれないという状況で、自分を示す名前が最下部にあったら誰だって驚くだろう。
だが、コインの流れるような音がして、機械音声のアナウンスが入り、右側の新しいモニターに拘束された男女の姿が映ると、どういうわけか不思議と笑いが込み上げてきた。同時に、ああ自分は助かったのだとも思った。
椅子ではなく、床に座るという選択が私を救ったのだ。彼と彼女、同率四位の屍蝋と皇は選択を誤った。ほんの些細なことだが、文字通りそれが命運をわけた。椅子のない部屋に入った時点で私は勝ち組だったのだ。
その後、機械の音声が「さぁ、ご本人から返済部位の発表ですッ!」というのが部屋に響き、言葉の違和感に菜々が考えを巡らせていると、「左右の第七肋骨」と女性の声が聴こえ、そこへ被せるように「足……左の、足」と男性の声が続いて耳を疑った。
なぜわざわざ己の身体を犠牲にするのか。その疑問は、三人が三人とも同様の選択をしたことで気がついた。おそらく、そういう縛りがあるのだ。まだ参加者全員には知らされていない、隠しルール以外のものが。
屍蝋と皇の施術開始から二十分ほど経つが、女性のほうはまだ悲鳴どころか呻き声ひとつ発していない。専らぎゃあぎゃあ騒いでいるのは左側のモニターに映る男性である。こういうときは男のほうが往生際が悪いものだ、と菜々は女であることを誇らしく感じた。
刹那、男性二人の喚き声を搔き消すように、暴力的なブザー音が部屋に鳴り響き、菜々は「きゃッ!」と短く悲鳴を上げると顔を伏せ、両手で頭を守るようにして身体を丸めた。
つい身体が動いてしまったが、考えてみれば自分は何もしていないではないか。怯える必要はない。また他の誰かがドジを踏んだのだろう。
「おやおや。貴女は本当にいけない女性ですねぇ、片桐菜々さん」
自己紹介もしていない初対面の人間にいきなり本名を呼ばれたような、驚きと恐怖と疑いとが入り混じったかつてない感覚に、菜々は息をするのも忘れて次の言葉が聴こえてくるのを待った。私がいけない人とはどういう意味だ。
「はぁ……わたくし、正直ガッカリしました」
強張った首をまわし、部屋に変化がないかを探る。天井を警戒しておけば大丈夫。機械の腕が出てきても捕まらなければいい。
「少々期待しすぎていたのかもしれません」
おそるおそる立ち上がった菜々は、背後と左右にも警戒しつつ、摺り足でじりじりと後退しながら、正面に見えるモニターのある壁からゆっくりと離れはじめた。
「Shame on you!」
恥じるようなことなど何もない。作品だって冒頭の数千字だけだが、順位の発表後すぐに小説サイトで公開した。
「貴女、盗作されましたよね?」
していない。誤解だ。
「『坂下さわ』というウェブ作家の『三日月の雫をあびて』という作品を丸ごと!」
違う。そうではない。それは私の執筆名と、私の書いた作品だ。そっちだって知っている情報ではないのか。
「盗作は不正行為です」
「ちが、違います! 私、やってない! 坂下、は、私、私です!」
背中が壁に当たった。背後にドアがあるはずだ。が、いくら手で探ってもノブらしきものに触れない。
「そして、不正行為は極刑に値しますッ!」
ひときわ大きな声に思わず天井を見上げる。白一面の空間に黒い部分が現れたと思うが早いか、降り注いだ透明な液体を顔から全身に浴びた菜々は、肌の露出した部分が白い煙を上げて急速に糜爛していくなか、悲鳴を上げる暇もなくショック症状を起こし、数分のあいだ床をのたうちまわったのちに絶命した。