平等という存在は幽霊のよう
脅しは十分に効いたはずだ、と雅は満足気に口もとを緩め、全員が薄着となったモニター上の三人の女性へと視線を這わせる。やはり配信されていることが気になるのか、セーターは脱いでも下着姿になっている者はいない。
「彼女たちの部屋の室温は?」
「室温三十一度、湿度六十パーセントでございます」
およそ四十から六十パーセントが、室内で快適に過ごせる湿度の目安とされる。梅雨時に感じる蒸し暑さは、湿度が七十五パーセントを超えるからだけではない。空気の温度も密接に関係している。室温が高いほど空気中に含まれる水分も増えるため、たとえ同じ湿度でも温度が高いほど不快に感じる。
それを考慮すると、彼女たちの部屋も相当に蒸し暑いはずだ。部屋の空気を搔きまわすだけの、サーキュレーター的な働きしかしない扇風機を除き、そのほか冷房の類は一切使えないようにしてある。
汗だくであろう女性たちを眺め、そこまでして見せたくないものか、と雅は呆れた。
「三十八度になるまで、後どれくらいだ」
「四十分ほどでございます」
鱒丘の返事を聴いて腕時計へと視線を落とす。午前二時二十分。ショーの開始からおよそ五時間半。眠そうにしている者や、床に就いている者は男性陣にも見当たらない。創作者には夜型が多いとは聞くが、ただ単純にこの状況では眠れないだけだろう。
「キリがいい」
「左様で」
「判定の時間を午前三時に変更する」
「参加者へはお知らせいたしますか?」
雅は左手で顎に触れ、ものの数秒ほど逡巡したのち「いや、知らせる必要はない」と言い、「三時にランキングを流せ」と鱒丘に命じた。
「畏まりました」
ルールにさえ気をつけていれば安心だ、とでも思っているのだろうか。もしそうであれば、創作者にあるまじき想像力の欠如である。彼ら彼女らには、『何をするのも自由。想像力をフル活用してショーを盛り上げろ』と伝えた。
和泉と櫻庭の処刑から数時間、何も起きないなど許されるわけがないではないか。動かないなら動かすまでだ。
「旦那様」
「どうした」
「参加者たちのあいだで少々動きが」
「対象者を映して簡潔に説明しろ」
鱒丘の操作で大型モニターの映像が二つに分割され、それぞれ右と左に男性の顔が大写しとなって現れた。怯えたような表情を浮かべる右の若い男に対し、左に映る若干老けた吊り目の男は、笑っているのか大きく口角を吊り上げている。
この左側の男には見覚えがある。妻の右手をミンチにされて騒ぎ、他に先んじてポイントを獲得した、あの男だ。
「画面内左の霧海塔がSNSを経由し、複数の匿名アカウントを使役して画面右の馬頭間頼斗へ誹謗中傷の攻撃を仕掛けております」
まさしく願ったり叶ったり。こうでなくてはならない。自ら動いて相手を狩りに行け。判定の時間が来るのを待っているだけでは生温い。
雅が大型モニターを眺めていると、今度は画像が二分割から三分割へと変わり、霧海の顔が中央へ移動して左側にピアスだらけの女性の顔が現れた。しばらくすると霧海の顔から不気味な笑みが消え、代わりに深い皺が眉間に刻まれた。
「たった今、霧海の攻撃に気づいた皇奇迷乱が、霧海の正体がSF作家の御手洗良昭であると気づき、霧海の執筆名で投稿された作品を攻撃しはじめた模様でございます」
「どういうことだ? 馬頭間が攻撃されて、なぜ皇が反撃に出る?」
「わかりかねます。三人に接点はございません」
不可解だが、まあいい。面白くなってきたじゃないか。
「配信中の動画に状況を説明するテロップはつけているんだろうな?」
「少々タイムラグが生じますが、滞りなく」と鱒丘が手元のラップトップを操作しながら、顔を上げずに答えた。リアルタイムでテロップを打ち込んでいるのだろう。各言語への自然な翻訳はソフトが代替してくれる。
画面右の馬頭間は、不安を顔に張りつかせたような面持ちで、ずいぶん前から右斜め上に視線を固定したまま微動だにしていない。加算されるポイントを見ているのだろう。それがマイナスのポイントだということを彼は知る由もないが、脈絡もわからずに入り続けるそれを、手放しで喜ぶほど愚かでもないらしい。
ポイントはその人間の価値そのものだ。彼ら彼女らはすでにある程度のポイントを所有している状態にある。しかしながら、人間の価値が個によって異なるように、参加者が元から持つポイントにも大きな差がある。当然ながら、平等ではない。
平等という存在は、言葉と概念だけのもので、この世のどこを探しても見つけることはかなわない。見える人には見えている、幽霊のようなものと同じだ。
IQや最終学歴から判断された頭脳の価値、病歴や生活習慣から割り出された各臓器ごとの健康状態、職種や職場での評価や生活態度から与えられる社会的価値、交友関係から見た人望の有無多少や信頼度など、そういった様々な要素を併せた総合値が、その人物の元から持つポイントとなって算出される。
私が決めるのではない。鱒丘の開発したAIが、学習した連中のデータを元に価値を決める。合理的だ。
「作品を公開しているのは何人だ?」
「紅朱音と霧海塔の二人でございます」
あと三十分ほどで判定の時間となる。それまでに他の四人が作品を公開するとは思えない。たとえ本人が何のアクションも起こさなくとも、外的要因によってマイナスのポイントはいくらでも入る。
人というものは、怒りや憎しみといった悪感情に、より強く衝き動かされる傾向にある生き物だ。よって、感情を抑制する能力の低い者は、批判的な行動を容易にとりがちとなる。だから、そんな彼らをうまく刺激してやりさえすれば、あとは勝手に対象のマイナスポイントを稼いでくれる。
だが、プラスのほうはそうもいかない。
こちらはいくら宣伝しようが、大多数の人間の好みに添っていようが、そう簡単に獲得できるものではない。
喜びや嬉しさといった善意的な感情ほど、本人のなかで自己完結してしまう傾向が強く、目に見える形となって現れることは少ない。要するに、まったくの赤の他人から、好意的な感想や良心的なレビューが書かれる確率は非常に低いということだ。
そのうえ、ウェブ上ではすでに数多の小説家たちと、数十万を超える作品の数々が犇めきあっている。
これらを考慮すると、ショーに参加している無名作家の作品が読まれ、なおかつプラスの評価を得るというのは、まったくないとは断言できないものの、それでも多くの偶然が重ならなければ発現しえない現象だとわかる。
SNSを見ていた者が宣伝を目にし、小説投稿サイトのリンクを踏んで、名もない作家の作品を読み、高い評価をして、感想を投げる。感想を得るのに必要な偶然の数は、これら六つだけではない。ここに『読み手の好みと作品の相性との合致』という最も大きな要因が介入する。
これがズレていると、いくら作品に文芸的に高い価値があろうとも、読み手の感性如何によって、正しい評価がなされなくなってしまう。その逆も然り。たとえ、一般的に駄文と呼ばれるような文章でも、ある特定の読み手の言語レベルに応じたものであれば、それはたちどころに読みやすい文章と評価が変わる。
運も実力のうちと言うのなら、これらすべての偶然の輪を掻い潜り、大多数の人間から支持を得られた者だけが、真の実力を有する執筆家たりうる存在ということになるだろう。そういった者の作品がより多く読まれ、より世に広まってゆく。
運がない、と嘆くだけで改善の行動をも起こそうとしない連中は、自ら実力がないと認めているのと同じだ。子供でもあるまいし、ただ泣き喚いていても、誰も助けてくれやしない。問題が解決することもない。悲観的な己を演じて同情を引こうとするぐらいなら、黙っているほうが幾分マシだろう。
同情を引きたいのなら、弱い姿を晒して恥をかくのではなく、強く生きている姿を見せつけるほうが効果的だ。弱い姿を見せては、寄ってきた似たような弱い人間同士でお互いの傷を舐め合うか、そこへつけこもうとする悪人の餌食となるだけである。
作品を読ませるにも同様のロジックが応用できる。小手先の小細工を労するよりも、人間の心理がどのように機能するのかを学び、大多数の人間をそれとなく煽動してやったほうが早い。極端な話、つまらない作品を面白く感じさせるという魔法も、うまく大衆心理を導いてやれさえすれば、決して不可能ではないということだ。
「旦那様、馬頭間のマイナスポイントが五百に達しました」
プラスのポイントを稼いでいれば、マイナスのポイントはそこから相殺されていく。ただし、そうでない場合は、本人が元から持っているポイントから減点させてもらう。
「アレを馬頭間のモニターに流せ」
「畏まりました」