ダブステップ断末魔ミックス
六分割されたモニターに映る、小説家たちそれぞれの様子にザッと目を通す。ショーが始まって二時間強。さすがに誰もが何らかの形で執筆をしている。隠しルールの一部にも全員が気がついた。こうでなくてはならない。が、まだ足りない、とロッキングチェアに揺られながら雅は顎に左手を当てる。
三本分のスナッフフィルムを観ても、連中にはまだ危機感が足りないようだ。とくに動画を観ていない女性三人には、別なストレスを与えてやる必要がある。目を瞑るなら、聴かせてやればいい。たとえ耳を塞いでも音を完全に遮断することは不可能だ。
「旦那様、作品に感想を書かれた者が現れました」
「どっちだ?」
「両方でございます」
「モニターに対象者と感想を映せ」
大型のモニターが二分割され、右側に男性の顔と『これは期待できそうな予感……』という文字、それから左側には女性の顔と『文章がゴミ。読むに耐えない』と感想が書かれた小説サイトの画面が映し出された。
雅が画面上部に表示されている『霧海 塔/SF』という文字に目をやり、「この男は、さっき騒いでいたアイツか?」と鱒丘へ確認すると、「左様でございます」という返事がすぐにあった。
「作品を表示いたしましょうか?」
自分の妻の惨状を目にした男の、激情に駆られた状態で書かれた作品というものは、否が応でも興味を唆られる。ジャンルなど関係ない。その作品には込められているはずだ。
妻の身を案ずる不安や焦燥感、彼女の手をミンチにされても何もできない無力な己への憤り、そしてこのショーを主催する私に対する憎悪。それらがバランスよく渾然一体となって内容に反映されたならば、それは非常に魅力的な作品となるに違いない。
「いや。全室へポイントのアナウンスを聴かせる。まずはポイント獲得の音声を流せ。それぞれ霧海にはプラス」雅は言葉を切って女の顔の上部を眺め、「紅にはマイナスのポイントを加算しろ。その後の合図で、女性たちの部屋にだけ私の音声を繋げ」と鱒丘に命じ、「BGMにはDJ SnakeのTurn Down for Whatを」と付け足した。
「畏まりました」
参加者にポイントの詳しい説明はしていない。獲得方法、その違いによる得点数、己の持ち点、そしてポイントにはプラスとマイナスの二種があることも。
鱒丘の手が上がったのを見た雅は、「皆さん! ここでもう一つ、お知らせがございます! たった今、最初のポイントを獲得した方が現れました!」と嬉しそうに声を張った。
六分割へと戻ったモニターのなかでは、床に横たわった一人を除いて参加者全員が怯えたような顔をし、今度は何が起こるのだとでもいうかのように、天井を見上げたり忙しなく左右へ視線を泳がせたりしている。
見ていると五人のうち、先ほどアップで映っていた男女二人の視線が、何かに引っ張られるようにして、画面の左右へとそれぞれ移動するのがわかった。二人の正面にある壁の左右に、プラスとマイナスのポイントが表示されたのだろう。
「ポイントは獲得すればするほど、あなたの立場を優位にさせます」
賢い者は目先の利益に囚われず、道の先に待っているであろう、より良い結果を求めて努力を続ける。辛い努力の果てに得たものは甘美だ。それは他者よりも己が優れているという勘違いを齎し、仮初めの自信を与え、ちっぽけな自尊心をも満たしてくれる。
一度でも味を占めた者は、壇上の地位を手放すのが惜しくなる。知らないときにはなかった苦しみが生まれ、それを避けるための行動を起こす。愚者はこのようにして生まれる。この罪は蛇に唆されて知恵の実を口にした、アダムとイヴから始まったものだ。
ここでの神は私である。が、最もポイントを獲得した者には、神にも等しい権限を一時的に与えてやろうじゃないか。猿に神の力を扱えるか否かは知ったことではない。強大すぎる力というものは、ときにそれを有する者自身を滅ぼす。見合わない力に耐えきれなくなれば器は自壊する。
「いいですか、小説家の皆さん! ショーはとっくに始まっているんですよ? 世界中に配信されているんですから、もっと頑張って盛り上げていただかないと!」
不本意ではあるが、女性陣には少しばかり恥ずかしい思いもしてもらおう。このまま波風の立たない二十時間では面白くない。変態どもの欲求も、程よく満たしておいてやったほうがいいだろう。
雅は鱒丘へ顔を向けると、首の手前で右手を水平に何度か振り、マイクのスイッチを切るように合図した。
「いかがなされましたか?」
「女性三人の部屋の温度を上げろ」
「いかほどに致しましょう?」
「二時間かけて三十八度だ」
「畏まりました」
四十度まで上げては執筆が困難になる。それでは最高傑作を生み出してもらうという、ショー本来の目的を阻害してしまう。あくまでも変態どもの欲求を満たしてやるだけだ。彼女たちが衣服を脱いでくれさえすればいい。
鱒丘へ目をやると、女性部屋の温度設定を終えて音声を流す準備ができたらしく、こちらを向いてゆっくりと頷くのが見えた。
「ご機嫌いかがかな、マドモアゼル?」と雅が快活に話しだす。
モニターが三分割され、二人の女性のハッとしたような顔と、床に横たわった髪の長い女性の背中が映し出された。壁すれすれに顔があるため、部屋のカメラでは彼女の後ろ姿しか捉えられないようだ。
「刑罰執行の映像はお気に召さなかったようですねぇ? ですので、口頭でお伝えしようかと思いまして」女性たちの動きが止まっているのを目にした雅は、「ああっと! 執筆はそのまま続けてください。耳だけ傾けていただけたら結構ですので」と執筆を促した。
モニターに映る三人が同時に耳を塞いだ。鱒丘に視線を送ると、「BGMに二人の男の断末魔をミックスしました」と小声で言うのが聴こえた。鱒丘は期待を裏切らない。普段から良い仕事をしてくれる。このように彼の趣味が過分に反映されることは度々あるが、どんどんやってくれて構わない。
「その悲鳴、何だと思います? 聞き覚えありませんか? 実はそれ、二時間ほど前に男性二人がですね、絶命時に上げた断末魔の叫びなんですよ! ご覧になられてないですし、動物の鳴き声と勘違いされたら嫌だなと思いましてね。後学のためにもお教えしておこうかと」
顔の見える二人は耳を塞ぐだけでなく、目まで閉じている。それでは逆に、脳内で映像を結びやすくはないだろうか、と雅は余計ことを考えてしまう。
「そんな声、滅多なことでは出ません。知りたくありませんか? どういった状況だとそんな声が出るのか、を。知りたいはずですよねぇ? 小説家なんて、知的好奇心に飢えた獣みたいなものでしょう?」
画面中央に映る、多数のピアスを顔面につけた女性が何か言っているようだが、彼女たちの声はこちらに聴こえていない。聴く必要もない。
「まずは右側に吊るされていた男性、断末魔の悲鳴というか、シュノーケリングのような呼吸音をされていた方のほうですが、彼には上半身と下半身に別れていただきました」
画面の左側では横たわっている女性が小刻みに震えだした。まだ何も説明していないではないか。
「どうぞ、腰に手を当ててみてください。腸骨のちょうど真上あたりからですね、横方向に鋸でゆっくりと引いていったんですよ、両側から。もしかしたら、鋸の位置がちょっとズレていたのかもしれませんねぇ。ほら、『骨が、骨がッ!』て叫んでたの聴こえていたでしょう?」
画面右側の化粧っ気のない女性が涙を流している。死んだ者たちへの憐れみか、それとも自分にも同じ未来が待っているかもしれないという恐怖からか。
「彼の下半身が床に落ちる音、素敵でしたよね? 床に溜まった血液が撥ねる湿りを帯びた高音と、重量感のある鈍い低音のコラボレーション! 足先が着水する第一音に続く、腰が床に叩きつけられる第二音! 完璧な旋律を奏でてくれましたッ!」
ピアス女が正面のカメラを叩いている。その程度の衝撃では、カメラどころか壁にすらもダメージを与えることはできない。たとえ、どんなに鍛えている男性でも素手での破壊は不可能だ。
「それから、左側の両脚を広げて逆さ吊りになっていた男性ですが、彼も本当に素晴らしかった! 彼の場合は股間から縦方向に鋸を入れて、身体を左右に両断する形でじっくりと引いていったんですよ。あの物凄い叫び声は恥骨に刃が入ったからか、それとも……おっと、失敬」
モニター左で横たわっていた女性は、いつの間にか四つん這いとなっており、身体を激しく揺らしては嘔吐している姿が映っていた。
「彼けっこう頑張ってたんですよ。右側の彼は早い段階で気絶してましたけど、左の彼は臍のあたりまで切り進んでも、まだ猛獣のように荒々しく叫んでましたよねぇ!」
涙を流していた女性は頭を抱えて台へと顔を伏せ、ピアス女は耳を両手で塞いで口を大きく開き、頭を後ろへ仰け反らせている。
「あぁ、そうか、観てないんでしたよね。とくに腸が彼の眼前に垂れ下がった瞬間なんて、もう本当に最高でしたよッ! あー、もったいない! だって、彼、自分の腸なのに、ハハハ、食べ、食べようと、ハハハハー! まるで、目の前に人参をぶら下げられた、ハハハ、馬! 馬のようにッ!」
思い出すと、まだ笑いが込み上げてくる。あれは見物だった。久々に心から笑った気がする。極限状態の人間というものは、これだから面白いし見応えがある。十分に金を取れるコンテンツだ。そうだ、もう一つ彼女たちに伝えることがあった。
「ところで、聡明な執筆家であらせられる貴女なら、もうお気づきですよね? ルールに違反した場合のペナルティーのことを、わたくしが刑罰と称していることに」
女性三人の様子に変化は見られない。クズどもが。
「男性二人が受けたものは、どちらも鋸挽きという刑罰なんですよ。刑罰とはどんな人間に科せられるものか、ご存知ですか?」
誰かしらが動揺を見せるかと思い言葉を切る。が、やはり彼女たちの反応はない。
「当然、犯罪を行った者にです」