プロローグ
◆登場人物◆
江籠颯斗
ヘタレなハスキー犬。隼人に密かに恋心を抱いている。運動がすこぶる苦手。
難波隼人
明るいシェパード犬。誰とでも直ぐに打ち解ける。得意なスポーツはテニス。
亘理湊
吹奏楽部顧問。生徒の自主性を重んじる。言い方を変えるなら放任主義とも。
奈良崎崇
クラリネットパートの2年生部長。練習熱心で情熱的な性格。厳しい一面もある。
大塚康
トロンボーンパートの1年生。小柄な体型に似合わず性格や口が荒い。
碧海大地
ユーフォニアムパートの1年生。お人好しな性格。
「やば、朝飯ん時は覚えてたんだけどなぁ。」
雨の降りしきる水無月の土曜の昼下がり。部活を終えた颯斗は傘を持ってくるのを忘れたのに気付き、校舎の玄関の軒下で立ち往生していた。家は遥か向こうの1.5km先。ダッシュで帰ってもびしょ濡れだろう。風邪を引いても困るので、大人しく待つことにした。雲の厚くかかった暗い空を見上げながら健気に待っている姿は、さながら忠犬ハチ公のようだった。待っていたところで誰かが迎えに来てくれる訳ではなく、ただ無心で雨が通り過ぎるのを待っていた。
「おい、そこで何やってんだ?」
知らないヒトから声をかけられた。重たい顔を右に50度程度ひねると、折り畳み傘を持ったシェパードの少年がこちらを見ている。同級生のようだが、あまり見覚えがない。
「傘忘れたから止むの待ってる。二時まで止まなかったら…まぁ走って帰るかな。」
「へぇー、そう。俺、隼人って言うんだけどお前はなんて名前?」
名乗られたのに返さない訳にはいかない。というか同じ名前か、こいつ。
「あ、颯斗。江籠颯斗2組。」
「え?マジで?おんなじ名前かー!運命だわコレ。あ、俺は苗字は難波って言って4組なんだけどな、そっかぁ〜クラス隣とかじゃないと気付かないよなぁ〜。」
隼人が嬉しそうに一人で興奮しているのが妙に可愛らしく見える。元気そうでいいなぁ、と思いながらその光景を眺めていると、いきなり肩を寄せられた。
「えっ、え?」
「同じ名前ボーナス。途中までなら傘入れてやる。」
折り畳み傘は大きくゆとりを持って雨を凌ぐために作られたものでは無い。最低限にまで小さく作られたそれは一人入るのもギリギリなのだが、その中に二人で入っている。お互い外側の肩は存分に濡れてしまっている。
「ちょっと小さいけど、まぁ無いよりはマシだろ?」
「たしかに。」
内心ドキドキしていた。小学生の頃からお世辞にも友達が多いとは言えないくらいに独りだった俺は、こんな風に優しくしてくれるようなヒトはいなかったからだ。友達がいない訳では無い。
なんだか緊張で口数も少なくなっているような気がする。
「颯斗さ、今度クラスに遊び行くわ。」
「えぇ、別にいいけど。なんで?」
「なんか、仲良くなれる気がする。俺ら。」
その言葉は雨の音から逸脱して鮮明に耳に届いた。嬉しかったのだ。
それからと言うものの、二人は親友とも言える仲になった。隼人は他の誰よりも俺を優先して付き合ってくれた。家で勉強会をして、テストの点数で勝負して、あっ、カラオケにも行ったな。それはそれは楽しい日々だった。
しかし、夏休みはお互いに離れる機会が多くなった。隼人はテニス部の大会がある。
颯斗は吹奏楽部の大イベント、夏のコンクールだ。今年のコンクールは中学生活最後のコンクール。必ず良い結果を残したい。吹奏楽コンクールでは課題曲と自由曲の2曲の演奏を聞いた7人の審査員によって、それぞれからABCの三段階評価を受ける、その結果によって金、銀、銅の三段階の賞が決まる。金賞の中から地区大会で特に優秀な結果を収めた学校は、上位大会に進出できる『代表』となるのだ。俺たちの学校は今年こそ代表を目指している。
しかし練習中にも隼人の顔が頭に浮かぶ。あいつは今頃元気にやっているんだろうか。あるいは…
「ペット、Rから頂戴。」
「は、はい!!」
課題曲2番と、『喜歌劇「こうもり」セレクション』
本番、トランペットを持つ手は震えていた。コンクールは頑張って見に行くわ、と隼人に言われたからには失敗するわけにもいかない。席に着いた時に頑張って目を凝らして隼人を探したが、分からなかった。
本番は12分間。音が出た瞬間に見えないタイマーは始まり、少年少女たちのひと夏をかけた戦いが始まる。楽器が照明に照らされて黄色みがかった色が映し出される。
緊張で耳の裏に汗がにじむのに気付いた。
「――金賞と銀賞の混同を避けるため、金賞団体に関しましては、『ゴールド金賞』とコールさせていただきます。」
アナウンスが響き渡り、ホール中の出場団体の吹奏楽部員が見守る。物音ひとつすら立たない緊張感で演奏中とは違った冷たい汗が頬を滴る。
「――市立、灘浜中学校、ゴールド金賞。」
キャー!という女子部員の黄色い悲鳴が耳に突き刺ささって痛いが、無事に金賞を受賞した。上位大会には行けないダメ金だったが、金は金だ。隼人に連絡すると、良かったな!と返事が来る。まずまずな結果の、悪くない夏の終わりだった。
隼人のクラブは県内2位だったらしい。トップではないがよく頑張ったのだろう。こうしてお互いはそこそこ充実した中学生活最後の夏休みを過ごしたのだった。
2月。高校の合格発表に来ていた颯斗は、自分の番号を必死に探す隼人を見つけた。よっ!と後ろから声をかけると、驚いた表情を見せながらも、白い歯を剥き出しにして笑った。
「颯斗、なんでここにいるんだ?」
「ん?まぁ塾の先生にオススメされたし。隼人は?」
「ここの学校テニス部強いからな。推薦は落ちたけど一般でなら来れるかなーって。」
お互いを『はやと』と呼び合う二人を、周りのヒト達は不思議そうに横目に見る。
「お前の番号…お、あれじゃね?」
「あっ、ホントだ。やったな!高校でも同じだぜ!」
無邪気に笑う隼人に釣られて、颯斗もついにやけってしまった。
俺はきっと、こいつのことが好きだ。
しかし、思ってた通りにはいかなかった。
6クラスもあると流石に同じクラスになる確率も低い。3クラス隔てて別の教室になった2人は次第に顔を合わせる機会が少なくなっていった。テニスの強豪校で名が通った学校なので、隼人も迷わずテニス部に入った。隼人は隼人で友人を作る。俺もそろそろアイツに縋るのもやめよう、という良い機会になった。
そして、一緒に帰ることも無くなった。
この学校の吹奏楽部は特別上手いわけでもなかった。3年生ははっきり言ってやる気がないように見えるが、別に極端に下手な訳でもない。迷った挙句なんとなくで吹奏楽部に入った颯斗は引き続きトランペットを担当することになった。
新しい友人ができた。同級生と言うだけで友人と呼べるのかは分からないが、何かとウマが合うやつがいる。ユーフォニアムの碧海大地だ。隼人との惚気話や、高校に入ってから距離が空いてしまったこと。まぁ、平たく言えば恋愛相談を聞いてもらっていた。
「なぁ、今までの話を聞いてる限り、放ったらかしにして良いもんじゃあ無いだろ。」
「だけどなぁ。今更どうしようもないかな、って。」
大地は人が良い。右から左へ聞き流してくれればいいものを親身になって聴いてくれる。
夕方の個人練教室にはどっしりとした空気が籠っていた。時計の針が18:00を指している。
譜面台に置かれたファイルをそっと閉じると、颯斗は悲しそうな表情で呟いた。
「もう、いいんだよ。」
◆
「私立、鳴山高等学校。銀賞。」
◆
涙すら出なかった。結果は分かっていた。
隣でオロオロと泣いているトロンボーンの大塚、こいつはどれだけ真っ直ぐな奴なんだろう。自分たちを棚に上げる訳では無いが、3年生のやる気の無さには下級生も呆れていた。
「来年は金賞取るからな…!」
小柄ながらもしっかりと言霊の乗ったセリフを吐く。
でも、大抵の学校はそうなのだ。来年こそ頑張る、来年こそは金だの代表だの。口に出すのは容易いことなのだ。稀に実現した時にそれを『努力が実った』と言って満足し、それより先を見る者は少ない。青春ごっこを楽しむ場だと思ってばかりだと、この世界では生き残れないのだ。コンクールは舞台の上で審査員に勝つのでも他校に勝つのでもない。それまでの過程でどれだけ自分に呑まれずに練習に磨きをかけられるか、なのだ。
3年生が引退し、役職の引き継ぎが執り行われる。
部長に抜擢されたのは2年生クラリネットの奈良崎崇センパイ。おっかないヒトで、個人練では休むことなく楽器に齧り付いている姿がおぞましくて誰も近寄れないとか。正直木管のことはよく知らない。
粗方の役職発表があった後、最後に新入部員の発表があると告げられた。
「こういうのって最初にやった方がいいんじゃないか?」
大地はぼそっと言ったつもりだっただろうが、その声は部員全体に聞こえるぐらいに教室中に響いた。皆の視線が大地に集中し、当人は恥ずかしそうに俯いている。
「さ、難波くん。入っていいよ。」
顧問の亘理先生の合図で、今確かに『難波くん』と告げられた。
教室のドアがガラガラと音を立てて開く。スリッパをパサパサと音を立てて歩く横顔をみて颯斗は驚愕した。教壇に立つ1匹のシェパードは、颯斗のよくよく見知った顔だった。
「2年6組、難波隼人です!楽器とかやったことないけど、よろしくお願いします!」
周りの部員の拍手につられて俺も拍手で迎えたが、あの時俺はどういう表情をしていただろうか。
隼人はこちらに気付くと、あのニカッとした笑顔を見せた。
なろうに投稿するのは初めて。1話あたりが短めですが、少しでも多くの人に読んでいただけたらなぁと思います。