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幸なき誰かの願い ①

 ファランディーヌが笑顔で宣言を終えても、ネージュはしばらくの間は放心状態だった。

 終わった……本当に? 何かするべきことはなかっただろうか。どうしてだろう、妙に不安で。


 ——そうだ、シェリーは。騎士団長閣下のお怪我は。


 ネージュは二人の元に駆け寄ろうとした。それなのに突如として視界が揺れて、一歩二歩とよろめいてしまう。

 頭が痛い。金槌で絶え間なく叩かれているようなひどい痛みだ。そうこれは確か、最初に前世の記憶を取り戻した時の。


「レニエ副団長!?」


 カーティスが名前を呼ぶ。その声が切迫感を伴って響くのに、彼自身の方が酷い怪我をしている。

 ネージュは震える手を伸ばそうとしたのだが、体が少しも言うことを聞いてくれないことに気が付いた。目を開けていることすら辛くなってきて、勝手に瞼が落ちてくる。

 意識を失う寸前、カーティスが焦燥に顔を歪ませて駆け寄ってくるのが見えた。




 次に目を開けた時、ネージュは燃える王宮の廊下に立っていた。

 全てを飲み込もうとする真紅の炎の中を一人の少女が走っている。血と埃にまみれ涙で頬を濡らしていても、妖精のように美しい我らが主君。

 ネージュは咄嗟にファランディーヌの元に駆け寄ろうとして、これが現実ではないことに思い至った。

 戦いはつい先程終わったはずだ。ならば己が見ているこの光景は。


 ——これは、ゲームの最終章? シェリーが命を落とした後の、女王陛下……?


 ネージュはよく覚えているのだ。これは「女王陛下の祝福」という物語のラストシーン。臣下を失ってもなお歩み続ける、ファランディーヌの姿だ。



 ***



 私はとめどなく溢れる涙を拭いながら灼熱の回廊を走る。靴を失った足がヒリヒリと痛むけれど、こんなものは散っていった皆に比べれば些細な痛みだ。


「シェリー……どうして。みんな、みんな……」


 どうして。言葉が見つからない。

 みんなのことが大好きだったのに。私みたいな若輩の女王に、誠心誠意仕えてくれた。

 どうしてこんなことになってしまったの。命を捧げるのが忠義なの。どうしてみんな、私を置いていってしまったの。

 息ができないのが煙のせいなのか、罪悪感のせいなのかもわからない。

 知らなかったの。父上の愚かな計画によって祭り上げられ、血塗られた玉座に腰掛けていただなんて。

 なんて滑稽なのかしら。私、うまくこの国を治めているつもりだったのよ。叔父上がどれほど苦しんだのか知りもしないで。

 王位を退けばよかったの? けれど、それでは王様がいなくなってしまうわ。

 ああ、そうだとしても、やっぱり私は生きているべきではなかったのかもしれない。だって私のせいで沢山の人が死んでしまった。クレメインも、王都の民も……忠実な騎士達も。

 私は、私のために死んで欲しくなんかなかった。みんなに生きていて欲しかった。今までどれほど救われてきただろう。彼らがいなければ、私は立ってはいられない。


『陛下……どうか、生き、て』


 不意にシェリーの最後の言葉が蘇ってきて、私は吐きそうな程に痛む胸をぎゅっと握りしめた。


 そうだ、私は生きなければ。血が滲む心を抱えたままだとしても、命を全うしなければ。


 民のために。

 この国を良くするために。

 死んでいった彼らに、報いるために。


 王宮を出る直前、私は一度だけ振り返った。慣れ親しんだ住処が燃える様は、大好きだった人達との思い出までもをを飲み込んでいくかのように見えた。




 一年が経った頃、私は王宮跡地の前に謀反で失われた命のための慰霊碑を建てた。

 黒いドレスを着て記念式典の場に立った私は、白いバラの花びらを掬い取って空へと手放す。


 ——皆の魂に安寧と、祝福を。


 白の花弁は雪のようで、青い空に美しい模様を描いて舞う。するとどこからか啜り泣きが聴こえて、私は茫洋とした視線を遺族席へと向けた。

 そこにはオルコット伯爵夫人パトリシアがいた。俯いた顔を黒いハンカチで抑えて、腕にはまだ一歳にも満たない赤ん坊を抱いている。

 その右隣ではハンネスそっくりの息子が母の背を撫で、左隣ではパトリシアにそっくりの可愛い女の子が目を輝かせて舞う花弁を見つめていて。

 私はたまらなくなって、歪んだ顔を隠すように前を向いた。

 目を閉じると大好きだった彼らの笑顔が浮かぶ。慕わしい人たちにもう二度と会うことができないと思うと、空虚さばかりが身体中を絡め取って、もう涙すら出てこなかった。




 私は八十年の生涯を生きた。

 彼らが守ってくれたこの命は、我が国を守るためだけに存在する。休みを取ることも、好きなものを楽しむ時間も必要ない。

 あまりにも長い余生を送りながら、私はずっと苦しかった。


 苦しい。

 苦しい、苦しい。

 何をしても楽しくない。

 彼らはみんな死んでしまったのに、どうして私ばかりが生きているの。


 神さま。


 もしも私を哀れとお思いなら、もう一度彼らに会わせて下さい。

 私を教え、導いてくれた人達に。

 いつも助けてくれた慕わしい彼らに。

 どうかお願いします。

 大好きな皆にほんの一時でも会えるのなら、肉体が朽ちて魂だけになった後でも構わない。

 私は頑張るから。もう二度と間違えないから。


 それでも。

 ここまで祈りを捧げても、この願いが聞き届けられないのならば。


 神さま。


 私は二度と、この残酷な世界に生まれたくなんかない——。



 私は老いて乾いた瞳を閉じる。その途端に目頭が熱くなって、涙が一つ、目の端からこぼれ落ちていった。





 *





 私は虚だ。

 何をしても満たされない。いつも心臓に大きな穴が空いていて、闇の色をした深淵から戒めが顔を覗かせている。

 どうしてそんなことを感じるんだろう。両親も友人もいない孤独、それ自体は関係がないような気がするけど、そう感じることに根拠があるわけでもない。

 ショーウィンドウに映った私の姿は、至って普通の二十代の女だ。

 しかしその背後を忙しなく行き交い、クリスマスに浮かれた様子の人々とは大きな隔たりがあった。それぞれの目的に向かって歩く人々。その顔に浮かぶのがどんな感情でも、目的があるだけで何もかもが違う。

 灰色のチェスターコートのポケットに入れたスマホが震えて着信を伝えた。私は通話ボタンを押しながら歩き出すと、仕事用に装った声で応答する。


『先生。実は今回、珍しいお仕事のご依頼がありました』


 私は少女向けの恋愛小説を書いて生計を立てている。空想の世界は虚を少しばかりは埋めてくれるからこそ、私は小説家になったのだ。


『ファンタジーの名手である先生に、女王と騎士をテーマにした乙女ゲームのシナリオをご担当頂きたいということで。先方たってのご指名ですし、有名メーカーさんですからぜひご依頼をお受け頂ければと』


 担当の弾んだような声。有り難い話のはずなのに、「女王と騎士」という単語を聞いた瞬間、心臓がどくんと大きく脈打った。

 私は激しい頭痛を覚えて道端に蹲った。何が起きたのかわからないうちに、脳裏に見知らぬ記憶が流れ込んでくる。

 大好きな人達に囲まれて過ごした優しい日々と、凄惨な戦いを眺めるだけの無力な自分への憤り。そして長い長い贖罪の日々。

 女王ファランディーヌとしての生を全うした、悲しみに溢れた前世の記憶。

 余りにも膨大な情報に押し流された私は、正気を取り戻すなり両手で口元を覆った。

 取り落としたスマホが音を立てて地面に転がり、慌てたような声がしきりに呼びかけてくる。他人同士でしかない都会の通行人たちは、蹲った女になど興味すら抱かず、それぞれの行き先へと吸い寄せられてゆく。


 ——そう、私は転生していたのだ。

 もう二度とかの世界に生まれ変わりたくないと願ったが故に、日本という異世界の国へと。

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