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女王と復讐者と ①

 人気のない廊下はいつもの活気を知っているからこそ不気味に感じられた。

 女王はこの国を治める者としての責任を果たすため、有事の際には玉座に座して経過を待つと宣言している。不安に淀む胸の内を覆い隠して走り続け、ネージュが辿り着いたのは玉座の間たる大ホールの扉だった。

 いつもはここで待機しているはずの近衛兵も今はいない。逸る気持ちもそのままに扉を開け放つと、そこには予想通りの展開が待っていた。

 所々に赤い炎が散らばりちろちろと蠢いている。奥の階段の上にある玉座にはファランディーヌの姿があって、その隣に立つのは宰相クレメイン。

 そして広大なホールで相対していたのは、第一騎士団長ライオネルと、マクシミリアン・ブラッドリー公爵だった。

 そう、ついにネージュはここまでやってきたのだ。最初に宣戦布告がなされた場所であり、最後の戦いの舞台でもあるこの大ホールへと。

 マクシミリアンは黒のフロックコートを身に纏い、美丈夫たる容姿を少しも汚すことなくそこに立っていた。右手に携えた剣を今は下へと向けているが、いくら観察してみても隙など何処にも見当たらない。ネージュになど興味すら持てないのだろう、マクシミリアンはちらと一瞥をくれただけですぐに向かい合う騎士へと視線を戻した。

 ライオネルの方は見ていられない程の重傷を負っていた。左手はだらりと垂れ下がっているし、炎の魔法を食らったであろう脇腹は爛れ、頭からはいく筋かの血を流してその秀麗な顔を汚している。

 ゲームにおいてはカーティスが担っていた、女王陛下の御身を守る大事な役目。それを任されるだけの信頼を得ているライオネルは、当然ながら凄まじいまでの実力を持っているのだが、いかんせん相手が悪すぎた。

 無事で良かった。今までよく戦ってくれた。ここからの仕事は、ネージュの役目だ。

 マクシミリアンが炎の魔法を繰り出したので、ネージュは走りながらもライオネルの前に防御魔法を展開した。

 それはとても強大な魔法陣だった。大ホールを真ん中で分断し、マクシミリアンだけを向こう側に隔離する程の規模。ネージュは炎の激流が盾に弾かれて四散する様を鋭く見据えたが、隣からライオネルが驚きの眼差しを注いできたのがわかった。


「失礼を、私が時間を稼ぎます!」

「よせ、レニエ副団長……!」

「問題ありません! バルティア団長は怪我の治療を!」


 魔力を得て、訓練を重ねて、ネージュは以前とは比べものにならないほど強くなった。ライオネルに異常な魔力を持つことを知られようと、最後なのだからもうどうでもいい。

 このまま防御魔法を出し続けてファランディーヌを守ることは、無尽蔵の魔力を持つネージュにとっては簡単なこと。あとは増援が来てくれさえすれば、マクシミリアンを捕らえるチャンスが——。


「……何だ、お前は」


 がらんどうを感じさせる声が響いたのと同時、防御魔法陣すら飛び越えて大ホールの空気が一段冷えた。

 指先一つすら動かせない。この冷や汗が滲むような圧迫感は何だ。


「まだここまでの実力を持つ者が余っていたのか。俺の騎士たちはどうやら苦戦しているらしいな」


 マクシミリアンは神々しいほどの美貌に笑みすら浮かべていた。揺れる炎の赤に銀髪を染め、血の色の瞳に潜む憎悪を隠しもしないまま。


「いいだろう。力比べといこうか、女騎士」


 ぞっとするほど平坦な声が呪文を唱え、その響きにネージュが剣を持つ手を震わせた瞬間、大ホールの全てが強烈な光に満たされた。

 何が起きたのか理解することができなかった。思わず目を閉じたネージュは、ついで全身を殴りつけるような爆発音を聞いた。

 防御魔法陣を大ホールを分断するように張り巡らせているから物理的な影響はない。それでも嫌な予感に支配されたまま目を開けると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。

 消し飛んでいたのだ。ホールの半分が鋸で切り落とされたように綺麗さっぱり無くなっていて、開けた視界に星空を見せつけている。

 瓦礫すら存在しないのは超高温によって蒸発したせいだろう。断面に残る建材の残滓が所在なさげに地面に落下していく向こう、マクシミリアンは先程と寸分違わぬ姿でそこにいた。


「これでも駄目か。中々、面白い」


 悠然と笑うマクシミリアンは、これ程の魔法を使った高揚感など微塵もなく、相変わらずその瞳を底暗く輝かせていた。どうしてやろうかと思案しているのだろう。ただ美しい男が微笑んでいるだけなのに、何故か怖気立つほどの冷気が漂っている。

 隣でライオネルが言葉を失っている。ネージュも全く同じ思いで、ただ呆然と敵の総大将を見つめるしかない。

 マクシミリアンは偉大な魔法使いだ。

 母親は代々王宮魔法官を輩出してきた家系の出身で、幼い頃からその才を見出され、周囲から将来を嘱望されてきた。騎士程に剣の稽古を積んでいるわけではないものの、ゲームをプレイした記憶によれば総合力においてカーティスとの実力は互角。つまりは魔法だけなら最大の実力者なのだ。

 真ルートの最後におけるマクシミリアンは、瀕死の重傷を負ったカーティスに剣で切られて息絶える。二人の壮絶な最期を思い出して顔を曇らせたネージュは、背後から歩み寄る気配に気付くのが遅れてしまった。


「叔父上。貴方は私が憎い?」


 凛とした声が大ホールに響く。振り返った先のすぐ側、ファランディーヌは美しい立ち姿でそこにいた。

 いつの間にこんな近くに。付き従うクレメインは顔色を悪くしていたが、ライオネルもまた蒼白になってファランディーヌとマクシミリアンの間に立ち塞がる。

 女王の守護者は立っているのが不思議なほどの怪我を負っていた。こうしている間にも、どこから滲んだのかすら判らない血が大理石の地面に染みを作っていく。


「陛下、危険です! どうかお下がりください!」

「いいのよライオネル、私は大丈夫だから。貴方は早く治癒魔法をおかけなさいな」

「なりません陛下、話の通じる相手では」

「ライオネル」


 ファランディーヌは静かに忠実な騎士の名を呼んだ。水が一滴落ちて波紋をもたらしたような声は、ただそれだけで傾聴を促す力がある。


「下がりなさい。命を捨てるようなことは許しません」

「……畏まりました、陛下」


 ライオネルは言いたいこと全てを飲み込む間を取って、それでも折り目正しく跪いた……かに見えたのだが。

 ぐらりと長身の体が揺らぐ。やはり気力だけで立ち続けていたのだろう、うつ伏せに倒れ伏したライオネルは最早意識を失っていた。


「バルティア団長! しっかりなさってください!」


 いくら呼びかけても返事がない。防御魔法を展開したまま治癒魔法を施すという離れ業が演じられるはずもなく、ネージュはいよいよ蒼白になった。

 このままにしておけば命に関わるかもしれない。どうしよう。どうしたら——。


「私は知っているわ。どうして叔父上が王位を狙うのか」


 ファランディーヌが朗々と言う。ちらりとネージュへと向けた藤色の瞳は、私に任せてとばかりに頼もしく輝いていた。


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