脇役、大舞台に立つ
それはリシャールと出くわした直後のこと。ネージュは再び舞い戻った山奥にて、カーティスに詳細な報告をしているところだった。
「魔獣の襲撃が一月九日より前になるかもって? それはまた、重大な情報だね」
目を丸くしたカーティスに、ネージュは重々しく頷いて言葉を続けた。
一月九日はハリエットの命日である。
ゲームでのマクシミリアンはあえてその日を選んで全てを終わらせようとしたのだが、リシャールが述べたところによれば近頃は時間ができたのだと言う。つまり魔獣の召喚は順調、別の用事のために外出することも可能となれば、相当の余裕があると推測できる。
「なるほど。確かにマクシミリアンの性格上、予定よりも早く魔獣の召喚が可能になったと知れば、日程を前倒しにする可能性が高い」
「はい、私もそう思います」
マクシミリアンはシェリーを預けに来た夜、「自分のことしか考えられない」と語ったのだ。彼は復讐が自らのエゴであることを承知している。今更ロマンチシズムを振りかざして、わざわざ日程を合わせようとするとは考えにくい。
「今度のバルトロメイ団長との会議では、日程が定まらない想定で作戦を立てた方が良さそうだね」
カーティスが苦笑を浮かべる。ありとあらゆる状況を想定しなければならない難しさに直面しても、彼の余裕が失われることはないらしい。
*
ネージュは王都を疾走していた。風魔法で空を飛ぶことが未だに叶わない現実を歯がゆく思いながら。
敵勢力の攻撃を基にした王都防衛戦は幾度となく模擬訓練を行い、各々の頭に叩き込まれている。シェリーは東区の避難を任されているため自身の持ち場へ向かったが、ネージュの今回の仕事は例外中の例外だ。
既に作戦は練りに練ってある。最も人通りの多いメインストリートにやってくると、民衆は鋭い鐘の音に戸惑いの視線を交わし合っていた。先ほどの咆哮の主が見えない今、どうしたらいいのか判断がつく者など誰一人としていないのだ。
彼ら全員を逃さなければならない。ネージュは決意を新たにして目的地まで走り、ついにその場所へとたどり着いた。
螺旋階段を駆け上がった先、360度の雪景色が眼下に広がる。教会の尖塔はちょうど王都の中心に位置しており、目的の建造物が一望できた。
王都モンテクロをぐるりと囲む長大な城壁。産業の発展を阻み、ファランディーヌも壊すべきだとするその建造物は、市民の避難を考える上でも無用の長物だ。
そして城壁の向こう、沈みかけた太陽の赤を背にして揺らめく巨大な影を見つけた瞬間、ネージュは迷いなく魔力を放出した。
「……砂塵風化の流転!!!」
土の極大魔法は必死の訓練の末に最後の文言だけで発動できるようになったはずだが、ここまで巨大な物体に魔法をかけるのは初めてだ。
緊張しながら神経を集中させていると、夕闇に沈む街並みの果て、城壁が砂と崩れ始めたのが確認できた。
喜ぶ間も無く最大出力で魔法を発動し続ける。工事のためという名目で城壁の上は立ち入り禁止にしておいたから、全て壊してしまうつもりだ。
かの魔法は無音だった。しかし四方から戸惑いの声が上がって、民衆が慣れ親しんだ城壁が崩れていく様を呆然と見つめているのが伝わってくる。
——なんの予告もなしにこんなことになってごめんなさい。避難経路を確保するためだから、許してね。
心の中で詫びたのと同時、西側の城壁だけを残し、全てが砂となったのが目視で確認できた。大魔法で雨を降らせて一時的に足場を固めてやり、最後の仕上げとばかりに自身へ拡大音声の魔法をかける。
《緊急事態です。西より王都への敵戦力の侵攻を確認しました。市民の皆様は東へと市街地を脱出するか、最寄りの地下施設に避難してください。くり返します、西より王都への敵戦力の侵攻を確認——》
冷静を心がけた声音が冬の冷気の中を拡散していく。この指示をどれほどの人が聞き留めてくれるかはわからないが、あとは騎士団を総動員して誘導するしかない。
しかし息つく間もなく尖塔を降り始めた瞬間、西の方角から爆音が轟いたので、ネージュは一瞬だけ息を止めてしまった。
間違いなくあの燃えるような夕日の下にカーティスがいる。誰よりも危険な役目を買って出た、誇り高い騎士が。
ネージュは首を横に振って再び階段を降り始めた。
次の仕事を果たすために今はただ急がなければならない。無尽蔵の魔力で女王陛下の周囲に防御魔法を張ること、それこそがネージュに課せられた最重要任務。親しい人の無事も全ては脇に追いやって、騎士としての本分を果たすのだ。




