最後の死亡フラグが立ちましたので ②
横を見ればファランディーヌの横顔が天を見上げていた。束の間の自由を享受して藤色の瞳を煌めかせる様は、ネージュに喜びを与えてくれる。
ああ、良かった。ゲームの中でいつも寂しげに微笑んでいた彼女は、今この時は心の底から笑ってくれているのだ。
「ねえこれ、すっごく爽快だわ! 地面に転がるなんて初めて!」
ファランディーヌが笑いを収めきれないまま上半身を起こす。白を身に纏わせた姿はさながら雪の精の如く、しかし彼女はいたずら心を持った雪ん子だったらしい。
ネージュの顔面に大量の雪が振りかけられた。盛大に口と鼻を侵食されて無様なうめき声を上げながら起き上がると、ファランディーヌは無邪気な笑い声を上げている。
「あはは! 私みたいな小娘に先制を許すようじゃ、まだまだね!」
シェリーも俄かに起き上がる。翡翠の瞳は爛々としていて、勝負事を前にした高揚を映し出していた。
「陛下、助太刀致します!」
「ええ、行くわよシェリー!」
迷いなく雪玉を製造し始めたシェリーに倣って、ファランディーヌも雪の塊を手に取って固めている。その光景に恐怖心を覚えたネージュは、慌てて立ち上がって垣根の陰に退避した。
「うわ……! ちょっとまって!」
シェリー、ずるい。雪合戦で陛下の敵に回れと!?
どうしたものかと思案したその時、垣根の表側に雪玉が命中した気配を感じた。
「遠慮は無用よ! ほらほら、こっちは人手が二倍なんだからね!」
次々と繰り出される雪玉と共に、心底楽しそうなファランディーヌの笑い声が放り投げられる。孤児院で暮らしていた頃、院長が昼寝をしている隙をついて皆で雪遊びをしたことを思い出した。
——女王陛下が童心に返って楽しんで下さるなら、一番嬉しいことだよね。
ネージュは苦笑をこぼして雪を固め始めた。二十二にもなって全力で雪遊びをする大人気なさは傍に置いて、今はただこの時間を楽しむことにしよう。
ひとしきり遊び尽くしたところでその場はお開きとなった。ネージュはシェリーと共に、恐る恐る侍女長の元へとファランディーヌを送り届けたのだが、有能な仕事人は陛下が楽しまれたのなら良かったと笑ってくれた。クレメインに見つからなかったのは幸運だったとも言っていたけれど。
「ねえ二人とも、今日はありがとう。……こんなに楽しくていいのかしら。なんだかバチが当たりそうだわ」
濡れた髪を侍女に拭われながら、ファランディーヌが小さな笑みを浮かべる。凛とした女王が見せた儚げな様子とその言葉の意味を、ネージュは汲み取ることができなかった。
それなのに妙に胸がざわめく。シェリーはもちろんだと微笑んだが、同じように振る舞えたかは自信がない。
「……私ね、この戦いが終わったら、皆にご褒美をあげたいの。休暇とか、報奨金とか、私にはそんなものしかあげられないけれど。皆がいてくれたこと自体が、とても嬉しかったから」
——陛下、それはいわゆる死亡フラグというやつですよ。しかも、我々全員に対する特大のやつです。
シリアスな場面であまりにもわかりやすいフラグが建設されたので、ネージュは心の中でずっこけてしまった。
どうやらこれが最後の死亡フラグになりそうだ。見事に叩き折って見せたなら、きっとこの心優しい女王陛下の笑顔をもう一度見ることができるのだろう。
ネージュはシェリーと共に帰路を辿る。
未だに雪は降り止むことはなかったが、大した量ではないので傘もささずに歩いていく。雪の降る中を美女が歩く姿は幻想的で、ともすれば立ち止まって鑑賞したい程の情感に満ちていた。
「ネージュは年越しはどうするの?」
「年越し? 特に予定はないけど」
「そうなのね! それなら、このまま我が家で過ごすわよね?」
妙に力の入った問いかけだ。ここ最近の彼女は挙動不審な気がするのだが、その原因は未だに知れない。
「えと、うん。行くところがないから、お借りしてる部屋に居させてもらえると助かる、かな」
「そんなの当たり前じゃない。一緒にご馳走を食べましょう?」
色々と大変なことが起こりすぎて年越しについて何も考えていなかった。ネージュは毎年女子寮に残った仲間たちと過ごしてきたのだが、この国では年越しは家族で過ごすのが当たり前で、遠方に住む子供も実家に帰るのが通例だ。
そんな行事にお邪魔してしまって良いのだろうか。ましてや今はカーティスとどんな顔をして会えば良いのかわからないような状態だというのに。
「父上も喜ぶわ。我が家はいつも二人で静かに過ごしているから」
しかしシェリーは友の戸惑いを打ち払うように何のてらいもない笑みを浮かべている。ネージュはなんだかたまらなくなってしまって、琥珀の瞳をふと細めた。
——ああ、本当に良い子だなあ。
シェリーと友達になれて良かった。誰に対しても分け隔てのない彼女だからこそ話すようになったし、共に切磋琢磨する日々は本当に楽しかった。
死んでほしくないと、心からそう思う。シェリーはただ憧れる対象のヒロインじゃない。ネージュの唯一無二の、 大切な親友なのだから。
敵の襲来を告げる鐘の音が冬の外気を割いたのは、その時のことだった。
カンカンと短い感覚で響く金属音に、人気のないタウンハウス街にあっても空気が騒めくのが感じられた。カーティスの指示によって常より見張りの数を増やしていたのが奏功したようで、見える範囲に敵の姿は確認できない。
女騎士二人は瞬時に鋭くした視線を交わして頷き合った。一緒に年越しをするというすぐそこの未来が叶わないことなど、この時点では知る由もないままに。




