最後の死亡フラグが立ちましたので ①
いやいやいや。私、何様のつもりなの?
年内最後の勤務日となった今日、ネージュは副団長室の執務机に突っ伏していた。脳裏を駆け巡るのはもちろん昨夜の出来事についてだ。
——いやほんと何してんの私。これってまさかとは思うけど、恐れ多くも閣下を待たせてる状況なの?
どんないい女だったら許される所業だそれは。夢なの? 夢でなければ馬鹿なの? 図々しいにも程ってものがあるよ。ああああ恥ずかしいいいい!
しかも、しかも。お、お、おでこに。キ、キ……!
「わあああああ!」
ネージュは頭を抱えて叫び声を上げた。図らずしも陥った状況によって心臓の奥深くがごりごりと削られていくのを感じる。
どうしたら良かったのだろう。なんて可愛げのない女。そもそも未だに実感がないし、もう今頃愛想を尽かされていてもおかしくは……。
混迷する思考回路に絡め取られたその時、木製の扉が軽やかなノックの音を響かせた。
返事を待って顔をのぞかせたのはシェリーだった。今やこの親友に対しても勝手に気まずい思いを抱えているネージュだが、ヒロインの笑顔は相変わらず華やかだ。
「陛下がお呼びよ。雪が降っているから遊びましょ、ですって」
そうして案内された女王専用の庭は、冬である今は花もなく、雪に覆われて森閑としていた。東屋や垣根、薔薇の蔓が巻きついたアーチも全てが白く化粧を施されていて、人っ子一人いない様は情感に満ちている。
「ふふ、いいでしょ? 誰もいないしここなら遊びたい放題よ」
ファランディーヌは得意げな笑みを浮かべていた。どうやら以前雪遊びをしようと誓ったのを覚えていたらしく、藤色の瞳を期待に輝かせている。
「左様でございますね。陛下は何をなさりたいのですか?」
紺色のファー付きコート姿のファランディーヌは、しかしシェリーの問いに困ったように眉を下げた。
「それがね、雪遊びの仕方がよくわからないの。何をしたらいいのかしら」
「そうですね、やはり雪合戦でしょうか? 子供の時分には父とよく遊んだものです。壁を築いて雪玉を五十個製造し、急所への命中は得点が二倍というルールでした」
「わあ、雪合戦ってそんなに本格的なのね。楽しそう!」
シェリーさん違う、それ遊びじゃなくて訓練だ。
ネージュはツッコミを入れるべきか思案した。少々ずれていそうなアドラス家の雪遊び事情は、女王陛下を付き合わせるにはいささかハードすぎる。
「ネージュはどう思う?」
澄んだ藤色の瞳を向けられて、ネージュは脳裏に閃くものがあった。
雪遊びといえば、最初にやることなど一つだ。
「陛下。恐れながら、この広い庭園の中央まで走ります。どうぞお手を」
「走るの? わかったわ」
ファランディーヌは頭上に疑問符を浮かべていたが、素直に頷いてくれた。騎士の黒い革手袋を装着した手に、質のいいフェルトの手袋を纏ったか細い手が重ねられる。反対側の手を握ったシェリーが得たりとばかりに微笑んだのを確認して、三人は雪原の中へと飛び出して行った。
平らに広がる純白に三つの足跡が軌跡を描いていく。自らの吐く息の白と、木々や花壇に降り積もった白が混ざり合い、すぐに境目がわからなくなる。目の前に遮る色彩のない世界はいつにも増して開けて見え、雪に取られているはずの足すら軽い。
ファランディーヌもまた純白の中に自分の作った道だけが転々と跡を残す爽快さに気付いたのだろう。軽やかに笑う横顔は鼻の頭と頬が紅潮していて、積雪を喜ぶ子供のそれでしかなかった。
「気持ちいい! 最高だわ!」
今この瞬間だけはこの国の頂点たる重圧から解放されているのかもしれない。そんな考えを思いついてしまえば、胸の内に喜びと切なさが降り積もっていく。
雪原の中央にたどり着き、パラパラと舞い散る粉雪の中でようやく足を止めた。騎士二人はこの程度で疲労することなどないが、ファランディーヌは既に息を弾ませている。
「あはっ、ふふふ! 走るだけでこんなに楽しいなんて思わなかったわ! 次、次はどうするの?」
既に声を上げて笑っておられる女王陛下だが、もっともっと楽しんで頂きたい。ネージュが真剣に考え込もうとしたところ、ヒロインの行動力は凄かった。
シェリーは分厚く積もった雪のマットに、大の字になって寝転んで見せたのだ。
鈍い音と共に雪の粒が舞い上がって、白いしぶきを跳ね上げる。その豪快な振る舞いにあっけに取られたのも一瞬、ファランディーヌはますます顔を輝かせた。
「何それ、私もやる!」
「はい、陛下! 足跡をつけたら今度はこれです!」
ばふ、と雪の中に飛び込む女王陛下。いつもの威厳はもはや見る影もなく、ただ無邪気にはしゃぎ回る少女の姿がそこにあった。
これは流石にまずいんじゃないだろうか。宰相閣下あたりが見たら卒倒するかも。ああ、最高級のコートがえらいことに……。
「……ええい、私も!」
責任なら最年長たる己が取ればいい。ネージュは観念して、美少女二人の横に倒れ込んだ。
軽やかな笑い声が二つ分聞こえてきたのと同時、ベタつきの一切ない雪が倒れる衝撃を全て吸い込んでくれた。外套の向こうから忍び込んでくる冷たさは不快なものではなく、温かみすら感じるような気がする。




