死亡フラグは序盤からやってくる ②
女王陛下の指定した会議室は、王宮の中でも最も厳重に守られた中心部に位置している。その重厚な扉の前に立ってみれば、せめてバルトロメイが一緒だったことに感謝せずにはいられなかった。
ネージュは元平民ということもあって、あまりファランディーヌ女王とは面識がない。この先の展開には予想がついていても、緊張だけはごまかしきれるものではない。
バルトロメイが心配そうにこちらを見ているのを感じる。しかし何も言えないまま、ネージュは衛兵が扉を押し開くのを待った。
「第三騎士団長バルトロメイ・ガルシア、参りました」
「第三騎士団副団長ネージュ・レニエ、参りました」
一歩前に進んだ二人は、跪いて最敬礼の姿勢を取った。許しを告げる涼やかな声がして、ネージュは恐る恐る視線を上げる。
そこには錚々たる顔ぶれが並んでいた。
長い机の一番向こうに座しているのはファランディーヌで、角を挟んだすぐ隣に宰相クレメイン、その反対側に騎士団長カーティス。そして続く席を埋めるのは、各騎士団の団長と副団長だ。
物凄く見覚えのある光景だった。ゲームの第一章の幕開けにおいて、今後の対策について話す会議の場である。確かにその場にはネージュもいたのだが、こんな重役出勤ではもちろんなかったはずだ。
あまりのことに冷や汗がにじむ。しかし臣下の緊張を知ってか知らずか、ファランディーヌは泰然としたものだった。
「ネージュ、先程はよく私を守って下さいましたね。礼を言います」
「は……はっ! 身に余る光栄にございます、陛下!」
ネージュは再びこうべを垂れた。
緊張でどうにかなりそうだ。ファランディーヌに直接言葉をかけられるのは、半年前に副団長職を拝命した時以来になる。
「最小限の被害で済んだのはあなたのお陰です。身体は大丈夫ですか」
「勿体無いお言葉。いつもより元気なほどでございます」
「そうですか、それなら良かった。今後も働きを期待していますよ」
ファランディーヌは女神のような笑みを見せてくれた。十三という年齢にそぐわぬ落ち着きぶりで、為政者たる存在感を放っている。
年下の少女相手に緊張するなんて情けないと思われるかもしれないが、ファランディーヌだけは別格だ。
立ち居振る舞い、美貌、能力、そして平安たる治世。どれをとっても非の打ち所がなく、主君として戴くに相応しい存在。それがこの女王陛下なのである。
「は! 精一杯努めさせていただきます!」
ネージュは何とかそれだけを述べると、許しを待って席に着いた。向かいにバルトロメイが腰掛けたところで、宰相クレメインが声を上げる。
「それでは、これより御前会議を開催いたします。一同、女王陛下に礼」
騎士達が一斉に立ち上がって胸に手を当てる。今は甲冑を着ていない彼らでも、統制のとれた動作は室内に鋭い音を生み、ますます空気を張り詰めさせる一助になった。
全員が再び座ったのを合図として、ついに御前会議は幕を開けた。
司会を務めるのはクレメインで、一同を見渡す眼差しは先程命を投げ打った男のものとは思えないほど冷静だ。
「皆様ご承知頂いているかと存じますが、本日の議題はブラッドリー公爵の謀反についてです。アドラス騎士団長、現状についての報告をお願い致します」
「はい。結論から申し上げますと、ブラッドリー公は陛下の暗殺に失敗の末逃亡。そしてつい先程、領地に帰還した公爵より宣戦布告が届きました。曰く、あらゆる手を使って玉座を奪う、とのこと」
指名を受けたカーティスは特に資料を見ることもなく、堂々と経過を諳んじてみせる。友人が謀反人となった彼の心境は如何ばかりだろうか。
「被害状況は負傷者一名でしたが、その負傷者たるレニエ副団長はこの通り。大広間は閉鎖の上、団員に片付けに当たらせております」
「承知しました。ご苦労様です、アドラス騎士団長」
クレメインが理解の意を告げると、女王を除く全員が難しい顔をして黙りこくった。
彼等にとっては想像だにしない難局なのだ。各騎士団長の力に匹敵する部下を従えたブラッドリー公が謀反人になったとあっては、王宮を二分する事態だと言っても過言ではない。
皆が言葉を失う中、最年長のバルトロメイが思案げに口を開いた。
「動機は如何なるものでしょうか。和解案はございますかな」
そう、ブラッドリー公爵の謀反の動機。今のところネージュ以外はごく限られた者しか知らないであろう、その理由は。
「ブラッドリー公は以前から玉座を狙っていた、それだけのことです。直系であれば即位に性別も年齢も関係ない……それが許せなかったのでしょう。叔父上は優秀ゆえに。和解の道があるとするならば、私が玉座を譲ることに他なりません」
「陛下、そのような!」
宰相が一瞬にして顔を青ざめさせる。進退に言及した為政者によって一同に緊張が走るが、ネージュはもちろん冷静だった。
謀反の動機はそんな単純なものではない。マクシミリアンの心中にあるのは復讐、ただそれ一つなのだ。
マクシミリアンの妻ハリエット——要はシェリーの母は、十八年前に病気で亡くなったとされている。しかしそれは表向きの死因で、実のところは前前国王のナサニエルに手篭めにされた上での自死なのだ。
本当に胸糞の悪い話で、ゲームプレイ時は不快な気分になったのを覚えている。要するにマクシミリアンは異母兄に妻を犯された挙句に失った。復讐を誓った彼は娘に何かあってはいけないと、生まれたばかりのシェリーを病で亡くしたことにして、友たるカーティスの養子としたのだ。
そうして十年の時を経て、マクシミリアンは秘密裏に復讐を遂げた。ナサニエルには子がいなかったため、二番目の兄アレクシオスが国王に即位する。
しかし全てが終わったと安堵していたマクシミリアンは、ある日知ってしまうのだ。復讐の発端から全て、アレクシオスが自身こそを直系とするために企てた計略だったのだと。
王家の兄弟は全員が異母兄弟だったが、マクシミリアンとアレクシオスは仲が良く、だからこそ絶望は深かった。
彼はまた兄を殺した。シェリーを娘として育てるには、その時点で罪を重ねすぎていた。
そして即位したのがアレクシオスの一人娘たる、現女王ファランディーヌだったのだ。
「もちろん、私は自身の使命を放棄するつもりはありません」
女王はそれを知らない。疎遠だった叔父が、ついに権力の亡霊と化したのだと思っている。
この中で唯二人、本当の動機を知っているのは。
「陛下。貴方様が使命を抱くのなら、貴方様をお守りすることこそが我々の使命です」
カーティスが強い決意を込めた瞳で言う。
そう、彼は勘付いている。兄二人を手に掛けて復讐を遂げたはずの友が、ようやく成人を迎えた姪を標的に据えたこと。前国王の野望を完全に潰えさせることこそが、復讐の大目標とされたことに。
——うん、本当、何その重い話……。
ネージュは一人考え込んでいた。こんな場でなければ机に突っ伏したいくらいの状況だ。改めて現実を直視すると、海よりも深い因縁に尻込みしてしまう。
「お命じ下さい、陛下。我らの総力を持って、必ずや成し遂げてご覧に入れましょう」
騎士の空色の瞳に射抜かれて、女王陛下は瞼を閉じる。そして再び開けた時には彼女の藤色の瞳が燃えていたのを、ネージュは確かに感じ取った。
「ブラッドリー公を止めなさい。そして我が民を守るのです」
全員が鋭い声を上げ、座したまま略礼をとる。確かな信頼関係で結ばれた主従の絆は目に見えるようで、ネージュはとても嬉しかったし、同時に頼もしいと思った。
頑張らなければ。未来を信じる彼らに、全てが終わった瞬間を見せてあげたい。
それは騎士団の一員としての、裏表のない願いなのだから。
「では、先鋒は我が第二騎士団に務めさせて頂きたい! 必ずや謀反人を縛り上げてやりましょうぞ!」
誰よりも通る声で申し出たのは、第二騎士団団長ハンネス・オルコットだった。
固そうな赤茶の髪を後ろに撫で付け、モスグリーンの瞳を意欲的に煌めかせた男。強面の顔に浮かぶのは憤りか。
血気盛んな彼が率いる第二騎士団は、自然と血の気の多い者が所属するようになり、今や切り込み隊長的立ち位置を獲得している。副団長のフレッドもハンネスとは気が合うようで、今も覚悟を表情に乗せて黙していた。
ハンネスは侯爵位を持つ貴族であり、二人の子供と素敵な奥方を持つマイホームパパだ。
ゲーム中では何と真っ先に死ぬ。フラグを立てまくった上で綺麗に死ぬ。彼の死は全プレイヤーにこのゲームの方向性を印象付け、絶望のどん底へと叩き落としたものだ。
カーティスは勢い付いた部下に視線を移して困ったように笑った。彼らは同期の間柄だ。つまりハンネスもまたマクシミリアンと友人同士であり、謀反の真相を知る一人でもある。
「オルコット団長、落ち着きなさい。なんで早くも総力戦の構えなのかな」
「ここまでのことをしでかした友の始末はこの俺がつける! どんな作戦であれ、先陣を切るのは俺の仕事だ!」
「残念ながら、攻撃を仕掛けるのはまだ先だ。今一番に考えるべきは、敵戦力の把握だよ」
ネージュは俄かに緊張した。ヘビーユーザーたる記憶が語るところによれば、この後はブラッドリー領への偵察任務に誰が行くかという話になる。
そこで立候補するのが、何を隠そう我らがヒロイン、シェリーなのだ。
そしてこの任務、ちょっとした選択ミスで即死亡という、序盤にしては恐ろしい難易度を誇っている。つまり誰も死なせないためにネージュが取るべき行動はただ一つ。
「アドラス騎士団長のおっしゃる通り、まずはブラッドリー領への偵察を行います。非常に危険な任務ですので、適任者がいれば推薦をお願い致します」
「宰相閣下、その任はぜひ私に!」
ネージュは気迫を込めて右腕を直立させた。
一同の視線が瞬時に集まって、心臓が嫌な音を立てたのを遠く感じる。死地へと一歩踏み出したという事実に、全身が冷えていくような心地がした。
でもこれしかない。皆の死という運命を回避するには、これしかないのだ。