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父娘会議

 ゴードン脱出騒動の次の日の夜。アドラス侯爵家において、父娘の話し合いの場が持たれていた。

 場所は食堂。長い食卓の端に対面に腰掛けた二人の手元にはコーヒーが置かれていたが、緊張した様子のシェリーは手を付ける気が無いようだ。


「父上、お話というのは……」


 カーティスはにこりと微笑む。シェリーが神妙に頷いたのを確認して、単刀直入に切り出した。


「シェリーはアントニーと結婚して家督を継ぐ気はあるかい」


 率直な質問にシェリーが俄かに目を見開いた。しかし話の内容を予感していたようで、すぐに落ち着いた笑みを浮かべて見せる。


「やはり、家督についてのお話でしたか」

「ああ。いい加減に考えていかなければならないと思ってね」


 なんだかんだで先延ばしにされていた話題。お互いに避けているのを知ってはいたが、話さなければならないと感じるタイミングも同じだったらしい。


「わかりました。それでは申し上げますが……私は、どちらでも構わないと思っています」


 予想そのままの返答を得て、カーティスは笑みを絶やしはしなくとも少なからず落胆した。

 やはり気を遣わせてしまっているのだろうか。養父の意向に背かないよう、窮屈な思いばかりをさせているのだろうか。

 しかし暗澹たる思いはシェリーの続く言葉によって遮られた。


「父上。私は騎士を続けられるならそれでいいのです」


 力強い翡翠の眼差しに愕然とする。

 はっきりと自らの将来について語る姿は眩しく、成長を感じるばかりのものだった。


「きっかけは父上に憧れてのことでしたが、実際に務めてみるとどれほど過酷な仕事なのかがわかりました。最初は訓練が辛くてやめようかと思ったほどです。しかし続けるうちに少しずつ、この仕事のやり甲斐が分かってきました」


 民に感謝されて嬉しかったこと。いきなり出世したのは大変だったけど、部下が慕ってくれるから頑張れること。辛さの分だけ誇り高くあれること。

 シェリーは語る。自らの意思で騎士になったのだと。


「女王陛下は社交界に馴染めない私を幼い頃から気にかけて下さいました。陛下にお仕えするのなら、直接お守りできる騎士という形以外考えられません。私の望みはそれだけなのです」


 燦然とした輝きを見せつける娘を前にして、カーティスはしばし沈黙したのちに苦笑をこぼした。

 まさかここまでの覚悟を固めているとは思わなかった。子供というものは親の予想など遥かに超えて、驚くべき成長を示すものなのか。

 結局のところカーティスの考え全てが杞憂でしかなかった。親がどれほど心配したところで足枷にしかなりはしない。この強い意志を持った一人の騎士を前にして、飾り立てた言葉など不要なのだ。


「シェリーの考えはよくわかった。どうやら私が決めるしかないようだ」

「はい。父上のご希望通りに」

「ではこうしよう。あと一年、君に結婚相手が現れなかったら……その時は家督を継いでもらう」

「……え?」


 珍しく惚けたような声を上げたシェリーは、どうやらすっかり家督を継ぐよう言われると思い込んでいたらしい。

 すっかり度肝を抜かれた様子で固まった後、勢いよく立ち上がったシェリーの顔は、焦りと怒りで真っ赤に染まっていた。


「ち、父上! 私は騎士を続けたいと申し上げたはずですっ! この家を出てまで結婚をするなど、あり得ません!」

「おや、騎士を続けさせてくれる理解ある男がいるかもしれないじゃないか。シェリーはまだ若いんだ、今のうちから未来を固めて視野を狭くするのは良くないよ」


 シェリーは四角四面に過ぎるきらいがある。職務にばかり邁進してきたせいで、普通の幸せというものをあまり知らないのだ。

 時を経た後であの時こうしておけばよかったとは思って欲しくない。一年間自分を見つめる時間を持つのが、今のカーティスに提案できる最良の折衷案だ。

 シェリーも父の考えに思うところがないでもないらしく、ぐっと言葉に詰まると悔しげに椅子に腰を下ろした。反論が下手なところがまだまだ子供だ。


「……わかり、ました。父上の仰るようなことは起きないと思いますが、一年間視野を広げる努力をします。それでよろしいですか」

「ああ結構。頑張ってね、シェリー」


 再度にこりと微笑んでやると、あからさまに不満げな視線が返ってきた。シェリーはさも面白くなさそうに口元を曲げたまま、中々に確信をついた言葉を放り投げてくる。


「……父上だって、恋人もいないくせに」


 カーティスは眉を微かに動かしてしまった。しかし動揺を悟られることはなかったらしく、シェリーは愚痴っぽい声で鋭い指摘を繰り出し始めた。


「全然そういう話がないんですもの、がっかりです。ずっと楽しみにしていたのに」


 そんなことを考えていたのかと、カーティスはついに素直な驚きを表情に示した。

 知らなかった。たまに結婚しないのかと聞かれてはいたものの、その心境については測りかねていたのだ。まさか単純に期待されていたとは思いもしなかった。


「父上には幸せになって頂きたいのです。ご結婚をなさらないのは、私のせいですか?」


 不満そうにむくれる表情は久しぶりに見るものだった。

 翡翠の瞳の中に不機嫌という感情で覆い隠した不安が見え隠れしている。その色に気付いたカーティスは、ここ最近でも屈指の衝撃を受けた。

 そうか、シェリーは。自分のせいかもしれないと、ずっと。


「シェリー、そのことなんだけどね。実は大切な人がいるんだ」


 するりと飛び出した言葉は、今回の会議で伝えようとしていたものだった。

 指摘された通り、今までずっとシェリーのせいにしてきた。カーティスは怖かっただけだ。シェリーの意に沿わぬ結果となるのが。そして、何よりも想い人に振られるのが。

 けれどそんな情けない話はないと、昨日のネージュとの会話で思い知ったのだ。

 彼女はひたむきだった。一生懸命に騎士になった理由を打ち明けてくれた。自分ができないことを誰かのせいにする、そのような行為は騎士道に反する。

 シェリーはしばらくの間、翡翠の瞳をまん丸に見開いたまま静止していた。やがて見る見るうちに頬を紅潮させると、喜色満面と言った様子で身を乗り出してきた。


「ち、父上! まさかけっこん……!?」

「いや、全くそういう関係ではないよ。私が想っていることも彼女は知らない。ただ、頑張ることにしたからね。君もすぐに気がつくだろうから、義理を果たすためにも先に報告をと思って。まあ振られたら笑ってくれ」


 とは言っても、振られるつもりはないけれど。

 本気を出す。全力で行く。断る気なんて微塵も起きないように、外堀を埋めて甘やかして、若い男など眼中に入らないようにしてやる。

 ネージュがロードリックと名前で呼び合い、あまつさえ庇い立てした時は本当に煮えそうだった。しかもスカートまで履いていたのだ。いつも飾らないズボン姿の彼女が、他の男のためにスカートを。

 握りしめたティーカップの取手に亀裂が入った。ここまでの嫉妬を感じるくらいなら、さっさと手に入れてしまった方がいい。


「それはつまり、私の知っている人ということですね!? 誰ですか? 教えて下さい!」


 シェリーの興奮しきりと言った問いかけに、カーティスは捕食者の顔を消して穏やかな笑みを返して見せた。



 次の瞬間、侯爵令嬢の歓喜の悲鳴が屋敷中に響き渡った。その声を居候の女は訝しげに聞き留めていたという。


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