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それはとある冷えた夜の出来事 ①

 どうしてここに。恩知らずなだけでは飽き足らず、黙ってこんなことをした愚かな部下を、わざわざ助けに来たというのか。

 ネージュはすっかり蒼ざめてしまったのだが、何かを言うより先にカーティスは前を向いていた。

 底冷えするような冷気が場を支配していて指先すらも動かすことができない。相対する男たちは互いの動向を注視しており、周囲の雑音など耳に入らないと言わんばかりだ。


「引け、エスター」


 カーティスの表情は伺えなかったが、短く告げたその声音から微笑んでいないのが感じ取れた。対するエスターは構えを解くと、いつもの麗しい笑顔を浮かべて見せる。


「騎士団長閣下、レニエ副団長は裏切ったのです。裏切り者は始末しなければ」

「レニエ副団長は裏切り者などではない。エスター、君の仕事は何だ」


 ほんの一瞬、エメラルドの瞳にゾッとするほど冷たい色が宿る。貴方までこの女の仲間なのかと、不信感を雄弁に物語るその色にネージュは言葉を失った。


「……明かすことのできないお考えがあると?」

「ああ、その通りだ」


 カーティスの声音はどこまでも静かなのに、聞くもの全てをひれ伏させるような力があった。しかし微笑むエスターから放たれる殺気は緩むことがなく、じっと己の唯一の上官を見据えている。


「閣下。私はファランディーヌ様をお守りするためならば、どんなにこの手が血に染まろうと構わないのです」


 第四騎士団長が掲げる信念は、ゲームをプレイした記憶の中に焼き付いていた。

 エスターは冷酷な男だ。ただしそれは女王陛下を守ろうとしてのこと。彼は少数民族の出身で、戦に飲まれて民族ごと消滅しかけたところを、幼き日のファランディーヌに救われたという過去を持つ。


「貴方よりも沢山の人をこの手にかけてきました。その命令は私の覚悟に背くことではないと断言できますか」


 エスターの表情から笑みが消え去る。

 今この場に居るもの全員が、彼の譲れない一線の上に立っている。守るものの為に汚れる覚悟を固めた者に、ごまかしなど通用しないのだ。


「君の覚悟を裏切るようなことは絶対にしない。もし女王陛下に何かあれば、その時は私の首を取りに来るといい」


 静かに告げられた返答は静かな決意に満ちていた。

 ネージュは震えそうになるのを我慢するために、ゴードンを抱えていない方の手を痛いほど握りしめなければならなかった。

 そんなにも信用してくれようと言うのか。あんな妄想めいた話を。命をかけてまで、おかしな部下を庇おうとする程に。


「……私の実力では、閣下の首を取ることなどできませんよ」


 ふとエスターの双眸が緩んで、苦笑じみた吐息が薄い唇からこぼれ落ちる。彼は踵を返す寸前、いつもの綺麗な笑みを浮かべてネージュを一瞥した。


「今のところは信用します。もし何か妙な真似をすれば……その時は、容赦しません」


 柔らかい声に似合わぬ脅し文句は細身のシルエットと共に夜の森に溶けて消えた。エスターがいなくなった途端に呼吸がしやすくなって、ネージュは大きく息を吐く。

 危なかった。助けがなければ本当に死ぬところだった。

 冷え切った手で胸を抑えた時、カーティスがこちらへと振り向いた。空色の瞳が映す感情が読み取れず、指先の心臓がナイフで刺されたような痛みを訴え始める。

 どうしよう、きっと怒っている。謝らないと。でも、声が……声が、出てこない。


「貸してごらん」


 しかしカーティスの第一声はどんな予想からも外れていた。声を掛けられたと思った時には肩から重みが消え、ゴードンの体はカーティスによって担ぎ上げられていたのだ。

 見ればゴードンは気絶していて、そういえばエスターが切りかかってきた頃からずっと反応がなかったなと思い出す。恐怖心で気絶とは、これまでいったいどんな目にあったのだろうか。


「あの、騎士団長閣下!?」

「いいから。君に男を抱えさせておくほど、私も心が広くないからね」


 カーティスが真顔でよくわからないことを言うので、ネージュはつい首を傾げてしまった。どういう意味だろう、何かの言い間違いだろうか。


「あ、ありがとうございます……。どうしてここがお分かりに?」

「王宮に来たらゴードンが逃亡したと聞いてね。第一騎士団員の配置から判断して裏門だと思ったんだ」


 流石の判断力に舌を巻く。カーティスはいつもと変わりのない笑みを浮かべていて、ネージュはほっと息を吐きそうになったが、言わなければならない事が無くなるわけではなかった。

 激しい運動で斜めになった帽子とメガネを取り去る。ネージュはまっすぐに空色の瞳を見つめると、深々と頭を下げた。


「危ないところを助けて頂きありがとうございました。また、無断での行動に対するいかなる罰も覚悟しております。大変申し訳ございませんでした」


 腰を直角に折ったまましばしの時間を過ごした。ややあって軽快なため息が頭上から降ってきたので、ネージュはゆっくりと顔を上げていく。


「……レニエ副団長が無茶をするのは、優しいからなんだろう」


 カーティスは許すとも許さないとも言わず、代わりに返ってきたのは優しい微笑みだった。

 しかしその笑顔はいつもと少し違っていた。例えて言うならば手の届かないものを見るような、どこか寂しげな気配を漂わせているような気がした。


「私とバルトロメイ団長の立場を気にして一人で行動したんだね」

「……はい。そうです」

「そうか。不甲斐ないものだ、私も」


 ぽつりと落とされた自虐的な台詞に、ネージュは更なる後悔を覚えて息を飲んだ。


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