救出作戦始動!
「……随分良くなった。礼を言う」
しばしの時間が過ぎた頃、ロードリックがまず口にしたのは感謝だった。
そのしおらしい様子に、ネージュは素直な驚きのまま目を見開いてしまう。たまに遠くで見かける彼は冷酷で強靭な騎士という印象だったのに、こうして向き合ってみると存外可愛げがあるではないか。
「それなら良かったです。立てますか」
「ああ」
短く言って立ち上がったロードリックに釣られて、ネージュもまた立ち上がる。
浅葱色の瞳を持ち、焦げ茶の長髪を一つにくくった彼は、大人しくしていればカーティスと並び立つほどの美青年だ。ゲームの記憶を取り戻したネージュは、彼は冷酷な人物ではなく、ただマクシミリアンに忠誠を誓う誠実な騎士だということを知っている。
ネージュはひとまずベンチに腰掛けて、ロードリックも隣に座るよう促した。不敬にも程がある態度だが、謀反を起こした相手に遠慮するのもおかしな話だ。彼もまたそれを理解しているらしく、大人しく腰掛けてくれた。
「それで、どうしてこんなところにいらっしゃったのですか」
これについて聞いてみないことには話が始まらない。
一体どうして黒豹騎士団長ともあろう者が、こんなところで一人うずくまっていたのか。攻撃される危険はもちろんあるが、ネージュには底なしの魔力がある。またとないこの機会、最大限活用するように努力してみよう。
「……仕方ない、助けてもらった礼だ。答えよう」
ロードリックは静かに言った。
やはり彼は本来ならば義理堅く、騎士の中の騎士といった性格の持ち主なのだ。その返答に確信を得たネージュは、話の続きを促すべく頷いてみせた。
「貴殿は知っているか。我が黒豹騎士団の幹部、ゴードンが王立騎士団に捕らえられていることを」
ネージュはまたしても驚きを素直に顔に出してしまった。ロードリックもその表情から察したのか、遭遇した当初よりも随分と表情を緩めている。
「わかりやすい人だ。……要するに、私はゴードンの救出に来たというわけだ。あれは私の数少ないまともな部下の一人でな、失うには惜しい人材なんだ」
「それでわざわざ騎士団長ともあろうお方が、単身敵陣に乗り込むと?」
「ああ。残念ながら、持病が出てこのザマだがな」
苦笑をこぼした端正な横顔には、明らかな疲労の色が滲んでいた。
ネージュはヤンの疲れ切った様子を見たときのような気持ちになってしまった。部下思いで責任感のある彼もまた、人知れず苦労を重ねてきたのかもしれない。
——なんとかしてあげたいなあ。
湧き上がってきた感情は否定する理由のないものだった。
ゴードンは解放されない限り死の危険からは逃れられない。しかも彼さえ救ってしまえば全面戦争の可能性も、ヤンの裏切りも完全に無くなるのだ。
ここまで強大な戦力が側にいるのだから、行動を起こすチャンスは今しかない。
「わかりました。共にゴードンさんを救いましょう!」
「……は?」
握りこぶしを作って立ち上がったネージュに、流石のロードリックも大きく口を開けた。何言ってるんだこの女と言わんばかりの表情だが、怯んでいる場合ではない。
「理由について多くは語れませんが、私は黒豹騎士団にも死者を出したくないんです。今だけ貴方の仕事に協力します」
「なっ……何を甘いことを言っているんだ!? そんなことは無理だ! そもそも私は先の王立騎士団本部襲撃の指揮官なんだぞ!」
ロードリックの言い分は明らかに敵を心配してのものだった。やはり信用できると確信を得て、ネージュは笑みを深めてみせる。
「ああ、そのことなら良いんです。人的被害はほぼゼロだったので」
からりとした口調で申告された衝撃の事実に、ロードリックはついに言葉を忘れたらしかった。
機密事項たる情報を漏らしたのは信用を得るためだけではない。
ゲームの記憶が示すところによれば、魔獣の王都襲来まであと一月ほど。指揮官が不調を訴えているこの状況で、わざわざ騎士団本部襲撃の危険を冒すとは思えないからだ。
「何も言わずに恩人を信じてください。お願いします」
強い眼差しで言い切ると、探る浅葱色の瞳が見つめ返してくる。ロードリックは少しの間をおいて、やれやれとばかりにため息を吐いた。
「交渉ごとまで上手いときたか。わかった、貴殿を信じよう」
王立騎士団と黒豹騎士団は有事の際には協力関係となる。
その本質を同じくし、時に互いを高め合う間柄ゆえにこの政争は残酷さを増す。
それでも。だからこそ、完全な敵対関係にあってもこうして握手を交わすことができるのだ。
「よろしくお願いします。チェンバーズ騎士団長閣下」
ネージュは大きな手を握り締め、つい嬉しくなって微笑んだ。するとロードリックは思案するように目を細めて、すぐに首を横に振る。
「名前でいい。貴殿に敬称で呼ばれる所以はない」
驚くべき申し出に、ネージュは目を丸くしてしまった。
しかし考えてみればその通りだ。急病とはいえ気安い態度を取ったのはネージュからなのだし、敵対する者同士が一時休戦するなら、何者でもない者同士として接するのが一番なのかもしれない。
「わかりました。では、私のことはネージュと。ロードリックさん」
「ああ。よろしく頼む、ネージュ」
そうして、ロードリックは小さな笑みを見せてくれた。
彼が笑ったのを始めて見た。もしこの表情が仮初めでも信頼から来るものだとしたら、この作戦は上手くいく。
一時的とはいえ心強い味方ができたことに安堵するネージュだが、ふと頭をよぎった罪悪感に微かに息を飲んだ。
——アドラス騎士団長閣下はきっと呆れるだろうな。感謝を伝えたかったのに、それも後回しになっちゃった。
こんな大それたことをしようというのだ。もし捕まれば反逆者として処刑、良くても投獄の上尋問だろう。
しかしカーティスやバルトロメイにもできないことがある。仲間がせっかく捕まえてきた捕虜を理由もなく逃すわけにはいかないのだから、ネージュが強硬手段を取るしかない。
そう、どれ程の危険を犯すことになっても。




