想いのゆくえと突然の出会い ①
これは何だろう。見覚えのある街並みだが、どこなのかはいまいち判然としない。時期はおそらくこちらと同じ年末で、クリスマスの気配を漂わせた街を行き交う人々は華やぎに満ちている。
ああそうか、これは誰かの視点なのだ。か細い手が見えた瞬間にふと視界が流れて、『彼女』はハイブランドのショーウィンドウを覗き込んだ。
違う。ブランド品ではなく、自分の姿を見ている。
その瞬間、あ、と思った。
この女性のことを以前にも夢に見た。そう確か、謝られて。「あの子と友達になってくれてありがとう」と、そう言ったのではなかったか。
黒髪の女優ばりに綺麗な女性。それなのにこの世の深淵を覗いたような空虚な瞳をしているのは、一体何故なのだろう。
灰色のチェスターコートのポケットが振動した。彼女はその途端にショーウィンドウから目を逸らして歩き出す。装飾品をつけない綺麗な手でスマホを取り出して、耳に押し当てて。
その瞬間に視界が途切れた。
*
ネージュは体の痛みで目を覚ました。ぎしぎしと軋む肩を動かして絨毯に両腕を付き、そこでようやく客間の床に転がっていたことを知る。
窓の外は未だに暗いが、体の痛みが長い時間眠って過ごしたことを証明していた。ランプに魔法で明かりを灯して時間を確認すると、壁掛け時計が示す時刻は午前五時前。
今の映像は何だろう。神に呼び出されて得た情報よりも、正体不明のあの女性のことが気になって仕方がない。
以前も夢に見た人。彼女は日本に住む日本人だったのか。そしてこの仮説が正しいとして、どんな意味を持つのだろうか。
——いや、ぜんぜんわかんないな。
ネージュは考え始めてすぐに首を捻った。
転生したという自身の都合上、物凄く大事なことのような気がするけれど、何せ判断材料が少なすぎる。考えても答えは出ないし、せめて記憶をメモするだけしておこうか。
しかし立ち上がったところで異変に気付いた。目が腫れぼったくてうまく開かない。泣きながら眠ったのだから当然だが、ネージュは自らの情けなさに苦笑するしかなかった。
泣いてそのまま眠ってしまうなんて子供みたいだ。失恋とはこんなに苦しいものだったのか。
しっかりしなければならない。神によって真ルートに入ったことは証明された。この先は間違いなく魔獣がやってくるし、ヤンの問題も未だ解決を見ていないのだ。
ネージュは両手で頬を打って立ち上がった。
シャワーを浴びたらすぐに仕事に行こう。今は流石にカーティスの顔が見れないが、せめて明日からはいつものように笑わなくては。
今日だけはカーティスを避けることにしたネージュは、一人夜の王都を彷徨っていた。騎士服の上にコートを羽織ってしまえば、平凡な顔立ちの女騎士は簡単に街に溶け込むことができる。
行き交う人々は年末の喧騒に気分を高揚させ、誰もが楽しそうに笑っていた。この世界にクリスマスはないが、大晦日は一年でも一大イベントのため、それに向けての準備で活気付いているのだ。
ネージュはといえば勤務後を楽しんでみようと街へ繰り出したは良いものの、遊んだことがないので遊び方がわからない。常備薬などの買い出しだけに終わったのは、真面目を通り越していっそ滑稽だった。
自然と足が向かったのはかつて子供時代を過ごした孤児院。カーテン越しのリビングに明かりがついているのが確認できて、ネージュはひっそりとした笑みを浮かべる。
かつては頻繁に足を運んでいたのだが、知った仲間も全員が独立したため、今は寄付を振り込むだけになっていた古巣。外観までもが以前よりも見違えるように綺麗になったブルーバレイ孤児院は、カーティスと出会った思い出の場所だ。
——こんな気持ちなのにここへ来てしまうなんて、馬鹿だなあ。
ネージュは俯いて苦笑を漏らした。夕飯時に邪魔するわけにはいかないし、観念してもう帰ろう。そう決意して踵を返したところで、背後から物音が発した。
「ネージュ……? やっぱり、ネージュじゃないの!」
振り返った先、玄関を開けて微笑んでいたのは、院長を務めるパメラだった。
出会った時は五十代だった彼女はいつしか目尻のシワを増やして、穏やかさを増した微笑みをその顔に浮かべてる。
あれよあれよと言う間に施設内に導かれてしまうと、そこでは子供達が夕飯を取っているところだった。見知らぬ大人に驚きの声を上げる彼らは、ネージュがいた頃とは比べ物にならない程健康そうだ。
「お姉さん誰!? どーしてズボンなの?」
子供とは素直なもので、自身の常識外のことを見るや疑問を口にする。ネージュは笑って、元気な少年と視線を同じくした。
「仕事の制服なの。騎士って知ってる?」
「騎士!? お姉さん、騎士なの!? スッゲー!」
途端に場が沸き立って、女の子も男の子も目を輝かせてネージュを見た。
今も昔も騎士は子供の憧れなのだ。その理想像が崩れなかったのは、カーティスたちが成し遂げた暗殺によるもの。
「ネージュ・レニエさんよ。第三騎士団の副団長を務めておられるの。なんと、この孤児院の卒業生なのよ。みんな失礼のないようにね」
パメラの紹介に全員から軽快な返事が返ってくる。
勧められるままに着席すると、すぐにクリームシチューとパンが供されてしまった。孤児院の貴重な食料を分けて貰うわけにはいかないと慌てたネージュだが、こちらを見つめる子供達の表情は優しかった。
「みんなで作ったシチュー、美味しいよ?」
「ネージュお姉さん、いつもお仕事お疲れさま。いっぱい食べてね」
なんのてらいもない笑みを向けられて、ネージュはちょっと泣きそうになってしまった。
騎士になってこの笑顔を守りたいと思った。そう願ったのはカーティスのお陰で、今この時代の平和があるのも彼の力によるもので。
とても返し切れる恩じゃない。こんな不毛な想いを抱いている時間があるなら、少しでも悲しい未来を回避することに力を注がなければ。
礼を言ってシチューを口に運ぶと、よく煮込まれた優しい味がした。美味しいと微笑みながら食べていたネージュは、不意にパメラが目を細めている事に気付いて視線を合わせた。
「ネージュはすっかり立派になったのねえ。ほら、アドラス様がこの孤児院を窮状から救ってくださった時、たしか副団長であらせられたでしょう?」
同じ階級にまでなってしまったのねと微笑むパメラに、ネージュはゆっくりと首を横に振った。




