ヒロインの出自に謎がある ④
この誕生会はマクシミリアン・ブラッドリー公爵の宣戦布告の舞台となる。
マクシミリアンは女王の叔父であり、現在の王位継承権一位たる男。とある理由から女王を廃そうとしており、以降は彼が従える黒豹騎士団と血で血を洗う激闘を繰り広げていくこととなる。
対する女王陣営が要するのは、四つの騎士団で構成された王立騎士団である。団長と副団長が各騎士団に一人づつ存在し、そしてその全ての上に立つのが騎士団長カーティス。ネージュにとって重要なのは、話の先を知っているという唯一の利点を活かし、皆の死亡フラグを片っ端からへし折るということ。
ネージュは厳しい視線を会場内に注いだ。いつしか招待客が出揃い、頃合いを見計らってのファンファーレが鳴り響く。その途端に会場は静まり返り、その場の全員が礼をとって顔を俯けた。
「ファランディーヌ・エミリア・グレイル女王陛下の、お成ーりー!」
侍従が高らかに宣言すると、扉の開く音に次いで衣擦れの音が聞こえてきて、ネージュは顔を上げたい気持ちをぐっと堪えなければならなかった。
「面をあげよ」
それは可憐なようでいてあたりに響き渡る声だった。為政者として人を従わせる事への覚悟を滲ませたそれに、ネージュはゆっくりと顔を上げる。
そこにはまた一段と美しく成長した女王陛下がいた。
今日で御年十三歳。この国においては成人となる記念すべき日だ。ライトブルーのドレスを身に纏い玉座に堂々と腰掛けた様は、思わずこうべを垂れたくなるような気品に満ちている。
玉座の前には赤いカーペットの敷かれた階段があり、途中にはカーティスと四人の団長たちが、式典用の白い騎士服を纏って並び立っていた。
ああ、知ってる。この光景。
その様はゲームのイベントそのもので、ネージュはつい瞳に涙を滲ませてしまった。
今更のようだがここがゲームの世界であることを実感したのだ。今まで彼らと共に志を同じくしていたことが嬉しかったし、同時に悲しかった。一歩間違えれば本当にこの人たちが死んでしまうというのか。
「今日は私の誕生日を祝うため、このように皆が集まってくれたことを嬉しく思います。そなたらにとってこのひと時が楽しいものとなることを」
ファランディーヌは藤色の瞳を細めて微笑んだ。同時にティアラで飾られた金髪が艶やかな光を反射し、その美しさに会場から溜息が上がる。
隣に立つ宰相から、ファランディーヌへグラスが手渡された。彼女はそれを優雅に掲げると、堂々とした音頭を取る。
「それでは、乾杯」
会場中からグラスの音が鳴り響き、いよいよ誕生会は始まりと相成った。
ネージュは乱暴に目元を拭った。呆けている場合ではない、この後に起こる惨劇を必ず止めなければ。
ゲームにおいてネージュはこのプロローグに登場しない。それが玉座から離れた位置での警備に当たっていたからだとは、プレイ中には考えもしなかった。
持ち場を放り投げて歩き出す。この後すぐにシェリーが女王にお祝いを述べにいくのだが、その直前に事件が起こるのだ。
見れば女王へお祝いを述べるために並ぶ貴族たちの先頭に一人の男が控えている。
マクシミリアン・ブラッドリー公爵。シェリーの実の父であり、銀髪と血のような赤い瞳を持った美丈夫だ。
友人であるカーティスはもちろん微塵も警戒していない。ライオネルも、他の団長たちもそれは同じ。それなのに後ろに回したマクシミリアンの手に魔力がまとわりついている。
ネージュは列に並ぶシェリーには目もくれず、魔力を使って音速に近い速さで階段を駆け上がった。あっけにとられた人々の中、ネージュは宰相クレメイン侯爵だけがマクシミリアンの暴挙に気付いていることを悟る。
二十代半ばと歳若い彼は年齢にそぐわぬ辣腕ぶりで有名だ。しかしこのプロローグにおいて、女王をかばって命を落とす。
そんなことさせるものか。ネージュは強い意志に突き動かされるまま剣を抜きはなった。
「土篭りの盾!」
ネージュが築いた防御魔法陣と、マクシミリアンが放った紅い炎の魔法が衝突し、凄まじい衝撃波を生み出した。
轟音が玉座一帯を揺らし、階下からは貴族たちの悲鳴が上がる。誰かが名を呼ぶのが聞こえたが確認する余裕はない。
一撃で終わると予見しての攻撃だったらしく、その威力はある程度抑えられたものだったが、ネージュの魔力はもう限界だ。それをもう一撃加えられたりしたら。
しかし緊迫の時間は長くは続かなかった。崩れ始めた魔法陣の向こうに紅い炎を絡め取る青い炎が発したのは、存外すぐのことだった。
この青い炎には覚えがある。騎士を目指すきっかけとなった、この見事な炎の持ち主は。
ネージュは気が抜けてしまい、魔力の放出をやめて膝をつく。一瞬で消え失せた防御魔法陣の向こうには、今この瞬間に敵同士となった男たちが相対していた。
カーティスは青い炎をまとわりつかせた剣を構えており、マクシミリアンもまた魔力のほとばしる掌を友人へと向けている。彼らは階段を挟んで睨みあったまま一歩も動かない。どちらが魔力を放っても、お互いただでは済まないことをよく理解しているのだろう。
先に動いたのはマクシミリアンだった。
彼はおもむろに掌を下ろすと階段の下から女王を睨みあげた。少女に向けるにはあまりにも憎悪に満ちた視線に、ネージュは思わず息を詰める。
「……残念だ。今日この場で息の根を止めて差し上げた方が、地獄を見ずに済んだというのに」
ゲームで周回するたびに聞いた台詞だ。実際に同じ空間で聞くと、そこに宿る仄暗い怨嗟に背筋が凍る。
「残念とはこちらの台詞です。叔父上」
ファランディーヌはいつしか玉座から立ち上がっていて、静かな声をマクシミリアンに投げかける。その側では宰相が鋭い視線を反逆者に向けており、それは階下の騎士たちも同じだった。
「我が騎士たちよ、反逆者を捕らえなさい」
朗々とした勅命と同時、騎士団幹部たちが一斉に動いた。
ネージュはもう足腰も立たないほどだったし、何よりこの大事件の顛末を知っていたので、遣る瀬無い思いでその光景を見つめていた。シェリーを含む六人から放たれた魔力の奔流は、マクシミリアンのいる場所でぶつかり合い、またしても多大なる衝撃波を生む。
しかし手応えは感じられなかったのだろう、彼らは一様に厳しい視線を虚空に向ける。魔力の残滓が消え去ったそこにマクシミリアンの姿はなく、焼け焦げた絨毯が取り逃がしてしまったことを伝えていたのだった。