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どうしようもない程の間抜け ③

 先日の雪によって冬支度が進み、団員の間でも騎士服の中にセーターを仕込む者がほとんどになってきた。訓練所に救護所が設置されたのも今は昔の話、現在はすっかり元の姿を取り戻し、だだっ広い敷地を壁で囲んだ上には凍てついた青空が広がっている。

 今日も今日とて団員たちの稽古を付けながら、ネージュは深い溜息を吐いた。


「……おい、ルイス。レニエ副団長、なんか変じゃねえか?」

「ええ、心ここにあらずといったご様子ですね。何か知っていますか、アルバーノ班長」

「知らん。ま、あの人、それでも強いからいいんだけどさ」


 部下を剣の一振りで吹き飛ばした向こうでは、アルバーノとルイスがひそひそと囁き合っている。しかし彼らの様子も視界に入ってくることはなく、ネージュの脳内を占拠するのは一昨日の大失敗についてだった。

 昨日は自室に閉じこもって勉強をして過ごし、今朝になって顔を合わせたカーティスは全くもって普通だった。食堂に入る時にちょうどすれ違ったのだが、いつもと同じように挨拶を交わしてくれた。

 それでも絶対こう思ったに違いない。部屋着で出歩くとはなんてだらしない奴なんだ、と。


「……でやあああ!」


 叫び出したくなったので実際に叫んで剣戟を繰り出すと、屈強な筈の部下は綺麗に宙を舞った。

 もう忘れよう、うん。馬鹿な自分は本当に殺してやりたいが、シェリーも気にするなと慰めてくれたし、幸いにもカーティスは普通に接してくれているのだから、これ以上うじうじしていても仕方がない。

 今考えるべきは如何にヤンの裏切りを防ぐか。それだけなのだ。




「そうですか、彼女さんがいらっしゃる! どんな方ですか?」


 中庭のベンチに腰掛けながら、新事実を得たネージュは溌剌と笑った。

 ヤンは照れを誤魔化すように目を伏せながら、心の中の面影を追いかけて小さく笑みをこぼす。


「電話の交換手をしていて……控えめなたちの人です」

「お淑やかな方だなんてお似合いですね。おいくつですか」

「二十三歳になります」


 二十三というとネージュと同世代だが、周知の通りこの世界においては適齢期ギリギリの年齢だ。

 ただし最近になって職業婦人という概念が生まれつつあり、若者の間では結婚を焦らず働く女性が格好良いという考えも浸透し始めている。電話交換手といえば花形職業なので、きっとヤンの恋人も自立した素敵な女性なのだろう。


「聞けば聞くほどお似合いです。そろそろご結婚もお考えなのでは?」


 少々踏み込み過ぎかと思ったが、ネージュはあえてからかうように言った。

 恋人がいるならきっと彼の支えになるし、日頃から癒してもらっているに違いない。更には結婚となればヤンが妙な気を起こす事への防壁になる、と思ったのだが。


「いいえ。仕事上、なかなか踏み切れないんです」


 ヤンの横顔は遠くを見つめていた。ネージュはどうしてそう思うのかと疑問に思ったが、彼の自嘲するような笑みを見ていたら、すぐに思い当たることがあった。

 裏仕事を担うのは第四騎士団でもごく一部だけ。騎士団の華やかな表の顔は、彼らが汚れ仕事を一手に引き受けているからこそ成立する。

 騎士は誉れ高き存在だ。健気に彼と会う時を待つ恋人に愚痴などこぼせるはずもない。ましてや機密だらけの裏仕事の悩みを相談することも。

 それなのにヤンは自らの仕事に疑問を抱いている。こんな矛盾を抱えたままでは、結婚など口にできないと考えても不思議はない。


「……それは、何故ですか。そんなにお忙しいと?」


 そんなのは悲しい。命を、心を削って仕事をしている人が、幸せになれないだなんて。


 ——それに、この人ヘタレすぎないかな!?


 正直に言うならば、ネージュはちょっとイラッとしてしまった。

 何だその恋愛小説のヒーローみたいな自己犠牲ぶりは。彼女さんもきっと待っているのに。大切な恋人が苦しんでいるなら何とかしてあげたいと、きっとそう思っているはずだ。

 それなのに、あなたが足踏みをしてどうする!


「いえ、忙しいと言うか……」

「では何故ですか? 私はこの仕事に誇りを持っています。レンフォールド副団長は違うのですか?」


 ネージュは極力怒りを表に出さないように気をつけながら、彼の鼠色を鋭く見つめた。するとヤンは小さく息を飲んで、濁った瞳に小さな光を取り戻した。


「何を悩んでおられるのか存じませんが、騎士の仕事とは女王陛下のため、ひいては国のために成すものです。彼女さんの平和にあなたは大きく貢献していると言うのに、それでも自信が持てないのですか? 何か不満があるのなら、我慢せずにきちんと口に出して訴えるべきです。その為に身近な人を幸せにできないようでは、それこそ本末転倒ではありませんか」


 一息に言い切ってからしばらく、ヤンはその端正な面立ちに驚きを浮かべたまま呆然としていた。その無防備な表情に言い過ぎたことを悟ったネージュは、先輩に対する無礼も手伝って激しい後悔に襲われることになった。


「申し訳ありません! 生意気なことを……!」

「……いえ。とても、大事なことを説かれてしまいました」


 猛然と頭を下げようとした後輩を制して、ヤンは穏やかに微笑んだ。それは厳格な彼らしくない、とても柔らかな想いに溢れた笑顔だった。

 もしかすると、彼の沈み込んでいく心に一石を投じることができたのかもしれない。おこがましくもそう考えてしまえば、悪夢のようなイベントを回避することへの期待が持てるような気がした。


「貴方は若いのに立派ですね。騎士団長閣下が目をかけるのも頷ける」

「目を、かける……?」


 しかしヤンが次に放った台詞には、全く理解が及ばずに首を傾げてしまった。

 カーティスにはむしろ頼りないと思われているのだ。目をかけるだなんて、そんな嬉しいことがあるはずない。


「ご自覚がありませんか。まあ騎士団長閣下も公平なお方ですから、無理もありませんが。この間の襲撃ですっかり疲労した貴方を運んできた騎士団長閣下は、本当に心配なさっているご様子でしたよ」

「そうでしょうか……? 呆れられているとしか思えませんでしたが」

「いいえ。きっと期待なさっておいでです」


 首をかしげるばかりのネージュに対して、ヤンは妙に自信ありげだった。

 挨拶を交わして中庭を後にする。どうかおめでたい報告が聞けますようにと、誰にともなく祈りを捧げながら。




 アドラス邸で三人での夕食を終えたあと、ネージュは特に理由もなく散歩に出てみることにした。何もしないでいると大失態についての記憶が蘇ってくるし、この屋敷で寝起きするという奇跡を噛み締めたかったこともある。

 年明けには寮の修繕も終わるのだ。とは言っても、それも魔獣の襲来を防ぎきったらの話なのだけど。

 訓練用のスラックスとセーターの上に一つしかないベージュのコートを羽織り、ゆっくりとした歩調で庭を歩く。貴族の屋敷はどこも庭の作りに贅を尽くすものだが、アドラス家に関しては頓着する者がいないのか、冬の庭は彩がなくどこか寂しそうに見えた。

 枯れ果てた薔薇のアーチの向こう、白の大理石で造られた東屋にこの邸の主人はいた。

 手持ちのランプを東屋の卓上に置き、空色の視線を虚空に漂わせている。その光景は見惚れるほどに美しかったが、突然の遭遇に心臓がひっくり返りそうになって、残念ながら直視することができなかった。

 カーティスもネージュの登場に気付き、僅かに目を見張ってこちらを振り向く。ほんの僅かな沈黙の後、先に声を上げたのはネージュだった。


「申し訳ありません! 失礼いたしました!」


 直角に頭を下げて走り去ろうとすると、背後から苦笑まじりに名前を呼ばれてしまう。恐る恐る振り返った先には、ランプの橙色の光に照らされた精悍な美貌があった。


「何も謝ることはないよ。好きに過ごしていいと言っただろう」

「ですが……」

「本当にいいんだ。聞きたいことがあったから、丁度来てくれて良かった」


 着席を勧められておずおずと腰掛ける。カーティスの魔法が行き渡っているらしく、大理石の椅子は仄かな熱を宿していた。

 どうしよう気まずい。あんなだらしない格好を見られて以来、二人きりで向き合うのは初めてだ。

 ネージュは恐々としていたのだが、やはりその話題に触れられることはなかった。


「近頃、レンフォールド副団長とよく話しているようだけど、何かあったのかい?」

「え……」

「もし問題が起きているなら、遠慮なく話してくれないか」


 空色の瞳は真摯な色を宿して輝いている。鋭い指摘にどきっとしたものの心配をかけてしまった罪悪感が勝り、ネージュは誤魔化すように頭を下げた。


「ご心配をおかけ致しました。レンフォールド副団長とお話させて頂いたのはたまたまで、何ら問題はありません」


 本当は大問題が起きているのだが、うまく説明できないネージュはその厚意を無下にすることしかできない。カーティスが納得したとばかりに返事を返してくれたので、痛む胸を押し殺してそっと顔を上げる。


「それならお節介だったね。君たちはとても、良い雰囲気に見えたのに」


 しかし安堵を得たのも一瞬、ネージュは琥珀色の瞳を凍りつかせてしまった。

 カーティスは相変わらずいつもの笑みを浮かべている。その笑顔が遠くて、耳鳴りがうるさくて、ネージュは思わず胸元をぎゅっと抑えた。

 この痛みは何だろう。心臓が冷えて、指先が動かなくなるようなこの苦しさは。


「君が望むなら口利きをすることもできるよ。もちろん私の方はやぶさかではないし」


 まさかカーティスにまで嫁の貰い手を心配されるとは思わなかった。しかしこの手の話題を持ちかけられるたびに感じていた、照れ臭さと少しの疎ましさは今は微塵も湧いてこない。


「これもお節介になるのかな? でも、君には幸せになって欲しいから」


 代わりに抱いたのは身を切るような痛みだけ。何も言葉を発せないままでいたネージュは、不意にカーティスの瞳が驚愕に見開かれたのを目の当たりにすることになった。

 両目から熱い雫が滴り落ちていく。


 ああ、今更のようにこの気持ちを認めることになるなんて。自分のことなのに、どうしようもない程の大間抜けだ。


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