これこそが平和な日常、なのか? ②
仮本部となった離宮は壮麗さはなくやや古びているものの、王宮の使用人たちの好意によって綺麗に磨き上げられていた。こじんまりとした廊下は騎士たちの喧騒で満ちており、ネージュもまたその間を早足で歩く。
昨日はシェリーと攻略対象たちのやりとりを目にした。ネージュは目の前の現実から答えを得て、それについて考えを巡らせていく。
これはもう真相解明の真ルートに入ったと見て間違いないのでは。
すでに得た推測ではあるが、シェリーに恋の気配がないことは他のどんな現実よりも説得力があった。
真ルートに入ったことに確証が持てるなら対策も立てやすい。残されたイベントは魔獣の王宮襲撃のみで、カーティスに事情を話した今、迎え撃つために万全の準備を整えることができるのだ。
これならば何とかなるかもしれない。希望を胸に騎士団長執務室をノックすると、そろそろ聞き慣れた声で返事が返ってきた。
扉を開けた先には、やはり応接テーブル越しにカーティスとバルトロメイが腰を据えていた。部屋の主が鷹揚な笑みを浮かべて座るよう勧めてきたので、ネージュはいつかのようにバルトロメイの隣に腰掛けた。
「さて、早速だけど状況を確認しよう」
カーティスが開口一番そう言ったので、第三騎士団の二人は神妙に頷いた。
「まずはレニエ副団長、今後予想される危機について教えてほしい」
「今の状況といたしましては、無事にミカ……実際は彼を含む三名の襲撃を乗り切り、魔獣襲来まで時間的猶予を得た状態です。その間に予定される攻撃は特にございません」
「そうか。それはありがたいね」
カーティスが微苦笑を浮かべると、バルトロメイも同じような顔をした。
時間稼ぎができたのはこちらも同じだ。本部の復旧に魔獣への対策、やることは山のように積み上げられている。
そしてネージュにとって怖いのが、他のルートのイベントが散発的に発生する可能性を残しているということ。
ミカの襲撃が幹部三人の襲撃になったこともそうだが、明らかにシナリオからの逸脱が生じている。真ルートに入ったことがほぼ確定しているとはいえ、予想外のイベントが起こる可能性は捨てきれない。
しかし乙女ゲームのルート分岐という単語を出すわけにはいかないので、これについてうまく説明する術をネージュは持たない。もし問題が起きても一人で対処するつもりだ。
そんな思惑を知らない男二人は思案顔をしており、やがてバルトロメイが結論を出した。
「やはり訓練だな。瓦礫の撤去も必要だが、それと同時に騎士達の練度を上げておかなければならん。ネージュ、お前の訓練の成果はどうだ」
「そ、それが……」
ネージュはギクリと肩をすくませた。
そう、大量の魔力をコントロールする訓練は、なかなか成果が出ないでいるのだ。
例の山に入って魔法を使ってみるものの、どうにも安定せずに上手くいかない。自分はこんなにも才能がなかったのかと切なくなるが、現実なのだから仕方がなかった。
「上手く行っていないのかい?」
カーティスが微かに首を傾げて問いかけてくる。ネージュは俯きたくなる気持ちを堪えて、おずおずと頷いた。
「はい……申し訳ありません……」
「そうか。それなら、私が見てみようか」
思いつきを口にしたといった発言に、ネージュは驚いて声を上げるところだった。
まさか騎士団長ほどのお方の時間をそんなことで奪うわけにはいかない。断ろうと口を開きかけたところで、名案とばかりに両手を打ったのはバルトロメイだった。
「それはいい。魔法の講師としてお前ほどの適任はおらんだろうよ」
「まあ、いないよりはマシでしょう。レニエ副団長、さっそく週末にでもやってみようか」
なんだかえらいことになってしまった。しかしネージュの魔力が起死回生の一手になる可能性は高いため、そう言ってもらえるなら甘えるしかない。
「よ、よろしくお願いいたします……」
「よろしく。あと、こちらからも報告がある」
カーティスが資料を手渡してくる。そこには希少な写真付きでとある男のプロフィールが記されていたのだが、ネージュは目を通すなり血の気を下がらせてしまった。
「黒豹騎士団第五位のゴードン。先日、ライオネルが捕縛した男だよ」
知っている、この男が登場するルートがあることを。全イベント中最も鬱で陰惨なトラウマものの物語。
「エスター達第四騎士団の一部で情報活動を担っていることは知っているね。今現在、ゴードンから情報を聞き出してもらっているんだ」
カーティスの少し陰を含んだ笑みが遠い。心優しい騎士団長閣下がこの仕事をあまりよく思っていないことは知っていたが、今はその心境を慮っていられるほど余裕がない。
これはエスタールートのイベント。捕虜への凄惨な尋問によって、とある団員が精神を追い込まれ、仕事に疑問を感じ始める。そこを黒魔術師のリシャール・バルニエに唆されて女王を裏切ってしまうのだが、結局のところエスターによって始末されるのだ。
その可哀想な裏切り者の名は、ヤン・レンフォールド。
第四騎士団副団長を務め、規律と職務を重んじる生真面目で繊細な男である。
騎士団長執務室を出て仮本部の廊下を歩くネージュは、頭を抱えて座り込みたいのを必死で我慢していた。
どうしてこんなことになったのだ。真ルートに入った可能性が最も高いと思っていたのに。
裏切りを未然に防ぐなどと、一体どうすればそんなことが可能なのだろう。人の気持ちを簡単に変えられるのなら、そもそもこんな復讐劇など起きてはいない。
リシャールを抑えられれば良いのだが、黒魔術師は神出鬼没でそれも不可能。本当に厄介な状況だ。
難しい顔をして歩いていると、廊下の向こう側から歩いてくる人影があった。
誰だろうと目を凝らしたネージュはすぐに瞠目することになった。何を隠そう、やって来たのは第四騎士団副団長ヤン・レンフォールドその人だったのだ。
ヤンはいつもは隙なく後ろに撫で付けた鉄黒の髪を数筋額に垂らして、眼鏡の向こうの鼠色の瞳を伏せていた。目の下にはうっすらとクマがあって、何やらぼんやりとしたご様子である。
——こ、これはキていらっしゃる……!
現代日本のサラリーマンの姿が重なって、ネージュはちょっと、いやかなり胸が痛んだ。
気の毒過ぎる。思い悩んだ末に支えてきた上司に殺されるだなんて、そんな結末ではあまりにも報われない。
「こんにちは、レンフォールド副団長」
ネージュは出来うる限りいつものように微笑んだ。疲れている人に過ぎた明るさで接すると、もっと疲れさせてしまう気がしたので。
「レニエ副団長。こんにちは」
挨拶を受け、ヤンは茫洋とした瞳に光を取り戻した。どんなに疲れていても背筋を伸ばしてしまうのは、騎士たる職業の習い性だ。
ヤンは確か二十九歳で、寡黙で厳しいところがあるが実のところ思いやりがある人物。乙女ゲームの登場人物よろしく、華やかさは無いものの端正な容姿の持ち主だ。エスターと同じく治癒魔法を得意とする彼は、騎士としての技量は他の副団長に劣るが、隠密技能に長け捕虜の尋問などの裏仕事にも携わっている。
「お疲れのようですね。うちの部下たちがご迷惑をおかけしておりますでしょうか?」
「いえ、そのようなことは。訓練中の怪我の治療は第四騎士団の役目ですから」
ヤンとは突っ込んだ話こそしないものの、仕事に関しては意見を交わせる間柄だ。まさか裏の仕事を知っていることを明かすわけにはいかないので、ネージュはあえて世間話を選ぶ。
「そう言っていただけると助かります。……ああそうだ、キャラメルでもお召し上がりになりませんか。ちょうど持っているんです」
ネージュは腕に持った濃紺の上着のポケットからキャラメルの箱を取り出した。一粒差し出すと、ヤンは少しばかり表情を緩めたようだった。
「これはありがたい。キャラメルは好きなんです」
「そうでしたか。疲れた時には甘いものでも食べて、気分を変えて下さいね」
「……そう、ですね。助かりました、レニエ副団長」
その時のヤンの微笑みは、憑き物が落ちたような穏やかさを有していた。
会釈して去っていく細身の背中を眺めながら、ネージュはとある考えに思い至って瞳を輝かせた。
——裏切りなど思いつかないように、ストレスを溜めないようガス抜きをすれば良いのでは?
いける。なんて平和的で素晴らしき解決法。
このネージュ・レニエ、無免許カウンセラーになります!




