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少女漫画の世界ではなかったはずですが ②

 ネージュは早くも帰りたくなっていた。何故ならアドラスの屋敷の玄関で出迎えてくれたカーティスが、そうと分からない程度に口元を痙攣らせたのだ。


「ただ今戻りました、父上」

「ああ、お帰りシェリー」


 流石に落ち着いた大人の男は違う。どれほど娘の友人の来訪を迷惑に思っていても、それをおくびにも出さない笑みだ。

 ああそれにしても、私服がとても似合っている。グレーのスラックスに濃紺のシャツ、そして上には着心地の良さそうなアイボリーのカーディガン。ラフな服装でも品良く見えるから凄い。

 しかしカーティスに目を奪われていたネージュは、次にシェリーが放った言葉に盛大に固まることになる。


「父上、ネージュを住まわせてあげたいんです。彼女は寮が半壊したのでとても困っていて」


 ——いや、シェリーさん? もしかしてノーアポですか!?


 ネージュは一気に顔を青ざめさせた。

 まさか無許可で連れてこられたとは全くの想定外だった。それは口元も引き攣るはずだ。上司のお宅に突撃する非常識な部下。

 何も言えなくなって固まっていると、低いため息が耳朶を打つ。いよいよ震え上がったネージュを待っていたのは、いつもの穏やかな低音だった。


「シェリー、強引に連れてきたね? こんなに緊張して、可哀想じゃないか」

「でも父上」

「でもじゃないよ。きちんと相手の意思は確認しなさい。私は君をそれが出来るレディに育てたつもりだったのだけどね」


 カーティスは珍しくも真顔で娘を叱責した。その言葉に押さえつける強さはなかったが、代わりに胸の内に落ちる説得力があった。


「はい。ごめんなさい……」


 シェリーは元より素直な性格なので、余計に響くものがあったらしい。肩を落としてネージュにも謝ってくれたので、とんでもないと首を横に振る。


「レニエ副団長、君さえ良ければしばらくの間ここに滞在しなさい」

「え……」

「寮が壊れては大変だったろう。遠慮しなくていいから」


 カーティスが穏やかな笑みを取り戻して告げた申し出に、ネージュは驚いて目を見開いた。シェリーも嬉しそうに顔を上げ、キラキラとした瞳で父親を見つめる。


「父上、よろしいのですか?」

「元より駄目ではないよ。我が家はいつでも客人を迎え入れる準備はできているからね」

「良かった……ありがとうございます!」


 無邪気に喜ぶシェリーを余所に、ネージュは果てしなく動揺していた。

 え、なにこれほんとに……? いいの? 友人ポジションでしかない私がこの麗しの父娘と一緒に住むって……?


「レニエ副団長? 嫌だったら無理をすることはないんだよ」


 呆然としている部下に何を思ったのか、カーティスの笑顔が曇る。その表情を見たくなくて、ネージュは殆ど反射的に返事をした。


「いえっ、とんでもないことでございます! 寮が壊れて大変困っておりましたので、ありがたく存じます!」


 こうして、ネージュはしばしの間アドラス邸に滞在することになった。




 その後はシェリーに屋敷を案内されて色々な場所を見せてもらった。その度にすれ違う使用人達は皆が素敵な笑顔の持ち主で、突然居候になったネージュにとても親切だった。

 屋敷の広さといい、雇われた人数といい、貴族の家ってここまで凄いのか。平たい感想を抱きながらたどり着いたのは、ネージュにあてがわれる事になった客間だった。

 二階の角を占有したその空間は寮の自室の十倍はあろうかという規模を誇っていた。ベッドは大人五人は転がれそうな程に大きいし、深緑色で統一された内装は家具調度品の質も一級だ。


「どうしよう、勿体なさ過ぎる……」

「ネージュったらそればっかり。寛いでくれたらそれで良いのよ」


 シェリーはいかにも楽しげに笑った。居候を提案してから今に至るまで、彼女はいつになく高揚しているように見える。


「ネージュが来てくれるなんて嬉しいわ。休日は私の部屋でお泊まり会しましょうね!」


 美女のはしゃいだ笑顔、最高。

 ネージュはその眩しさに目を細めて頷きつつ、やっぱりヒロインは可愛いなあと和むのだった。




 お世話になることを決意したものの、やはり緊張感は否めなかった。

 ネージュは今、目の前に供されたじゃがいものポタージュを慎重に口に運んでいる。手前から奥にすくい口に入れた時に音は立てない。こぼすのなんてもっての他だ。

 騎士団に入ってからテーブルマナーについては叩き込まれたものの、あまり実践する機会がないため未だに付け焼き刃の域を出ないまま。幹部での食事会に出たこともあるが、人数が多いからさほど緊張しなくても済んでいた。

 ヒロイン父娘と夕食を取るという、この青天の霹靂とでも言うべき状況に比べれば。


「レニエ副団長、もう少し楽に食べたらどうかな」


 カーティスに苦笑気味に指摘されてしまい、羞恥のせいで頬が染まった。

 やっぱりバレていた。極力会話に参加するようにしたし、マナーについても失敗しないように心がけていたのに。


「そうよネージュ、緊張していたらあまり食べられないでしょう? 体力仕事なんだから、たくさん食べて力をつけなくちゃ」


 満面の笑みでパンを食べるシェリーだが、彼女の胃袋はちょっと異次元だ。

 何せ早速スープをお代わりしているし、手元の大皿にはパンがうず高く積まれている。おそらくだがこの後のメインもネージュの三倍の量が用意されているに違いない。

 この量を食べていてもまったく太らないのがシェリーのすごいところだったりする。そしていっぱい食べる美女は可愛い。見ていて癒されるから、ネージュはシェリーが食事を取る光景が大好きだ。


「シェリーの食べっぷりを真似する必要はないけど、遠慮なく食べて欲しい。その方がうちの料理人も喜ぶし、私たちも嬉しい」


 カーティスに笑いかけられたネージュは、はいと言って頷く他なかった。


 ——どうしよう。緊張はするけれど、今すごく幸せかもしれない。


 こんなに良い思いをしていいのだろうか。自分はただの脇役で、その上異世界から転生してきた異分子だと言うのに。


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