雪と赤の記憶 ②
カーティスは大人としての精悍さを増した顔を緩め、玄関に見送りに立った愛娘の頭を撫でた。
「シェリー、昨日みたいに庭を走り回って、皆を困らせてはいけないよ」
いつしかシェリーを引き取って十年の月日が流れていた。
走り回るとは言ったがシェリーのそれは鍛錬としか言いようがなく、淡々と庭を周回するというもの。一度も強制した覚えは無いのだが、この娘は騎士を目指して早くも自主訓練を始めているのだ。
幸せに生きてくれたらそれでいいのに、まさか騎士になりたがるとは思いもしなかった。乳母もメイドも唯一の姫君の頑なさには手を焼いているらしく、いかに一生懸命な毎日を送っているのか逐一報告してくれる。
「鍛錬をしてはいけないのですか? 誰にも迷惑はかけていません」
親バカと言われてもいい。不思議そうに首をかしげるシェリーは、妖精のごとき愛らしさだった。
「シェリー、騎士になりたいんだろう?」
「はい! シェリーは、父上のような立派な騎士になりたいです!」
「……そうか。それならきちんと休憩も取りなさい。皆に心配をかけるようでは、一人前の騎士とは言えないからね」
「わかりました! シェリーはきちんと休憩をとって頑張ります!」
愛娘が己の職を目指してくれる。それは親冥利に尽きる幸せのはずだが、カーティスは複雑だった。
代々騎士を輩出してきたアドラス家とは言っても、女子までもが騎士になるわけではない。そもそも家督だって、シェリーが嫌だと言うなら別に継がなくても構わない。シェリーは幼い頃から自分が養子だと理解していたのに、素直で正義感の強い子に育ってくれた。本当の両親と過ごせなかった分も幸せになってもらいたいと思う。
何より己は娘に憧れてもらえるような立派な騎士ではない。忠誠を誓えないような王相手に十年以上も仕えてきてしまった。
しかし、これで苦しい日々ももう終わる。
「今日は我が家にお客様を呼んでくるよ。おもてなしをしてくれるかい」
ナサニエルの暗殺は半年前に成された。その弟のアレクシオスが即位し、新王の治世もようやく安定してきたところだ。荒廃していた国は徐々に元の姿を取り戻しつつあり、今日を境に先王の喪が明ければ加速度的に活気付いていくはず。
マクシミリアンも近頃は以前のように笑うことが増えた。約束を果たしてくれるかと言ったら、気まずそうにしながらも頷いてくれたのだ。
「お客様? 父上、もしかして彼女さんですか?」
なんのてらいもなく微笑む幼い娘は言うことが少々ませていた。シェリーもそんな台詞を口にする年頃になったのかと、益々複雑な気分になってカーティスは苦笑する。
「残念ながら男だ。古い友人だよ」
「そうですか……お友達……」
シェリーは露骨にがっかりした様子で肩を落としてしまった。
もしかすると母親が恋しいのだろうか。だとしたら申し訳ないと思うが、こればかりは相手がいないとどうにもならない。
カーティスはもう一度銀髪の頭を撫で、行ってきますと一言告げて玄関を出た。
冬を迎えた王都モンテクロはいよいよ冷気に包まれており、外套一枚では足りないほどだ。カーティスは枯れ草が目立ち始めた庭から視線を上げて、雲の垂れ込む空をじっと見つめた。
マクシミリアンは一度もシェリーに会ったことがない。あの大胆不敵な男もきっと緊張するだろうが、カーティスはそう心配することは無いような気がしている。
二人は血の繋がった親子であり、どちらも真心ある人柄だ。そしてシェリーは強く育ってくれたと自信を持って言い切ることができる。
シェリーはどんな反応を見せるだろうか。すぐには真実を受け入れることは難しいかもしれないが、いずれは本当の父の元に戻りたいと言うのだろうか。
もしそうなったなら笑顔で送り出してやりたいと思う。シェリーが幸せならそれでいい。それでいいのだ。
灰色の雲はこの記念すべき日に不穏をもたらすような気がして、カーティスは胸騒ぎを覚えた。視線を前へと戻して歩き始めた時、この冬初の雪がちらつき始めていた。
第一騎士団副団長と第二騎士団副団長は、前者の執務室でコーヒーを片手に談笑していた。
長身のカーティスにとってハンネスは唯一の見上げなければ話せない相手だ。しかし対面に腰掛けた今はその限りではなく、正面にある厳つい顔が不敵な笑みを描くのがよく見える。
「そろそろ奴の首を落とすべきだな。やりにくくて敵わん」
奴というのは騎士団のトップ、騎士団長リカルドのことだ。
リカルドは先王ナサニエルに取り入る事によって騎士団長職を拝命し、己の欲を何においても優先する下卑た男。奴のせいでどれほどの苦汁を飲んできたか、上げれば枚挙に暇がない。
もちろん首を落とすべきとの発言は比喩であり、さっさと退職してほしいという意味に他ならないのだが。
「そうはいってもやるべき事は終わったからね。私はあまり気が進まない」
もうマクシミリアンの復讐は終わったのだ。騎士団は随分と風通しが良くなり、平均年齢も若返って活気に溢れている。もう無能を追い落として出世を目指す必要はなく、これからはもっと有意義な毎日が待っているはずだ。未だに残った先王派の連中など取るに足らない勢力でしかない。
「なんだ、腑抜けおって。バルトロメイ団長に騎士団長になって欲しいのではなかったのか」
「もちろんそうなれば良いと思ったよ。けどバルトロメイ団長は出世を望んでおられないだろう。そんなお方を無理に騎士団長に祭り上げるのは、なんだか忍びなくてね」
カーティスの思案げな眼差しに、ハンネスも言葉を詰まらせた。
二人は騎士団に入った当初は第三騎士団に所属しており、バルトロメイは当時からの敬愛すべき上官だ。恩義ある相手の幸せを望む気持ちは二人に共通している。
「カーティス、ならばお前が騎士団長になればいい」
だからハンネスが真顔で告げた言葉には、思わず絶句してしまった。
「……ハンネス、自分が何を言っているのかわかっているのかい」
「当たり前だ。バルトロメイ団長が駄目ならお前しかおらん。お前ほど実力のある騎士は他にいないからな」
「馬鹿な、私では若すぎる。他にも適任者はいくらでもいるよ」
「先王派の連中のことならお断りだ。あんな奴らに預ける命は一つもない」
カーティスはアドラス侯爵家の長男として産まれた瞬間から、騎士団長になるべく育てられた身の上だ。かつて騎士団長を務めた父には子供の頃から憧れていた。
それでも今すぐになれと言われて実感が湧くものでもない。
国のために戦うことを生業とする者として、民には苦しんで欲しくないと思う。入団した当初から王党派の連中をどうにかしたかったのは、ただそれだけの動機ゆえ。
「部下の命は私たちで預かればいい。君も物騒な発言は慎むべきだよ」
カーティスは小さく苦笑して冷めたコーヒーを飲み干した。窓の外は相変わらずの雪模様で、日の傾きかけた今では夕刻の薄青にその景色を溶けこませつつある。
「そろそろ行かなくては」
「ああ、そうか。マクシミリアンをシェリー嬢に会わせるのだったな」
奴の緊張している顔でも拝みに行ってやるかとハンネスも立ち上がったので、共に執務室を出ることにする。冷え切った渡り廊下を歩いて王宮へ、あえて他愛もない話をしながら友と二人歩く。
そうして王族の居住区まで辿り着いたところで、男たちは同時に異変に気付いた。
「……カーティス」
「ああ」
険しい瞳で目配せをし合って、音を立てないように足を止めた。その先にある重厚な扉は間違いなく国王の私室だ。
今はアレクシオスのものとなった場所。そして半年前、綿密な計画を元に実行された暗殺の舞台となったその部屋から、微かに鉄の香りが漂っている。
淀むような不吉な臭気に心臓が大きく脈打った。それはハンネスも同じだったようで、見上げればすっかり青ざめた顔が己を見返している。
カーティスは腰の剣を抜き放った。ハンネスもそうしたのを見届けて、慎重に扉を開いていく。
まず目に飛び込んできたのは、鮮烈な赤。
血の匂いが爆発的に濃くなって、ハンネスと共に入室してすぐに扉を閉める。ランプが室内を照らす中、赤い飛沫の中心に倒れ伏していたのは、国王になったばかりのアレクシオスだった。
「ああ……凄いタイミングで来るな、お前らは」
マクシミリアンはただそこに立ち尽くしていた。息絶えた兄の側で、血に濡れた剣を手にしたまま。




