雪と赤の記憶 ①
愛する者の無残な死に直面した時、人は狂う。
当時まだ十八だったカーティスはその事実を理解していなかった。血の色をした瞳を絶望と憎悪に淀ませた友を前にして、気の利いた言葉など出てくるはずもない。ただ男の腕の中にいる赤子が眠る姿はあまりにも無垢で、友の背負う闇と全くの対極に位置していたことに、言いようのない絶望感を覚えたことだけは印象に残っている。
「頼む、カーティス。お前にしか頼めないんだ。この子を引き取って、養女にしてやって欲しい」
マクシミリアンは妻の葬儀を終えた日の深夜にアドラスの邸宅を訪ねてきた。
外は雪が降っていて、黒の正装の肩と銀髪の上には白いものが積もっていたが、彼が抱く赤ん坊にはその冷たさの一粒も及んではいない。
自室に招き入れた途端に血を吐くようにして告げられた頼みを断ることなどできなかったし、そのつもりもなかった。しかしカーティスには気になることがある。彼が娘を手放してまで何を成す気なのか、考えるまでもなく明白だったから。
「君は陛下を弑逆する気だな。しかし復讐を成してどうする。反逆罪で死ぬ気なのか? この子を遺して両親共に先に逝くのか」
普段の穏やかな口調すら出てこなくなり、努めて冷静に返した言葉には怒りが滲んでしまっていた。
マクシミリアンは自分と同じ十八で、この子はまだ生まれて数ヶ月で、これからまだまだ楽しいことが沢山あるはずなのに。希望に満ちた未来は、友を絶望から呼び戻すよすがにはならないのか。
「いいや、俺は秘密裏にあの男を殺す。国を引っ掻き回したい訳じゃないからな」
「それは私の質問の答えにはなっていない。親の務めを放棄するのかと聞いているんだ」
空色の瞳を厳しくして問いを重ねると、マクシミリアンは久し振りに無防備な表情を見せた。そうして浮かべた苦笑は見慣れたもののようでいて、以前とは決定的に何かが違っていた。
「まさか結婚もまだの奴に親の心構えを説かれるとはな。カーティス、お前はどうやら良い父親になれそうだ」
「マクシミリアン、茶化さないでくれ。私がどれほど心配していると——」
「ああわかってる。すまないなカーティス、俺はもう自分のことしか考えられないんだ。あの男を殺さなければ耐えられない。この世の全てを燃やし尽くしてしまいそうなんだ」
あまりにも底暗い怨嗟が血の色をした瞳に宿り、カーティスは慄然とした。
マクシミリアンの妻であるハリエットは遠い国から嫁いできた姫君で、それはそれは美しい人だった。彼女の義兄たるナサニエル王に目をつけられ、手篭めにされて自死してしまった儚い人。
妻の仇を取るまでは、友は獣と化して戻ってはこないのだ。以前の快活で人望ある青年は失われ、後には復讐だけを生きる意味とする荒漠とした男だけが残った。
カーティスは受け入れ難い現実をようやく思い知る。せめて彼がいつかは人に戻れるよう、自分ができることを果たすしかないことも。
マクシミリアンは娘を預けにここまで来た。それならば全ての感情を復讐心に蝕まれたわけではない。
「……わかったよ、その子を私の養女にしよう。ただし、いくつか条件がある」
「条件?」
「ああ。何年かかってもいい、復讐を終えたらこの子に自分が本当の父だと名乗り出るんだ。その為に、君は内密に王の暗殺を遂げなければならない」
反逆罪で死ぬことは許さない。強い瞳でそう語りかけると、マクシミリアンは大人しく頷いてくれた。
「あと、もう一つ。私は君を手伝うために、騎士団で出世しておくことにする。王党派を削り取って、奴の背後をガラ空きにしてやる」
しかしこの宣言には、さしものマクシミリアンも色をなくした。
「それは駄目だ! お前は……この子を育てるお前だけは、こんなことに巻き込むわけにはいかない! 自分で言ったんだぞ、反逆罪は死刑だって!」
「別に、仲間だと思われなければいいんだろう? 私は私で勝手にやるさ。そもそも腐った王党派の連中は、どうにかしたいと思っていたんだ」
それはカーティスの偽らざる本心だった。
民を顧みない治世のせいで城下はすっかり荒廃しており、今や国中で飢饉や災害が起きても放置し続けている。あんな王に忠誠は誓えない。
君が下手を打たなければ私も安全だ。そう微笑んでしまえば、マクシミリアンも反論材料を失ったらしい。動揺も露わに銀髪をかき回してから浮かべた苦笑は、先程よりも少しだけ近くなったような気がした。
「……カーティス。その子は死んだことにするから、お前が名前をつけてやってくれ」
「ああ。じっくり考えておこう」
カーティスは銀髪の赤子を腕に抱いた。
可愛い子だ。きっと母親によく似た美人になるだろう。
赤ん坊は父たる男の手から渡されたのに少しの警戒心もなく眠ったままで、その重みは切なさばかりを青年の胸中へと去来させたのだった。
マクシミリアンとの約束はハンネスにも打ち明けることにした。彼は婚約したばかりだというのに、必ず手助けすると頷いてくれた。
結託した三人は、その後十年に渡って暗殺への地盤固めを続けることになる。
騎士二人が騎士団で出世を重ねる一方で、マクシミリアンは現状に不満を持つ貴族たちを抱き込んでナサニエル暗殺への筋道を立てていく。
そうしてハンネスと共に副団長職を拝命する頃には上の無能どもは隠居していて、かなり動きやすくなっていた。




