貴方のおかげで騎士になれた ②
ミカ・フルスティの襲撃は、大胆にも王立騎士団本部に対して行われる。
王立騎士団を荒らして拠点の探索を妨げるのがその目的。ちなみにこの拠点だが、ゲームでは正確な場所が明かされなかったためネージュに探す術はない。
ミカの方は上空から好き勝手に攻撃をした上、転移魔法を使って拠点に瞬間移動するだけなのだから簡単なお仕事だ。こちらはいつ何時来るかわからない襲撃に緊張をみなぎらせているというのに。
そんなわけで、ネージュは深夜である現在、静まり返った騎士団本部の屋根の上に立っていた。
当然周囲には警備の騎士がいるため隠しの魔法で姿を消している。服装は訓練時と同じでも、外套の下に磨き抜かれた愛刀を履いて準備万端。
夜間の見張りを行っていることに関しては、実はバルトロメイにも相談していない。
鱗型の瓦屋根を踏んで足場を確かめる。昨日既に一人の密偵を捕らえて城外に叩き出しておいた。透明人間からの攻撃には、何が起きたのか自覚すらできなかったことだろう。
ゲームにおいては密偵を取り逃がすしかなかった。隠しの魔法というやっかいな代物のせいで、この世界の情報戦はガバガバだ。
しかし人智を超えた魔力を持つネージュはその理の外にいるため、向こうが隠しの魔法で姿を隠そうと、高密度の探知結界を張ることによってその来訪を察知できるのだ。
ただしそれも起きている時に限られる。ここ三日の徹夜によって、ネージュの体力はそろそろ限界を迎えようとしていた。
「きっつい……」
投げ出した独り言には疲労が滲んでいた。冗談抜きで頭がクラクラする。これでは本当にミカの襲撃時には昼寝をしていて気がつかないかも。
二度目の密偵は来ないとするべきだろうか。しかし狂信的なマクシミリアン信者であるミカなら、密偵が不思議な力で城外に跳ね飛ばされたことによって余計な苛立ちを抱いた可能性がある。
立った姿勢にも関わらず落ちそうになる瞼を必死で開けようとした、その時のことだった。
強大な結界が澄んだ鐘の音をネージュに届けて、侵入者の存在を知らせてくれる。備蓄を確認する気なのか、場所は食料庫近くの地下通路だ。
ネージュはその現場に急行した。マンホールに擬態した出口で待ち伏せをして、密偵が顔を覗かせた瞬間に短く呪文を唱える。
「……つむじ風」
作り出された風の渦が密偵を巻き込み、城の外へと吹き飛ばしていく。コントロールができないのでその方向と規模は完全なデタラメだが、まあ死んではいないはずだ。
されるがままの人影を見送ってから、ネージュは疲れた体を引きずり寮へと向かった。
そんなことが更に数日続いた。密偵はどうやら別の人員を選んでいるようで、一向に士気が低下する様子がない。彼らを吹き飛ばした後に眠るだけでは到底足りず、こちらは寝不足のピークを迎えているというのに。
しょぼしょぼする目をこすり、ネージュは必死で本部の屋根の上に立つ。ミルクティー色の髪がなびいて額を撫でた。寒くないよう外套を着込んでいるものの、秋の夜風は着実に騎士の体力を削る。
長い時間を経て今日もまた結界が鐘の音を響かせた。ネージュは今度の侵入地点が南側の城壁であることを確認して、間髪入れずに走り出す。
密偵はやはり城壁を登っていた。隠しの魔法が考案されていない頃の古典的な手法だが、ことごとく失敗したことから試す気になったのだろう。
石を積み上げた城壁の上、ネージュは容赦なく呪文を唱えた。優秀な密偵は声を上げることもなく風の渦に巻き込まれて飛んでいく。
なんか気の毒になってきた。
そんな感慨を得てため息をついたネージュは、すっかり油断してしまっていた。だから背後から急に気配が発しても、すぐには現実のものだと判断することすらできなかったのだ。
「やあ、そこにいるんだろう? 王宮の守護者殿」
馴染み深い低音が耳朶を打つ。ネージュは瞬時に体を強張らせて、我が身に降りかかった危機に顔を蒼白にした。
「姿を見せてくれないか。何、悪いようにはしない。私はただ君が何者か、どうして我々に手を貸すようなことをするのか知りたいだけなんだ」
真夜中の訪問者が告げる言葉は耳に馴染んで柔らかかった。しかしそこに絶対的な強制力を感じて、ネージュは全身の肌を粟立たせる。
この方はやはり頂点たるお方なのだ。声だけで人を従わせることができる程の人物を、己は愚かにも謀ろうとしたのだ。
ネージュは隠しの魔法を解かないままゆっくりと振り返った。城壁の上で夜風を浴びていたのは、他でもない騎士団長カーティス・ダレン・アドラスだった。
端正な顔に苦笑が浮かんでいる。カーティスは夜の闇の中で深みを増した空色でまっすぐにネージュを射抜いたかと思えば、残念そうに肩をすくめて見せた。
「……駄目なのかい? 残念ながら君がそこにいるのはわかっている。どれ程精度が高い隠しの魔法を使おうと、人の気配はそう簡単に消せるものじゃない」
カーティスはたった一人、武器すら持たずにそこにいた。まるで見ず知らずの不届き者を安心させるように。
透明な背中を冷や汗が伝う。危機的な状況にあって、頭がまともに働かない。
「魔法を解いてくれたら悪いようにはしない。けれど、逃げるなら……私は今後、君を敵とみなす」
氷のような声音に、ひゅ、と喉の奥が鳴った。
この方に疑われることは耐え難い。敵を前にした苛烈な瞳を向けられただけで、胸に穴が空いたような痛みを感じる。けれど。
ネージュはこの場から逃げることができるのだ。目的を遂げることを望むなら、これ以上の危険は犯すべきじゃない。
「……それでも、姿を見せてくれないのか」
カーティスの瞳が切なさを含んだように見えた。逃げなければと思うのに、足が縫いとめられたように動いてくれない。
「君は私の敵か?」
無意識のうちに首を横に振る。
違うと、そんな筈がないのだと、ネージュは頭を下げて許しを請いたいと思った。
「君はまだそこに居るのに。……そうなんだろう? レニエ副団長」
それはいつもの、優しげな騎士団長の声だった。
名前を呼ばれたネージュは滲む瞳を見開いた。驚きを受け止めきれなかった頭が真っ白になって、握りしめた拳が震えだす。
——どうして知っているのですか。知っているのにどうして、そんなに優しい笑みを浮かべてくださるのですか。
もうわけがわからない。わからないけれど、一つだけ確かなことがある。
カーティスがどれ程に優しく公平な人か解っていたのに。信じられなかった自分は、どうしようもない臆病者だ。
ネージュは隠しの魔法を解く。透明だった体に色が戻って、黒の外套を纏った女騎士の姿を夜陰に輝かせる。わずかな驚きを示したカーティスは、すぐに親しげな笑みを浮かべて、良かったと呟いたようだった。
その穏やかな笑顔が最後の記憶になった。緊張から解放されたことによって連日の激務による疲労に支配されたネージュは、引きずりこまれるように眠りの世界へと旅に出た。




