貴方のおかげで騎士になれた ①
休日を終え、束の間の日常が戻ってきた。
黒豹騎士団の行方が知れない以上、追跡に駆り出された者以外はいつものように過ごすしかない。ネージュは訓練場にて、今日も今日とて部下たちに稽古をつけていた。
訓練中の騎士は軽装で、ネージュもその例に漏れない。髪は黒の紐でくくり、焦げ茶のズボンに襟なしの白いボタンシャツ、防具は胸当てを装着するのみだ。
ネージュは編み上げのブーツで地面を蹴って、ガラ空きになった相手の胴体に拳を繰り出す。細い拳は正確にみぞおちのすぐ横を射抜き、歳若いマルコは失神だけは免れたものの、地面に崩れ落ちて大きく咳き込んでしまった。
「うわ……! ごめんマルコ、大丈夫?」
ネージュは慌ててマルコの肩を抱き、背中を撫でてやった。二人の周りに集まってきた騎士の一人、ネージュよりも五歳上のアルバーノが呆れたような声を上げる。
「副団長、いちいち倒れた奴を気にかけなくていいんだって」
第二班班長アルバーノは平民出身だ。体術と剣術はネージュに勝るとも劣らない実力を持ち、こうして稽古にも付き合ってくれる。
「そうはいかないよ。ひどい怪我かもしれないんだから」
ネージュには弱っている人を放って置けないところがある。
過酷な環境で育った幼少期と、前世が平和な日本で過ごした習い性なのかもしれない。訓練においてはある程度仕方がないと自覚した今になっても、その考えは捨て去ることができないのだ。
「それをやられるとわざと倒れる輩が出てくるんだよ。ご自覚がおありで?」
「え、ごめんどういうこと?」
副団長の甘さにつけ込んでサボる者がいるということだろうか。いやでも、優秀な部下たちにそんな卑怯者はいないはずだが。
「……わからないならいいや。おいマルコ、立てるか?」
アルバーノはため息混じりにマルコの肩を叩いた。まだ少年の域を抜け切らない年若い騎士は、青い顔をようよう上げつつも咳が止まらない。
「人を、仮病扱い、するなんてひどいですよ、班長」
「そんだけ喋れるなら大丈夫だろ。おら、隅で座っとけ」
貴族の子弟相手にも実力派騎士は容赦がない。首根っこを掴まれるようにして立たされたマルコは、謝罪と礼をネージュに向かって繰り返しつつ、よろめきながら訓練場の隅へと引き上げていった。
彼らはゲームにおいては名もなき存在だ。しかしそんなことは関係なく、ネージュにとっては誰もが等しく大切な部下であり、未来ある大切な命でもある。彼らがいてくれるから、自身もまた騎士として立つことができるのだ。
真ルートの最後、魔獣から民を守って死んでいった彼らの姿を思い出す。
そんなことには絶対させない。ネージュは暗い記憶を無理やり消し去って、周囲に集まった部下たちに向かって明るく言った。
「次は魔法の訓練を行う! 鍛錬の成果、見せてもらうよ!」
帰ってきた返事は活気に満ちていた。
頼もしい騎士たち。彼らの努力と存在そのものが、どれほど心強く支えてくれていることか。
訓練を終えたネージュは賑やかな騎士団本部の食堂にてチキンフライのセットを堪能していた。その向かいに腰掛けるのはバルトロメイで、歴戦の英雄たる騎士が選んだのはステーキランチだ。齢六十にしてこの食欲、だからこそ彼を衰え知らずの実力者たらしめるのだろう。
「訓練はどうだった、ネージュ」
「状況が状況ゆえに、皆士気が高いです。着実に力をつけております」
「それは、お前もか」
その質問が膨大すぎる魔力へのものだと知って、ネージュは肩を縮めて首を横に振った。
一人きりの森での訓練で力のコントロールは身についてきている。これまでと同じ出力で魔法を放つことができるようになったのは、成果としては大きいように思う。
しかし今までは扱えなかったような大魔法や、土属性以外の魔法は別だ。一朝一夕で身につくものでもないと知ってはいても、遅々として進まない状況に焦れているうちに時間が過ぎていく。
そんなわけで今のネージュは魔力はとんでもない量を秘めているものの、使う魔法は大して変わらないという拍子抜けするような状態に陥っているのだ。
「難しいものだな。久しぶりに私が見ようか」
「いえ、ガルシア団長は巡回でお忙しいですから。私も巡回を強化しようと思います。ネズミ一匹通しはしません」
巡回というと騎士による業務の一環に聞こえるだろうが、二人の間の認識は違う。
この小休止的日常において時間稼ぎをするべく襲いかかってくるのは、黒豹騎士団第三位ミカ・フルスティ。いつ来るかわからない大物を控えて、その事実を知る二人だけが重苦しい緊張を抱いている。
しかもそれより前には彼の手による密偵が送り込まれる予定なのだ。ネージュとバルトロメイはそれぞれ警戒に当たっているのだが、今のところ網にかかる気配はない。
「私もそうしよう。いつ敵の襲撃があってもいいようにな」
「はい。気を引き締めねばなりませんね」
「そうピリピリするな。うまく心身を休めねば、肝心な時に力が発揮できんぞ」
バルトロメイが優しい眼差しを向けてくる。しかしネージュは上司に頷きながらも、内心ではとある決意を固めていた。
ゲームにおけるミカの襲撃はルート分岐前最後の戦いだ。そして真ルートに入った場合のみ、この戦いでフレッドが命を落とすことになる。
バルトロメイにも伝えてあるのだが、だからといって二人して四六時中フレッドに張り付くわけにもいかない。
——フレッドを守らなきゃ。どれ程の無茶をしたとしても。
決意も固くバルトロメイと別れて食堂を出たところで、今まさに思い浮かべていた相手と遭遇した。
「よお、ネージュ! お疲れさん」
どうやら入れ違いで昼食を取りに来たらしい。フレッドは濃紺の騎士服を隙なく着込んでいて、どうやら何かしらの対外的な仕事をしていたらしいことが察せられた。
今は彼の上司であるハンネスがライオネルと共に黒豹騎士団の捜索隊を率いている。よって副団長に全ての雑事が降りかかっているのだ。
「南地区の屯所に顔出してきた。区長が見聞するって言うからさ」
「それはお疲れ様。何か変わったことは無かった?」
一応尋ねてみたものの、フレッドはあっさりと首を横に振る。
「いいや。街の様子も変わりないな。こんだけの争いが起きてても、平和なまんまだ」
平和を享受する人々を語る彼の瞳は、優しい輝きに満ちていた。
フレッドは平和を守りたいという純粋な動機だけで騎士になったという高潔な人物だ。チャラチャラしているせいでその精神は隠れがちだが、尊敬すべきところの多いにある立派な騎士。
「そういうところをシェリーに見せればいいのにね」
苦笑気味にそう述べたら、フレッドは照れたように頬をかいている。
「そういうところってどういうところだ?」
「そういうところ、だよ」
ネージュは含み笑いを浮かべて、友の心臓のあたりを拳で軽く小突いてやった。フレッドはまったくピンときていない様子で、首を傾げるばかりだ。
「よくわかんねえけど……なあ俺さ、ネージュ。シェリーに死んでほしくないんだ。女王陛下に捧げた命だけど、いざとなったら体が勝手に動くかもしれない」
その言葉には、ネージュも蒼白にならざるを得なかった。
「この政争はさ、何があってもおかしくないだろ。俺にもしものことがあったら、その時は頼むよ」
——や、やめろおお! 死亡フラグを立てるんじゃなあああい!
ネージュはすっかり失念していた。
この男はハンネス亡き後第二騎士団長に就任するはずだった。史上最年少の団長となったフレッドは、切り込み隊長の地位をも継承して無茶をしまくるのだ。
副団長としての彼も当然そうした資質を備えている。やはりミカの襲撃においては何が起こるのか分かったものではない。
ぎこちなく頷いたネージュに、フレッドは伊達男たる爽やかな笑みを浮かべて見せた。




