苦労人ご登場
マクシミリアンは決起の前に黒豹騎士団にとある命を下した。
いわく、もし戦に敗走した場合は各個散開して任に当たること。
まさか敗走どころか戦自体が消えて無くなるとは予想外だったものの、ブラッドリー城が抑えられた事は想定内。団員達は落ち着いており、女王騎士の追跡を振りきって各々命令を果たした。五百人から成る集団は今は国の至る所に散らばり、仕事の機会を窺っている。
ここは黒豹が生息するブラッドリー領の森の奥深く、獣以外は誰一人として近寄らない古びた館。その内部の食堂にて、黒豹騎士団最高幹部とその主君が一堂に会しての会議が始まろうとしていた。
進行役たる黒豹騎士団長ロードリック・デミアン・チェンバーズは、円卓に腰掛けた面々を見渡すと重々しく告げた。
「これより黒豹騎士団最高幹部会議を始める。一同、マクシミリアン様に礼」
四人いる最高幹部全員が立ち上がり、左脇腹に右拳を置き、左腕を下へと伸ばす礼の姿勢を取る。
部下たちの忠誠の眼差しを受けたマクシミリアンは、自信に満ちた笑みを浮かべて座るように手で合図した。
四人の騎士は直立不動の姿勢を解いて、木製の椅子に腰掛ける。使用することを想定して用意を整えていた館は古いながらも清潔感を保っており、家具雑貨も埃一つないほど磨き上げられている。自身の手配に満足を得たロードリックだったが、そんな心持ちを打ち砕くようなことが起こった。
誰よりもだらしない動作で椅子に腰を据えたイシドロが、何とテーブルクロスの掛かった円卓の上にブーツの足を組んだのだ。
無遠慮な音が鳴ったのと同時、焦茶の長髪をくくった紐をピクリと揺らしたロードリックは、声が震えそうになるのを堪えて冷静に言った。
「……イシドロ、マクシミリアン様の御前だぞ。いい加減にその下品な態度を改めろ」
浅葱色の瞳を剣呑に細め、青灰色の三白眼を睨み据えてやる。上官の不興にもイシドロはまったく気にした様子がないのだが、このふざけた態度もいつものことだ。
「悪いな、ロードリックのおっさん。俺はこうしないと頭が回んねえんだ。なんせスラム時代の癖でさあ」
——こいつ、おっさんにおっさんと言ったら駄目だということを知らないのか。だいたい私はまだ三十二だぞ。
自分本位な返しをしそうになって、すんでのところで飲み込んだ。
堪えろ。騎士の礼節を説くのなら、無闇矢鱈と怒鳴り散らすようなところを見せるわけにはいかない。
「今のお前は誉れ高き黒豹騎士団の一員なのだと、何度言ったら理解するんだ。いいか、騎士とは常に高潔であらねばならない。人としての基本的な礼儀作法すら弁えられぬようでは話にもならん」
「わーってるって。あんたが俺と殺し合いをしてくれるなら考えてやるって、いつも言ってんだろ?」
物騒な台詞がまったく冗談ではないことは、そろそろ十二年になろうかというこの男との付き合いの中でとっくに理解していた。
黒豹騎士団でイシドロに勝てるのはロードリックだけ。しかしまったく手合わせをしてやらないため、この男は常にその機会を窺っているのだ。
冗談ではない。ただでさえイシドロには迷惑をかけられているというのに、この上時間など割いていられるか。
「騎士の礼節とは、自らの望みと天秤にかけるものではない。望んで身に付けるものだ」
「ふーん……」
ロードリックが真面目に諭しているというのに、イシドロはというと欠伸までかまし始めた。猫が安眠を妨害されたような態度に、冷静なはずの騎士団長の額に青筋が浮き上がる。
「貴ッ様ぁ——」
「気にするな、ロードリック。イシドロを型にはめようとしても無駄だ。許してやれ」
つい殺気を飛ばしそうになったところを制したのは、他ならぬマクシミリアンだった。
銀髪に赤い瞳の美丈夫は、復讐心を封じ込めているときは寛大で良識的な主君足り得る。ここにいる全員がこの男こそが王にふさわしいと信じているのも、一人一人と向き合おうとするその真心ゆえだ。
「……は。失礼いたしました、マクシミリアン様」
「構わん。さあ、話を進めよう」
マクシミリアンは右肘を付いて掌に顎を乗せた。そんな姿勢でも絶対的なリーダーが持つ気品は失われず、余裕のある笑みと相まって非常に絵になる光景だ。
ロードリックは頷いて、会議の続きを行うことにした。
「まずは現在の状況について確認する。大前提としてリシャール主導で魔獣を召喚、王城を襲撃する予定だ。リシャール、進捗はどうなっている」
リシャール・バルニエは黒豹騎士団第二位で、剣技は不得手とするも超一流の黒魔術師だ。闇の魔物すら懐柔するほどの才を持つこの男には、一点のみ困ったところがあった。
「……こ……な…。…………き………ます」
死にかけの老人でももう少し快活に喋るだろう。そう思わせる程の小声で話すリシャールは、緩くウェーブのかかった白髪を頭の上で遊ばせているのだが、実際は未だ二十五の若者だ。
子供の時分にひどい目にあって白髪になったと聞いたことがあるが、とにかく会話が成り立たないので本人に確認したことはない。
「リシャール、聞こえないぞ。もう少し大きな声で話せ」
「……も、申し訳ありません。滞りなく、引き続き急ぎます」
今度は辛うじて聞こえたものの、リシャールは蚊の鳴くような声で言うなり前髪に隠れた目元を伏せ、黙りこくってしまった。
もう少し詳しく聞きたいところだが、これもいつものことなので仕方がない。ロードリックは諦めて次に行くことにした。
「魔獣については以上。召喚の時間稼ぎと失敗した時の保険も兼ねて、王立騎士団の戦力を削いでおきたい。騎士団本部への襲撃に名乗りをあげる者はいるか」
「はいはい! ロードリックさん、僕に行かせてください!」
快活な笑みと共に手を挙げたのは、第三位たるミカ・フルスティだった。
ミカは十六という若年ながら風魔法を得意とする実力派の騎士だ。薄青の髪と若葉色の瞳は丸みを帯びた顔立ちを更に優しく見せ、その笑顔は天使のように愛らしいと領民にも評判だ。
ただし彼の好意が向けられるのは、マクシミリアンにとっての味方のみに限られる。
「この間の戦では奴らの首を落とせずに残念でしたから。女王の犬ども、今度こそ息の根を止めてやります。マクシミリアン様の覇道を邪魔する愚か者に、生きる権利なんてありませんよ」
天使の如き笑顔で放たれた物騒すぎる台詞に、流石のロードリックも動きを止めた。
怖い。この子本当に怖い。
マクシミリアンを敬愛しているのはいいのだが、もはや盲信の域に入っている。この少年を放っておくと重大な問題が起こる気がして、ロードリックはいつも肝を冷やしているのだ。
「……ミカ、わかっているのか。マクシミリアン様は女王騎士達の死は望んでおられないのだぞ」
「だからといって別に殺しちゃダメなわけじゃないでしょう? だったら死んだ方がすっきりしていいじゃないですか」
ね、マクシミリアン様。
話を振られたマクシミリアンは苦笑をこぼすと、ミカに向かって諭すように話し始めた。女王騎士を惨殺してしまっては民の反感を買うし、他にも政治的問題を呼び込みかねないのだと。
「必要なら殺していいが必要ではないなら無闇に殺しては駄目だ。いいな、ミカ」
「は! 承知いたしました、マクシミリアン様!」
マクシミリアンに対しては全てが二つ返事である。ロードリックは頭を抱えたくなったが、これもいつものことなので放っておくことにした。
まったくもってここは珍獣の集まりだ。我が君は何故こんな人材を登用したのか理解に苦しむが、実際の理由は頭では解っている。
幼少の頃から付き従うロードリック以外、彼らは全員が拾われ者。人格に問題は多々あれど、マクシミリアンに恩義を抱き、己の力を役立てる為に磨いてきた忠臣だ。
この主君は徹底した実力主義でありなから、臣下の心もよく理解している。だからこそ謀反という暴挙に出た今となっても、彼らは一切去ろうとしなかったのだ。
「俺も行くわ」
イシドロが卓上に足を乗せたまま悠々と宣言した。この男が強敵と戦う機会を逃すはずが無い。
「はあ? イシドロさん、付いてこないで下さいよ。僕あなたみたいな野蛮人と仕事なんてできません」
主君に対する朗らかな笑みを消し去ったミカが、氷の眼差しでイシドロを睨みつける。この二人は出会った瞬間から水と油なのだが、イシドロの方は適当なもので、子供が苛立っているらしいくらいにしか思っていない。
「知らねえよクソガキ。俺は行きたいところに行くだけだ」
「ふざけないで下さい。マクシミリアン様に礼を尽くせない人なんて、僕は認めませんから!」
「何キレてんだ? お前、ちょっとは迫力ってもんを身につけた方がいいぜ」
「……余程死にたいようですね。剣を抜いて下さい、イシドロさん」
「へえ。しゃあねえ、どんくらい強くなったか見てやるよ」
ミカが怒り心頭に発すると言った様子で立ち上がる。それに対してイシドロが小馬鹿にしたような笑みを浮かべたところで、リシャールが何かを囁いたが聞こえなかった。恐らく止める言葉だったとは思うが、何せこの男は声が小さいのだ。
殺気をみなぎらせた好戦的な二人と、おろおろと視線を彷徨わせる黒魔術師、そして微笑ましげな表情を崩さない主君。
駄目だこれは。こいつらには任せておけない。騎士団本部の襲撃などという重大任務、自分が出なければどうにもならない。
笑える程にいつもの光景を前にして、ロードリックはこう思った。
——もうやだ胃が痛い。団長なんてやめてやる。




