可愛い女子が女子会をしてると可愛い ①
癒しが欲しい。自室で眼を覚ますなり、ネージュはそう独り言ちた。
戦を終えて寮に帰ってきたのは昨日の夜半。魔力を大量放出した体は切なる疲労を訴えていて、そのまま爆睡してしまったらしい。時計を見ると既に十時を回っているから、食堂に行ってもなんの食べ物も無い時間帯だ。
燦々と輝く窓を霞む瞳で見遣ってから、備え付けられた浴室でシャワーを浴びる。浴槽に湯を張らないのは常のことで、取り戻した前世の記憶の中でも同じように暮らしていたから、どうやら自分は風呂に癒しを求めるタイプの可愛い女子にはなり得ないようだ。
癒し。今の己に圧倒的に足りないもの。ゴロゴロするのも悪くはないが、これだけは前世と違って騎士たる体力を身につけた体は、一度の睡眠で劇的に体力を回復してしまっている。
そんな時に隣の部屋に暮らすシェリーの顔が浮かぶのは、とても自然な流れだろう。
彼女も休みなら共に甘いものでも食べに行こうかと考えて、ネージュはいやと思い直して頭を洗う手を止めた。
そう確かゲームの流れにおいて、このタイミングでヒロインと攻略対象のデートイベントが発生していたはず。
駄目だ、シェリーは誘えない。真ルートに入った可能性が高いとはいえ、まだまだ何が起こるか未知数なのだ。何より親友の恋の可能性を邪魔するわけにはいかない。
——こういう時こそ、あれだよね!
ネージュは顔を輝かせつつシャワーを止めた。誰にも明かしていない趣味を楽しむために、休日というのは存在する。
*
王都モンテクロは重大な謀反劇の最中でも相変わらずの活気に満ちていた。季節は晩秋、街路樹は色付いて行き交う人と馬車馬が吐く息は白い。
ネージュは紺色のワンピースにベージュのフェルトコートを身に纏い、景色を眺めながら街中を歩いている。
1900年代序盤のヨーロッパの雰囲気がもっとも近いだろうか。街の様子や生活水準からそう読み取れるのだが、一つ決定的に違うのが科学が殆ど発達していないということ。
全てのインフラは魔法に頼って生み出されている。よって発達具合に差があって、電話はあるが自動車などの移動手段は未だ日の目を見ない。ラジオや写真も大衆への普及はまだ。戦は中世の様式を保っているのだが、それは人の手で生み出しうる武器が魔法の威力を上回らなかったからだと推測される。
知ったことではあるがここは全くの異世界なのだ。
しかし前世での暮らしを思い出した今でも、ネージュはこの世界のことが気に入っていた。貧富の差や医療面の未発達など気になることは多々あるが、現代日本のように通信社会に囚われず、吸い込む空気も清涼な世界。前世のことを思い出して寂しくなることもあるけれど、比べて嫌な暮らしだとは思わない。
ネージュは革ブーツの音も高らかに街を歩く。王宮内にいると時間の感覚を失いがちになるから、たまにはこうして外に出るのも悪くない。鼻歌でも歌いたい気分でたどり着いたのは、街で一番の規模を誇る本屋だった。
何を隠そう、ネージュの趣味は恋愛小説を読むことなのだ。
恥ずかしいので誰にも言わずに過ごしていたのだが、前世の記憶を取り戻して妙に納得してしまった。オタクの自分は周囲にその正体を明かさず、細々と趣味を楽しみながら必死で女子大生に擬態して生きていたのだ。
この世界にア◯メイトがあったら間違いなく週一で通ってた。
そんなどうでもいい確信を胸に、ネージュは本屋の扉を押し開ける。木造の店内は温かみに溢れていて、高い天井に向けて本が所狭しと並べられた様は本好きにはたまらない空間と言えた。
別段文学少女というわけでもなく、ただ単に恋愛小説を好むネージュは魅力的な背表紙の数々には目もくれず、迷いのない足取りでいつもの区画へと向かう。
この世界の本は一般にも普及しており、大衆文学が今まさに活況を迎えている。恋愛小説もそのうちの一つで、庶民から貴族まで幅広い愛好者が存在する人気のテーマだ。
かなりの規模を誇る恋愛小説コーナーにたどり着いたネージュは、口元に笑みが浮かぶのを止めることができなかった。
しばらく見ないうちにスペースが広くなっている。探していた新刊は——あった。これと、これも欲しい。
ネージュは浮き足立つ気持ちを隠す気も起きず、欲しい本を片っ端から抱え込んでいく。ある程度かき集めたところで満足したものの、落ち着いたら本棚をじっくり眺めたくなった。
恋愛小説は良い。読むととことんまで癒される。お姫様と王子様みたいな王道純愛ものも良いし、悲恋は悲恋で素晴らしい。壮大な歴史ものとかミステリーものとか、狂気に満ちた愛に翻弄されるサスペンスなんてテーマも面白い。
何かめぼしいものはないかと視線を巡らせたネージュは、一つの背表紙に目を止めた。それは好きな作家ではあるものの、今まで見つからずに諦めていた作品。
ネージュは衝動に突き動かされるようにして手を伸ばしたのだが、そのせいでとんでもない事態に見舞われることになった。
背表紙にかけた手に白くしなやかな手が重ねられる。己の節くれ立って硬くなった手とは明らかに違う、貴族の姫君然としたそれに驚いて、反射的に手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい! 決して触るつもりじゃ」
頼まれてもいないのに弁明を始め、そこで初めて相手の顔を確認したところで、ネージュは完全に思考回路を停止させた。
頭一つ分低い身長に、シニヨンにまとめられた艶やかな金髪。驚いたように見開かれた瞳は藤色で、その顔は女神も裸足で逃げ出すほどの造形美を誇る。
ファランディーヌ・エミリア・グレイル女王陛下が、そこにいた。
ネージュはすっかり真っ白になって、礼をとることすらできなかった。もしかして夢ではないかと考え、その証左を求めて視線を逸らすと、そこにはもう一度驚きを見舞う人物がいる。
シェリーもまたすっかり目を丸くしてこちらを凝視していた。到底信じられないような現実に吹き飛ばされたネージュは、一番最初に友が正気を取り戻すまで、その場に立ち尽くしていたのだった。




