チートって何だっけ? ⑤
バルトロメイという仲間を得たネージュは、暗転する事態にあってそれなりの落ち着きを取り戻していた。今後は尊敬する上司と共闘できるので、予想される敵の襲撃にも随分対処がしやすくなるだろう。
ネージュは足取りも軽くとある天幕を訪れる。
その中ではシェリーが簡易ベッドに腰掛けていた。乾いた騎士服に身を包んだ彼女は、見たところ怪我もなく元気そうだ。
「おや、レニエ副団長」
「ネージュ! 来てくれたの」
我らがヒロインはエスターの治療を受けているところだった。黒豹騎士団を追跡する第一、第二の両騎士団を率いるのはカーティスなので、彼女の親しい者たちはすっかり出払ってしまっている。天幕の中は静かだったが、かといって緊張感が満たしているわけでもなかった。
「フランシア団長。シェリーの状態はいかがです」
「大丈夫ですよ、レニエ副団長。いくつかの打撲がありましたが、今の治療でほぼ治っています」
エスターの優しい微笑に、ネージュは緊張にこわばる顔を緩めた。彼が言うのだから間違いないのだろう。
「アドラス副団長。騎士が取る行動としては天晴れですが、あまりあのような無茶をするものではありませんよ」
「はい……ご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「君が死ねば、悲しむ者が沢山います。アドラス騎士団長閣下も、レニエ副団長も……もちろん、私もね」
桜色に彩られた顔がいたずらっぽい笑みを描く。決して頭ごなしに説教しないその柔らかさに、シェリーもまた緊張を感じずに済んでいるらしく、穏やかな笑みを浮かべていた。
この男、やっぱり外面が完璧だ。
エスタールートにおいては、彼の正体が見え始めるドキドキ感が話の核となる。二人は王城の花壇でほのぼのとした時を過ごすのだが、やがて戦いにて垣間見える冷徹な顔にハッとすることが増えていく。その流れはともすればミステリー仕立てで、他二人とは毛色の違ったルートなのだ。
ネージュは背筋の凍るような思いがした。先程の魔法は天候の激変に見えるように注意を払ったのだが、果たしてこの冷酷な番犬の鼻を掠めているのだろうか。
「レニエ副団長は怪我はありませんか」
「はい、ございません」
「そうですか、ならば良いのです。では、私はこれで」
礼を述べるシェリーに笑みを返して、エスターは天幕を出て行った。その途端に気が抜けてしまって、ネージュは大きく息を吐いてしゃがみこんだ。
「ネージュ、どうしたの。大丈夫?」
美しい声が焦りを帯びている。ネージュは地面に転がりたい衝動をこらえると、苦笑を浮かべて友の翡翠の瞳を見返した。
「それはこっちの台詞でしょ。無事で良かったよ」
「……ごめんなさい。ネージュは本当に怪我はない?」
シェリーはすっかりしおらしくなって肩を落としている。先程の威勢は見る影もないその様子は、叱られた子猫のようで可愛らしい。
「私は大丈夫。シェリーこそ、あのアルカンタル相手によくその程度で済んだね」
「それは……あの人が、手加減したから。私、全然敵わなかったの。全部の攻撃を躱されて、防がれて。全然歯が立たなかった」
シェリーが膝においた両手に力を込める。その手が剣ダコで硬くなっていることを、同じ手を持つネージュはよく知っていた。
「イシドロの気まぐれ一つで、どうにでもなる程度の力しかないなんて。こんなんじゃ、女王陛下のお役には立てないわ。悔しい……悔しいっ……!」
引き絞るような声が落ちては消えていく。シェリーは目を細めて眉間に力を入れて、涙を流すのを必死で我慢しているようだ。
彼女の慟哭を聞きながら、ネージュは場違いにも先ほど得た予感を呼び覚まされていた。
シェリーが誰か一人の男にこれほどの激情を抱くのを初めて見た。それが愛情とは程遠いものだとしても、強い感情という点で特別なことは間違いない。
対するイシドロの方も、自分より弱い人間に対して興味を持つのは大変稀な気がする。彼のことは詳しくはないが、この前ブラッドリー城で出くわした時など、ネージュの存在が眼中に入っていたかどうかすら怪しい。
狂犬と女騎士。下町の青年と王家の血を引く姫君。敵対する組織に所属する男と女。
このような出会いがあった場合、物語においては大抵の場合フラグである。
——いや、いやいやいや。シェリーとイシドロ? 無いよ、無い無い。無いったらない!
ネージュは自身の妄想を切り飛ばした。流石にゲームのやりすぎ、小説の読みすぎだ。シェリーはヒロインなのだから、あの三人の誰かが相手に決まっている。いや、そうであってくれ!
「……シェリー。あなたの命は女王陛下に捧げてる。そうだよね?」
ネージュは気を取り直して静かに語りかけた。ひとまずこの問題は脇に置いておくべきだ。
しゃがみこんだままなので寝台に腰掛ける友とは顔を合わせやすい。シェリーは悔しさをにじませた細面を上げ、力強く頷いてくれた。
「その通りよ。ネージュもでしょう」
「うん、勿論。だからこそ、私は命を落としては駄目だと思ってる」
全てが終わった後、女王は人知れず涙をこぼす。一人きりになった玉座で嘆きながら、人生という長く孤独な戦いを強いられることになる。
「自分の判断で命を投げ打ってはいけない。あなたの命はあなたのものではないんだから」
けれど、その事実を告げることはできないから。ネージュはあえて厳しい言葉を選んで、親友へと投げつけた。
シェリーの翡翠が活力を取り戻していく。やがて彼女は自らの頬をパチンと叩くと、俄かに立ち上がった。
「ネージュ、あなたの言うことが正しいわ。私、なんてことをしたのかしら」
「元気出た?」
「ええ! 落ち込んでいる暇があったら、鍛錬を積まなきゃ。もっとお役に立てるように!」
燦然と輝く瞳で拳を握りしめたシェリーは、既にいつもの彼女自身だった。その姿に安堵を覚えつつネージュもまた立ち上がって、友の後を追うようにして天幕を後にした。




