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チートって何だっけ? ③

 ネージュは背中に冷や汗が流れ落ちていくのを他人事のように感じていた。それくらいに現実感のない光景は、残念ながらしっかりと現実だった。


「ガ、ガルシア団長、あれは一体……!?」

「ふむ……シェリー嬢、騎士の権限を行使したか。さすが、カーティスの娘だ」


 完全に浮き足立った騎士たちの中にあって、流石に歴戦の英雄は落ち着いていた。しかしその泰然とした様子にネージュの方が焦りを覚えて、青ざめた顔で上司を見上げる。


「権限とは!」

「無論、決闘の権利だ。騎士はいついかなる時でも、勝負をつけたい相手に決闘を申し込むことができるだろう。シェリー嬢が望むのは敵幹部の首だ」

「首いっ!?」


 これほどまでに乙女ゲームのヒロインに似つかわしくない単語があるだろうか。ネージュはひっくり返りそうになったが、そう言えばそういう世界だったと思い直した。

 血で血を洗う政争こそがこの物語の軸であり、全ての登場人物が死と隣り合わせの間柄。シェリーは気高く勇敢なヒロインなのだから、自身の決闘によって戦争での勝利を引き寄せたいと考えても不思議ではない。

 ネージュは慌てて視線を友へと向けた。シェリーは動きのない敵陣営にも動揺を示さず、嘲るような響きすら乗せて言葉を手繰る。


「どうした! 貴君らは誉れ高き黒豹騎士団の騎士であろう! 誇りを失いたくなくば、私と剣を交えて見せよ!」


 ——わあ、もうほんとかっこいい。さっすが我らがヒロイン! シェリー、頑張れ〜!


 飽和した頭が現実逃避を始めたが、その間にも容赦なく事態は進行していく。

 黒い甲冑を纏った騎士の軍団の中から進み出てきたのは一人の歩兵。愛用のサーベルの切っ先を肩に乗せ、気怠げに歩いてきたその男の名は。


「よう嬢ちゃん。なあ、あんた強いのか?」


 黒豹騎士団第四位たるイシドロの登場に、ネージュはますます顔色を失った。


「これは正式な決闘である。受けるのならば名を名乗られよ」

「ああ? めんどくせえなあ。イシドロ・アルカンタル。これでいいか?」


 終わった。何もかも終わった。

 成立した決闘を前にして、ネージュは最早気絶寸前だった。

 何この展開。予想外にもほどがある。神のいたずらを疑いたいところだが、神は彼らの生存を望んでおられる。

 誰か止める者はいないのかと周囲を見渡すが、先陣に立つ幹部たちは動く気配がない。

 騎士は騎士の誇りを汚すべからず。シェリーの養父たるカーティスですら、兜に隠れた顔からは動揺を窺えなかった。

 シェリーが無言で馬から地面へと降り立つ。兜を身に付けないイシドロに習って、彼女もまた兜を放り投げる。


「アルカンタル殿、貴殿に感謝する」

「そりゃあどうも。んじゃ、行くぜ……!」


 二人の持つ剣が火花を散らし、両騎士団から大地を振るわす歓声が上がった。

 駄目だ、シェリーは勝てない。イシドロは黒豹騎士団の実質第二位であり、カーティスと切り結ぶことすらできる強者だ。副団長に昇進して半年の彼女では勝ち目がない。命を溝に捨てるようなものだ。

 助けなければ、でもどうやって? ネージュの持つ魔法では、攻撃をする以外に使い道がない。

 迷っている間にもシェリーは徐々に押され始めていた。甲冑のおかげで怪我はないようだが、男の重い一撃が女騎士の動きをやすやすと上回る。魔法を使っても炎のシェリーと水のイシドロでは分が悪く、次々とかき消されてしまう。

 遠目にもイシドロが笑っていないのが見えた。同等以上の実力者でなければ、彼は戦いの愉悦を得られないのだ。

 ネージュはせめてと遠隔聴覚の魔法を使い、どこかに突破口がないかと情報収集に全神経を集中させた。


 〈嬢ちゃん、あんた何ででしゃばった。この程度の実力じゃ、うちの幹部の下位連中に敵うかどうかってところだろ〉


 途端に聞こえてくる、剣戟の音とイシドロの冷徹な声。しかしそれに切って返すシェリーの言葉はまったく引けを取らなかった。


 〈私の命は女王陛下のもの。我が主君のためならば惜しくはない〉

 〈何が女王陛下のためになるんだよ。あんたがここで死ぬせいで、王立騎士団は一つの柱を失う。傍迷惑な犬死にだ〉


 イシドロの声が酷薄な色を宿す。彼の言っていることは言葉はきつくとも事実なので、戦闘狂ではあっても馬鹿ではないのかもしれない。


 〈浅いわね、アルカンタル。私が死ねば味方の士気が上がる。私の部下たちは副団長が殺されて義憤に駆られないような腑抜けではない!〉


 凛とした声音に、ネージュは冑の奥の瞳を見開いた。あまりの衝撃に頭を撃ち抜かれたような気分だった。


 〈生きるも死ぬも同じこと。この戦に勝つためならば、手段は選ばないわ!〉


 そうだ、この子はこういう子だった。騎士団に入団してきた時から何も変わらない。彼女はいつも女王陛下への忠義と自身の使命への誇りを持ち、身命を賭すことになんの躊躇いもない。そんな彼女だからこそ皆が守りたいと願ってやまないのだ。


「シェリーの馬鹿……!」


 ネージュが絞り出すように叫んだのと時を同じくして、自陣の幹部たちもざわりと揺れた。おそらく同じように会話を聞いていたのだろうが、もうその反応を意識の外に締め出したネージュは、ただ覚悟を決めた。

 一歩間違えれば自分のせいでたくさんの人が死ぬかもしれない。それでも何もしないよりは遥かにマシだ。

 そう、最善を尽くすだけ。せっかくもらったこの魔力、今使わずになんとする。

 限りなく小さな声で呪文を唱え始めると、隣に立つ老騎士だけが気付いて視線を向けてくる。それでもネージュは意志を持って諳んじていく。


「雷の輝きは鮮烈、雨の流れは滂沱、その姿は天の采配なり……雷雲の鉄槌」


 ネージュの瞳が魔力を帯びて人知れず輝く。そうして一拍も置かずに轟いた雷鳴に、その場の全員が空を見上げることになった。

 遠くで輝いた稲妻が急速に勢いを増してこちらへと近づいてくる。その光景を呆然と見つめていた万の大軍団は、その圧倒的な力が一直線に自らへ襲いかかろうとしていることを知るや、流石に色を失った。

 稲妻が荒涼とした大地へと突き刺さり、戸惑う騎士たちの姿を鮮烈に照らし出す。獣の咆哮と錯覚する程の轟音に皆一様に足を竦ませたのは無理からぬことだった。やがて滝のような雨が降り始め、甲冑を纏った幾千もの足を泥濘に落とし込んでいく。


「ガルシア団長、レニエ副団長! 緊急事態です、これは戦どころでは……! 防御魔法もここまでの雷では効かない可能性があります!」


 第三騎士団第一班班長のルイスが、大雨と雷の爆音に負けじと叫ぶ。さしもの騎士たちもこの予想外の事態に動揺を隠しきれない。

 ネージュは自らが発動した大魔法のあまりの威力に呆然としていたのだが、すぐにやるべきことを思い出した。


「ガルシア団長、申し訳ありませんが失礼します!」


 ネージュは兜を投げ捨てながら走り出した。手甲も、胸当ても水を含んで邪魔だ。全てを取り払いながらできる限りの速さで足を動かす。

 バケツをひっくり返したような大雨のせいで求める姿が見えず、全軍の撤退が決まるまで魔力の放出を続けなければならないのがもどかしかった。


「シェリー……!」


 しかしその名を呼んだ途端、ネージュは彼女の元へと辿り着いていた。もしかすると膨大な魔力によるものだったのかもしれないが、確かめようもなかった。

 シェリーはイシドロと剣を構えたまま相対していた。滝に打たれるのと同じ状況でも集中力を途切れさせていないその様子に、ネージュははっと息を飲む。


「……くっ、は。あははははは!」


 不意にイシドロが心底面白そうに笑い始めたので、シェリーは訝しげに眉をひそめたようだった。

 濡れ羽色の髪を大雨が撫でている。それでも笑い声は止まらず、彼が楽しみを得たらしいことをネージュへと伝えた。


「いいねえ。筋の通った馬鹿はいい。あんたは自分の価値をよく心得てる」


 イシドロは青灰色の瞳を細めてみせた。サーベルの構えを解き、流麗な運びで鞘へと戻す。


「また会おうぜ、シェリー。それまでに強くなっておいてくれ」


 何気なく踵を返した男の背中は寸分の隙もなかった。一見すると何の気構えもなさそうな後ろ姿が、刺すような雨の中に溶けていく。

 足音が聞こえなくなったところでシェリーはへたり込んでしまった。一つに結い上げていた銀髪は解け、銀の甲冑に張り付いていたが、濡れ鼠になっても彼女は美しかった。


「イシドロ……」


 薄紫色になった唇が、悔しさを滲ませて男の名を呼んだ。

 すぐ近くに雷鳴が轟いている。ネージュは友に肩を貸して立ち上がらせながら、得てしまった予感に胸を冷やしていた。


 ——あっれえ。この二人、もしかしてフラグですか?




 どうにかして宿営地に戻った二人の女騎士は、まずは待ち構えていたバルトロメイに迎えられることになった。そして両陣営の撤退が決まったことを聞かされたネージュは、人知れず魔力を収めていく。

 顔を上げれば雲の切れ間に太陽がその姿を覗かせていた。慌ただしく過ぎ去る騎士達は雨に打たれた疲労を感じさせず、シェリーを引き取って救護所へと連れて行ってくれた。


「ガルシア団長、被害は」

「無い。全員無傷だ」


 バルトロメイは安心させるように微笑んでいる。その答えに肩の力を抜いたネージュは、しかし続く言葉に全身を強張らせることになった。


「さて、少し話をしようかネージュ。先ほどの雷雨について、な」


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