15 つまんねえ話 ③
それからの数年間についてはただひたすら路地裏での喧嘩に明け暮れる毎日だった。
ただ強さだけが欲しかった。強くなれば何も失わずに済むと思った。
いつの間にか魔法まで覚えていたのは、スラムを牛耳る大人との交流があったお陰だろう。イシドロはいつしか腕の立つ子供がいると評判になり、用心棒やその他荒事で飯にありつくようになった。
魔力を持つことが解っていれば、兄にもう少しまともな治療を受けさせることができたのかもしれない。そう考え出すと、どうにも腹の中に行き場のない怒りが溜まって仕方がなかった。
だから強い奴と見れば見境なしに喧嘩を挑んだ。十を超える頃には敵う大人もいなくなって、薄汚れた街は勝手知ったる庭となり、それから更に時が流れた頃のこと。
ただならぬ気配を漂わせる後ろ姿を見つけ、イシドロは口の端を吊り上げた。
「おい、おっさん。俺と喧嘩してくれよ」
声に滲むのは高揚感。久しぶりの大物の予感に、昂る気持ちが抑えきれない。
ゆっくりと振り返った男は端正な顔立ちに深紅の瞳の持ち主だった。艶のある銀髪と相まって、路地裏にあって輝きを放っている。
「俺はまだおっさんと言われる年頃では無いんだが」
男は美しい顔に薄っすらと陰鬱な雰囲気を漂わせていた。イシドロのあからさまな挑発に乗ることはなく、 怪訝そうに首を傾げて見せる。
「そりゃ悪かったな。それじゃ、やろうぜお兄さん」
「何がそれじゃなのかよくわからないが、まあ、良いだろう」
あっさりと勝負に乗ってくれた時点で只者ではなかったのだが、そんなことにまで頭を回す時間はなかった。
「——紅炎の舞」
何せ男は魔法使いであり、イシドロが魔法を使えると見るや容赦なく炎を繰り出してきたのだから。
「深海の怒り!」
青い炎と水の柱が路地裏で炸裂し、大量の水蒸気を撒き散らした。
近くにいた者たちが悲鳴を上げて逃げ去っていく。本能的な危機を感じて全身が痺れるのを、イシドロは歓喜を持って受け止めた。
視界が悪い今のうちに殴って勝負をつける。子供らしい愚直さで考えた作戦を間髪入れず実行するために、大きく地面を蹴る。
「まったく。カーティスと会うだけのつもりが、とんだ拾いものだ」
呆れ切ったような声を蒸気の中で聞いた瞬間、鳩尾に拳がめり込んだ。呻き声すら上げることができないまま、イシドロは未舗装の地面に倒れ伏した。
随分久しぶりに負けた。それなのに、悪くない気分だ。
「お前、いくつだ」
男がしゃがみ込んでこちらを覗き込む気配がした。イシドロが不敵な笑みを消さずに顔を上げた時、男もまた面白そうに笑った様だった。
「十二」
「何だ、まだ子供だったのか。とは言えあと一年だな」
男はひとりごちるように言うと、イシドロに向かって手を差し出してきた。
「俺はマクシミリアン・ブラッドリー公爵だ。お前、うちに来て騎士になれ」
騎士というのは、まさかあの騎士のことだろうか。
かの職業について憧れたことはなかったが、ものすごい奴らが集まっているイメージだけはある。そんなところに俺みたいなのを入れる気なんだろうか、この男は。
しかももう一つ、聞き捨てならないことを言わなかったか。
「あんたもしかして、ハリエットさんの旦那なのか?」
そう、ブラッドリーと言う名には明らかに聞き覚えがある。
確信に満ちた思いつきを口にした瞬間、マクシミリアンの表情が一変した。
「何でハリエットのことを知っているんだ⁉︎」
切羽詰まった声で言うなり、イシドロの両肩を鷲掴みにしてくる。縋る様な、それでいて恐怖を滲ませた表情に、何となく嫌な予感を覚えた。
「だいぶ前だけど、道端で会ったぜ」
こういうのを巡り合わせというのかもしれない。
イシドロは覚えている限りの出来事を伝えた。マクシミリアンはずっと真剣な様子で耳を傾けていて、時には微かな笑みを見せたが、最後には掠れた呟きを落とした。
「そうか。ハリエットらしい話だ……」
その表情で、ハリエットに何が起きたのか大体わかってしまった。
「奥さんは」
「亡くなった。六年前のことだ」
答えを聞いても驚きは感じなかった。知ってみればそうおかしな話ではなく、ハリエットが突然来なくなる理由としては一番納得できるものだったからだ。
彼女はもうこの世にいない。綺麗な記憶を一切損なうことなく、帰らぬ人になってしまったのか。
「なんで、死んだんだ」
「……病気だ」
嘘だ。マクシミリアンは明らかに目を逸らしているのだから、自ら嘘だと言っているようなものだ。
「娘は。いただろ、ちっこいのが」
「……死んだ。同じ病気でな」
これも多分、嘘だ。イシドロは察してしまったが、それ以上質問を重ねることはなかった。
マクシミリアンが話さなかったのは秘密であること以前に、恐らくは子供に聞かせる話ではないと判断したからだろう。
そしてこの時の復讐者の判断は正解だった。イシドロは謀反の全てが終結した後になって真相を聞かされたのだが、先代と先先代の国王が生きている状態でこんな話を聞いていたら、間違いなく一人で首を取りに行っていたはずだ。
しかし多くは語られなくとも、優しいあの人が何か理不尽なものに命を奪われたらしいことは子供なりに理解できた。この男は途方も無い闇を背負っていて、恐らくはハリエットのために全てを手放したのだ。
わかってしまうのは、自身こそが同類だから。
親しい人を理不尽な形で失うと、穴が空いて埋まらなくなる。日毎に虚しさが増していく。
「ここまでの腕っ節があるのにこんなところで終わるものじゃない。強さを求めるには、我が騎士団は最高の環境だと思うがな」
その筈なのに。この同じ目をした男は、自らの穴を脇に置いてまで孤児を拾おうとしている。
この出会いは多分、自分にとっての最後の幸運になるだろう。
イシドロはそんな予感を抱くと同時に、ハリエットに恩を返したいと願った日のことを思い出した。こうしてマクシミリアンという唯一のボスと巡り合ったこと、強くなるための場所をもらったこと。
十分すぎる。この汚い人生でよければ、いくらでもあんたたちにくれてやる。
「いいね。なってやるよ、騎士とやらに」
イシドロは白い手袋に包まれた手を思い切り握りしめた。黒い泥で汚れた様を見て、マクシミリアンは苦笑した様だった。
「アルカンタル隊長、兜はどうなさったんですか?」
平原に集結した黒豹騎士団と王立騎士団の大軍団が睨み合う中、副官のダリオが信じられないものを見る目を向けてくる。
周囲に並ぶのは黒い甲冑の男どもだ。部下たちの先頭に立ったイシドロは、恐らくはただの一人だけであろう頭を晒した姿で、抜き身のサーベルを肩に担いだ。
「いらねえ。んなもん着けたら周りが見えねえからな」
「嘘でしょ⁉︎ 死んじゃいますよ!」
そう言われても本当にいらないのだから仕方がない。強者とやり合う絶好の機会、動きやすい格好で楽しまなければ勿体無い。
「俺はやりたい様にやる。そうすりゃロードリックのおっさんが上手く使うだろ」
「確かにいつもそれで上手く行きますけど! でも、あっちも幹部が揃い踏みしてますし……!」
「馬鹿が、だから面白いんだろうが」
「もうやだこの人! 命がいくつあっても足りないよお!」
ダリオがこの世の終わりとばかりに頭を抱えた。慰めるという単語を己の辞書に持たないイシドロは、代わりに事実だけを伝えることにした。
「何言ってんだ。お前らは俺に付いてくるくらい出来るだろ」
するとダリオが弾かれたように顔を上げ、後ろの部下たちも同じ動きをした。彼らはしばしの間絶句した後、すぐに目の奥に騎士としての自負を取り戻す。
「はい! 俺たちやれます、アルカンタル隊長! なあみんな!」
おう! とむさ苦しい声が上がった。どうでもいいがやる気になったのは結構なことなので、適当に相槌をしていなしておく。
その時のことだった。両陣営共に大きな動揺が走ったのを感じて、イシドロは平原へと視線を向けた。
「我が名はシェリー・レイ・アドラス! 女王陛下の名の下に、貴君らに一騎討ちの申し入れを致す!」
白馬に乗った一人の騎士が荒涼とした平野に出現していた。銀色の甲冑を着込んで顔は見えないが、声と背格好からして女で間違いない。知らない名前かと思えばダリオは聞いたことがあったらしく、兜から垣間見える瞳をこれでもかと見開いている。
「え! シェリー・レイ・アドラスって、アドラス騎士団長の養女である上に実力もあって、更には超美人で有名なあのシェリー・レイ・アドラス⁉︎ 俺、ちょっとファンなんですけど!」
長い上にうるさい。イシドロはサーベルの柄でダリオの頭を小突いておいたのだが、その間にも朗々とした口上は続いている。シェリーとやらが全てを言い切った所で場の熱気は最高潮に達し、王立騎士団から雄叫びが上がった。
ま、誰だか知らないが誰でもいいか。
イシドロはダリオが呼び止めるのも聞かずに前へと踏み出した。女から強者の気配は感じ取れないが、売られた喧嘩は買っておいて損はない。
「よう嬢ちゃん。なあ、あんた強いのか?」
問いかけに対する答えはなく、女は兜の奥の瞳を剣呑に細めた様だった。
「これは正式な決闘である。受けるのならば名を名乗られよ」
「ああ? めんどくせえなあ。イシドロ・アルカンタル。これでいいか?」
決闘の成立を受けて女が馬上から降りてくる。そしてこの瞬間、イシドロは人生で一番の驚きを味わうことになった。
何せ兜の下から現れたのは、遠い記憶の中に存在するハリエットと瓜二つの顔だったのだから。
あまりの衝撃にほんの一瞬だけ頭が過去に戻りかけたところを、強引に連れ戻して女の顔を凝視する。やはりよく似てはいたが、他人の空似と断定しようとしたところで先程のダリオの言葉が蘇ってきた。
アドラス騎士団長の養女。そうか、そういうことかよ。
間違いない、マクシミリアンは親友に我が子を託していたのだ。
カーティスとマクシミリアンが親しいことは知っていて、だからこそ驚きは深かった。マクシミリアンは娘が敵方にいることを知って尚謀反という道を選んだことになるが、本当に覚悟があってのこととは思えない。
「アルカンタル殿、貴殿に感謝する」
ハリエットと同じ翡翠色をした目がじっとこちらを見据えている。動揺のあまり何と答えたのか自覚しないまま、一騎討ちが始まった。
イシドロは自らの勘の良さを呪った。これじゃあもう、決闘だろうが戦争だろうが殺せるはずがない。
それでも幸いなことに体はよく動き、全力を出さずともシェリーの動きを上回るのは簡単だった。どうやら彼女には実戦経験が足りていないらしい。
「嬢ちゃん、あんた何ででしゃばった。この程度の実力じゃ、うちの幹部の下位連中に敵うかどうかってところだろ」
素早いが重さの足りない剣が胴に迫り、サーベルで弾き返したことで激しい金属音が鳴った。全ての攻撃を掻き消されても、シェリーの意志は消えずに燃え盛っている。
「私の命は女王陛下のもの。我が主君のためならば惜しくはない」
「何が女王陛下のためになるんだよ。あんたがここで死ぬせいで、王立騎士団は一つの柱を失う。傍迷惑な犬死にだ」
そうだ、やめろよ。あんたは生きなきゃ駄目だろ。
「浅いわね、アルカンタル。私が死ねば味方の士気が上がる。私の部下たちは副団長が殺されて義憤に駆られないような腑抜けではない!」
あんなにふにゃふにゃだったくせに、絵に描いたような騎士になりやがって。
「生きるも死ぬも同じこと。この戦に勝つためならば、手段は選ばないわ!」
他はどうなってもいい。ボスとハリエットさんが守ろうとしたあんただけは、絶対に死んだら駄目だ。
「同じな訳あるか、この馬鹿娘が……!」
誰にも聞こえないであろう小声で怒りを呟いた時、空が嵐を連れてきた。イシドロは何かの力が働いていることを正確に読み取ったのだが、あまりにもタイミングが良すぎたせいで可笑しくなってしまった。
——ああわかったよクソ、面白え。誰が何を望んでるのか知らねえが、あんたは俺が守ってやるよ。
当然ボスの謀反は遂行する。この二つを成し遂げるために、邪魔する奴は敵味方関係なく全員潰す。
そう、俺は俺がやりたいようにやるだけだ。後のことなんざ知ったこっちゃない。
雨が降ってきた。それは自身が言うところの「汚い人生」においても、一番の面倒ごとを背負い込んだ瞬間だった。
最終話まで毎日朝7時に投稿予定です。




