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10 馬上槍試合

 忙しくしているうちに時が流れた。時折り訪ねてくる王立騎士団の面々の応対をしたり、ゴードンと調整を重ねたりと過ごしていると、数日などあっという間だ。


 そして馬上槍試合当日を迎え、シェリーは朝から方々を駆けずり回っていた。

 来客を迎えるのはマクシミリアンとロードリックの仕事だが、基本的には出場者の案内はシェリーの役回りとなる。自身の出番は昼頃なので少しはゆとりがあるが、それでもやっぱり忙しい。


 そしてまた案内を終え、シェリーは城門へと戻るべく城内の廊下を走る。すると角を曲がった先に今最も会いたくない背中を見つけて、瞬時に角の手前へと引っ込んだ。


 間違いなく今のはイシドロだった。シェリーはあれ以来どんな顔をして会えばいいのかわからず、彼を避け続けているのだ。

 そして避けるように心がけた結果判ったことがある。それはイシドロが、特にシェリーに絡んでくるわけではないということ。


 会うたびに無礼なことをされたり言われたりした衝撃でまったく気が付かなかったのだが、思えば出会った当初からそうだったように思う。

 イシドロとは偶然相見えただけであり、そもそもこんな仕事を引き受けない限りは接点だって無くなるはずだった。そう、彼は以前言っていたではないか。「あんたの力に興味はない」のだと。


 シェリーは壁に背を預けて唇を噛んだが、すぐに勢いよく顔を上げた。どんな顔をすればいいのかわからないのは相変わらずだが、試合の中なら何も考えずに済むはずだ。


 今度こそ一矢報いてやる。


 曲がり角の向こうでイシドロが振り返っていたことなど知るはずもない。シェリーは一人で強く拳を握り込むと、別のルートで競技場へと向かうべく踵を返したのだった。





 素晴らしいことに天気は快晴だった。真夏の青が冴え渡る中、競技場に詰めかけた人々の熱気は外気温を上回る勢いだ。

 シェリーがこの厩舎へとやってくる前、ライオネルが激励に来てくれた。エスターとフレッドは朝のうちに応援の言葉をくれたし、それはここ二週間で打ち解けた黒豹騎士団員達も同じだった。


「……貴方も楽しみ? サンドラ」


 既に馬が出払って誰もいなくなった厩舎で、シェリーは白馬の鼻筋を撫でた。サンドラとは入団以来の付き合いで、例の平原での戦の際も背に乗せてくれた特別な馬。

 すぐ側の競技場からは観客の歓声が響いている。直に聞いているわけではないのに盛り上がっているのが感じ取れるのは、熱気が地響きとなってここまで届くからだ。


「私、頑張るから。貴方の力を貸してね」


 サンドラはもちろん何も言わないが、理知的な瞳はもちろんだと語っているように見えた。信頼を寄せる白馬に勇気付けられていると背後に慣れた気配が発する。名前を呼ばれて振り返ると、そこには最高の騎士が立っていた。


「父上……」


 カーティスはこの暑さだというのに一筋の汗も流すことなく、涼しげな表情をしているのが流石だった。


「娘の激励に来たよ。ネージュにも応援を届けるように頼まれたしね」


 ネージュは転移魔法が使えないためここにはいないのだ。どうやら今は騎士団長としてではなく、一人の父としてここにいるということらしい。

 ならば、あのことについて尋ねても許されるかもしれない。


「父上は、何故私に運営の仕事を任せてくださったのですか」


 あえて以前と同じ問いをした意味を、カーティスは正確に読み取ったようだ。小さな間の後に話し始めたのは、やはりシェリーが想像した通りの理由だった。


「シェリーが対外的な仕事向きだというのは本当だよ。けど、マクシミリアンと話す機会をあげたかった。仕事に私情を挟むのはどうかと思ったけど……こうでもしないと、何も変わらない気がしてね」


 やはりそうだったのかと、シェリーは思ったよりもすとんと受け止めることができた。

 カーティスとマクシミリアンが謀反が終結した後にどんな話をしたのかはわからないが、二人ともシェリーの未来を決めつけるようなことはしなかったのだろう。それはここへ来たからこそ感じ取れた真実だった。


「もう一つ伺ってもよろしいですか」


「うん、何かな」


「父上はもし私がブラッドリー公爵家に戻りたいと言ったら、どうしますか」


 この答えだけは予測がつかなかったから、シェリーはサンドラの立髪を撫でて心を落ち着けることにした。

 心臓が嫌な音を立てている。誰かここへ来て勇気付けて欲しい。ネージュか、ファランディーヌか……あとはイシドロ、とか?


 シェリーは脈絡のない思考に心の中で驚いた。


 どうして彼のことを思い出すのだろう。ああ、そうか。この間ブラッドリー城で暇になった時、出自に想いを馳せて無性に辛くなって、その時に来てくれたから。だからまた来てくれるんじゃないかと思ってしまった。


「そうだな、どうしようか」


 空色の瞳が斜め下を向く。その時について考える時間はことのほか長かったが、シェリーはじっと父の目を見つめて答えを待った。


「シェリーが望むなら送り出してやりたいと思う」


 カーティスは再び娘の目を見つめ返してきた。止めるはずが無いとわかっていたのに、胃が鉛を飲み込んだように重くなる。


「けど……本当は、すごく寂しいよ」


 思いがけない言葉を聞いて目を丸くした時、隣の競技場から大きな歓声が聞こえた。試合が終わったのならそろそろ自身の出番が近づいている。焦りを帯びながらも迷うそぶりを見せたシェリーに、カーティスは笑みを見せてくれた。


「遅刻は駄目だね。行っておいで」


「父上……」


「後でちゃんと話そう。応援しているから」


 ここまで来れば言う通りにするしかなかった。シェリーは胸の高さ程の木の檻を開けて、サンドラの手綱を握った。


「父上はネージュに話して来てって言われたんでしょう?」


「おや、バレていたか」


 揶揄う笑みを浮かべる娘に、カーティスもまた戯けた仕草を返す。

 以前の父ならば何を聞いても寂しいなどとは言わなかっただろう。

 いつの間にかカーティスも変わった。完璧な大人だと思っていたけれど、人との出会いによる変化は誰にだって平等に訪れるのだ。


「……行って参ります!」


「ああ。頑張って」


 シェリーは何よりの激励に頷き返すと、白馬の手綱を引いて歩き始めた。




 試合は順調に勝ち上がることができた。各騎士団から出場してくる騎士達は新入りからベテランまで様々だが、残念ながら幹部級とはほとんど当たることがなかった。

 こうしてシェリーは思っていたよりも余力を残した状態で勝ち上がり、ついには準々決勝にてイシドロと対戦するに至ったのである。


『さあやってまいりました、ついに準々決勝の始まりです! 西に出るはぁ、王立騎士団、シェリー・レイ・アドラス〜!』


 サンドラと共に競技場へと進み出ると、午後一時の気温と観客席の熱気で場内は最高潮にまで盛り上がっていた。

 丸く作られた石造の観客席は熱すぎて座れないために、今回に限っては布が敷いてある。王都開催では無いため女王陛下はいないが、関係者席にはカーティスを始めとした各騎士団の責任者が腰を据えているようだ。


 そしてカーティスの隣にマクシミリアンの姿があることが、此度の大会においては最も重要だ。

 この馬上槍試合は女王とブラッドリー公の和解を内外に示すためのもの。シェリーには運営としての責任があるのだから、彼らの前で無様な姿を晒すわけにはいかない。


『東、黒豹騎士団、イシドロ・アルカンタル〜!』


 先程までとは段違いに場内が沸き立ったあたり、観客の多くを占めるであろうブラッドリーの領民もまた、黒豹騎士団を敬愛しているのだろう。


 領民の期待を一身に背負って出てきたのは、アナウンス通りにイシドロだった。

 彼はやはりというべきか、いつもの着崩した騎士服姿で黒い馬の上にいた。シェリーは呆れ返りつつ、自身も多少は同じ条件に近づける為に兜を脱ぎ捨てる。


「……怪我をしても知らないわよ」


「問題ないね。せいぜい全力で来な、シェリー」


 短い会話はすぐに終わった。シェリーが足の内側で腹を蹴って合図を送ると、愛馬は躊躇いなく蹄を蹴って走り出した。

 大会屈指の好カードとあって、観客席が熱狂の渦に巻き込まれてゆく。シェリーが薙ぎ払うようにして繰り出した槍がイシドロの持つそれとぶつかり合った瞬間、轟くような歓声が全身を打った。


 しかしシェリーは観客の熱狂など耳には入らず、今までの相手とは比べ物にならないほどの重心の重さに衝撃を受けていた。


 渾身の力で払ったつもりが全く動じないとは、甲冑も身につけていないし痩せ型のくせに、信じ難い重さだ。


 中世初期から続く伝統の馬上槍試合では、魔法を使わずに戦うことになっている。観客の保護と貴重な軍馬をただの催しで失うわけにはいかないというのが理由で、実際に馬への攻撃はルール違反で即失格だ。イシドロが馬に乗っているのは初めて見るが、殆ど手綱を使うことなく自身の体幹に任せているのだから驚異的だった。


 単純な力比べでは勝ち目がないことを確認して、シェリーは出来うる限りの速度で突きを繰り出した。サンドラとは以心伝心の仲ゆえに、少しの手綱捌きですぐに望む場所へと連れて行ってくれる。


 しかしイシドロの方も簡単に喰らうはずがなかった。胴の捻りだけで突きを交わしたかと思えば、すぐに猛烈な速さの切先が飛んでくる。一見無造作に見える攻撃なのに、槍の扱いにくさを感じさせない気配の無さ。


 まるで野生の獣のようだ。普段は気まぐれに過ごしているように見えて、狩りとなれば力を爆発させる。獲物は何が起こったのかもわからないまま、ただ命を取られるしかない。


 シェリーは両手で柄を掲げて攻撃を防いだ。鈍い金属音が鳴って、両腕に痺れが広がっていく。しかしまだまだ余力があると感じるのは、ここ最近の鍛錬のおかげだろう。


 ——それでもこの人は、全力を出していない。


 シェリーは柄を握る手に力を込めた。何故それがわかるのかと言えば、彼と戦った経験によるものだ。

 彼が強者と戦う時、この世で最も楽しいことに出くわしたかのように笑うのを知っている。今は真剣そうな無表情だから、きっと楽しいとまでは感じていないのだろう。


 それなのにシェリーは押されていた。偶に手応えを感じる時はあっても、勝利条件である武器の脱落までは至らない。それどころか長いリーチに押し込まれ、だんだんと危ないところで躱す場面が増えてきた。

 勝機があるとするならば一瞬の隙を突く以外には無いだろう。成功する可能性は低いが、捨て身の攻撃をするしかない。


 今までは右からの攻撃を八、左からの攻撃を二にあえて偏らせておいた。それらはすべて、左への意識を薄くするため。

 最小限の動きで槍を引いたシェリーは、最も刃から遠い部分を右手で持って、イシドロの左脇に向けて渾身の突きを繰り出した。


 後には大きな隙が生まれるであろう大胆な攻撃だが、イシドロを相手にするには無茶をするくらいで丁度いい。恐らくイシドロはこの突きを受けず、隙をつく余力を残すために躱すだろうから、何もしなければ次の攻撃はこちらが確実に喰らう羽目になる。シェリーは一瞬先の未来を予想して、大崩れした体制を立て直す準備をしようとしていた。

 しかしながら、それが最後の大勝負になった。


 重く鈍い金属音が鳴って、イシドロが手にしていた槍が宙を舞う。大きく回転しながら飛んだ槍は警備中の騎士の防御魔法に弾かれて、地面へと突き刺さった。


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[一言] う〜ん、シェリーが試合結果に納得しなさそう。 イシドロはなんて答えるのかな?ワクワク
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