8 二度目の見回り
休みが明けてブラッドリー城に戻ったシェリーだが、手の空いた時間になってばったりとイシドロに出会ってしまった。
実家での会話を思い出して勝手に気まずくなっていると、副官のダリオがシェリーを見つけるなり顔を輝かせた。
「アドラス副団長殿、お疲れ様です!」
「お疲れ様です、ダリオ殿」
何人かの部下を引き連れているところを見るに、もしかすると見回りに行くのだろうか。聞いてみようとしたところで、ダリオが先回りして答えをくれた。
「我々は今から見回りなんです。アドラス副団長殿はお困りごとなどありませんか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとう」
純粋な気遣いの眼差しにほとんど反射で返したところで、シェリーははたと動きを止めた。
そういえば、今ちょうど手隙になったところだった。
「……もし差し支えなければ、見回りについて行ってもよろしいでしょうか」
これはまたとないチャンスなのかもしれない。謎多き人物であるイシドロの背景を解明し、すっきりして運営の仕事を終わらせるための。
「何だよ。また暇なのか、あんたは」
別段馬鹿にするでもなく、イシドロは淡々とした瞳でこちらを見下ろしている。「暇なのかなんて、お客様に言うものじゃありませんよ」などとダリオは嗜めているが、完全なる無視を決め込んでいるようだ。
「ええまあ、今日は少し時間が」
「ふーん。じゃ、付いてくりゃ良いんじゃねえの」
下手に出てみるとイシドロはどうでも良さそうに頷いた。こうして、シェリーは二度目の城下見回りに向かうこととなったのだ。
城下は相変わらずの賑わいを見せていた。夏の日差しは照りつけるようだが耐えられないほどの暑さではなく、カフェのテラス席は人々の憩いの場となっている。
前回と同じく騎士達は解散してゆき、シェリーはイシドロに同行させてもらうことになった。前回とは違うルートを辿っていると、今度は菓子店の店主に声をかけられる。
「アルカンタル様! 綺麗な人連れて、彼女さんですか⁉︎」
しかし中年女性である店主の声の掛け方には、反発せざるを得なかった。
「違います!」
「違えよ」
同時に同じことを言ったことに気付き、思わずお互いに顔を見合わせる。すると菓子店の店主はさも面白そうに笑いながら、焼き菓子を包み始めた。
「ははは! 仲良しだね。これお土産、持っていって」
イシドロは不満そうにしつつも紙袋を受け取った。笑顔に見送られて菓子店を後にすると、次にはすれ違ったチンピラ風の男が恐怖に顔を引き攣らせて道を開けるのだから、シェリーはため息を吐きたい気分だった。
いったいどれ程思うままに行動したら、ここまで両極端な反応を得ることになるのだ。
「今日はどこに向かうの」
「ぐるっと回って孤児院だな」
「……え」
子供が嫌いなはずなのに、仕事とはいえ孤児院に?
信じがたい目的地に斜め前を行く横顔を仰ぎ見たが、青灰色の瞳がこちらを向くことはなかった。イシドロは早足に歩いていくと、路地へと曲がろうとした男の肩を鷲掴みにしたのだ。
「おい、おっさん。懐に入れたもん出してみな」
「なっ……⁉︎ 何だ、君は!」
「いいから出せってんだよ。おいシェリー、正面に歩いてった青い服の女、連れてこい」
騎士の習い性とは悪くないもので、突然の指示にも体はよく動いた。シェリーはすぐに青い服の女性を見つけて、元の場所へと連れて戻った。
「ほら」
すると特に前置きもなく、イシドロが何かを女性へと放り投げる。綺麗に手のひらに収まったのは、革でできた財布だった。
「これ、私の財布!」
「このおっさんがスリ、あんたは被害者。ちょっと話を聞きたいんで、最寄りの屯所までどーぞ」
今に至るまで事態の把握を出来かねていたシェリーだが、どうやらイシドロが騎士の仕事を果たしたらしいと理解して目を丸くした。これでも王都の見回りでは何度かスリを捕まえたことがあるのに、今回はまったく気が付かなかった。
「騎士様、ありがとうございます!」
若い女性に笑顔でお礼を言われても、イシドロは終始表情を変えなかった。女性の方は何やら頬を染めているというのに、あっさりとスリと一緒に屯所まで連れていくと、詰めていた騎士に引き渡して見回りに戻ってしまう。
随分と鮮やかな手腕だが、彼はいつもこんな調子で街の中を救ってまわっているのだろうか。
「どうしてそんなにすぐ気付いたの?」
「別に、たまたまだろ」
どうやら自身の手柄に対して欠片ほどの興味もないらしい。適当に答えてあくびまでし始めるのだから、シェリーは賛辞を送る機会を失ってしまった。
その後は犯罪の現場に出くわすこともなく、二人は無事に孤児院へと辿り着いた。
イシドロによれば城下の孤児院はすべて領主によって管理されており、こまめな見回りは正常な運営を維持するために重要なのだという。
しかしながら守ってくれているはずの騎士に対して、子供達は素直だった。イシドロがやってくるなり全員で庭に固まって、院長と話す様子に注意深い視線を送っている。
「こらみんな、失礼だろう! こっちに来て挨拶なさい!」
「別にそんなもんいらねえよ。あとこれ、街で貰ったからやる」
イシドロが差し出したのは見回りを始めた頃に貰った焼き菓子だった。恐縮して頭を下げる院長に対してイシドロがあまりにも適当な相槌を打つので、シェリーは限りなくにこやかな対応を心掛けることにした。
必要最低限の確認事項だけを済ませたつもりでも、外に出るとそろそろ夕刻という頃合いだった。橙色の街には街灯が灯り、夏の熱気も息を潜めている。
「あの焼き菓子、最初からあげるつもりだったの?」
「ああ? 適当だろ、そんなの」
「そう。子供が嫌いなのに、優しいのね」
薄暗い街を歩きながら隣を見上げると、イシドロは軽く目を細めたようだった。その表情は昔を見つめるように遠いものだったのだが、シェリーには暗くてよく見えなかった。
「ガキは嫌いだが、飢えたガキはもっと嫌いだ」
その声がいつになく本音を含んでいる気がして、シェリーは歩く足を止めた。
数歩進んだところでイシドロもまた歩くのをやめる。こちらを振り返った彼の顔はやはりよく見えない。何かを言いたいのに言葉が出てこないのは、彼の「筋」が垣間見えたように感じたからだ。
「ねえ、貴方は——」
その瞬間に自身の腹の虫が盛大な主張を始めたことは、シェリーにとって一生の不覚だった。
半日動き回った体が栄養を欲して泣いている。仕方がないこととはいえ、何もこのタイミングでなくても良いのに。
羞恥のあまり赤くなって固まっていると、イシドロは小さく吹き出したようだった。
「は。ここにいたな、飢えたガキが」
「飢えたガキって! 私、子供じゃないわ!」
「はいはい、そうかよ。んじゃ行くぞ」
イシドロがさも当然のように歩き出す。城に帰るのかと思えば少し逸れた方向に進んでいるようだったので、シェリーは問いかけてみることにした。
「行くって、どこへ」
「決まってるだろ。腹拵えだよ」




