5 見回り
初めて訪れるブラッドリー城下は想像以上の活気で持ってシェリーを迎えた。
大勢が行き交うメインストリートは、八百屋から洋品店、そしてカフェまで、どこも王都と同じくらい華やかで最先端のものが揃っているように見えた。行き交う人の顔に翳りは見当たらず、綺麗な色の夏服を身に纏った様子は実に晴れやかだ。
そんな中、シェリーとイシドロは領民からの注目を浴びることになった。自身の紺色の騎士服が珍しい自覚はあったし、更にイシドロは顔が整っている上に騎士服を着崩しているせいで輪をかけて目立つのだ。
「ねえ、イシドロ。あなた騎士服をちゃんと着る気はないの」
「無いね。ちゃんと着たら動きにくいだろ」
どちらの騎士服も夏服のために動きやすくなっている筈なのだが、そんなことはこの男には関係がないらしい。シェリーはため息を吐きながらも、不思議な思いで斜め前を行く横顔を見上げた。
意外なことにイシドロはきちんと部下を集め、各々の担当地区を確認してから解散するという仕事ぶりを見せたのだ。シェリーは客人の扱いになるとのことで、責任者のイシドロに付いて歩くことになった。
青灰色の瞳に緊張は感じられないが、街の様子をつぶさに観察していることは確かな様だ。先程は「偶には仕事をする」などと嘯いていたが、特に驚いた様子の無かった部下たちを見るに、恐らくは日常的に行われている仕事風景なのだろう。
「今はどこに向かっているの」
「見回りしながら商店会長のとこ。ご様子伺いに行くんだが、ボスによれば小さな意見が一番集まるところなんで、聞いてきて欲しいんだと」
本当に意外だけど、思っていたよりだいぶちゃんとしているわ……。
シェリーは先程のゴードンの言葉を思い出した。「各々筋の通った連中」だと彼は言ったが、だとしたらイシドロにとっての筋はどこにあるのだろう。
「騎士様! この間はありがとうございました!」
思考に囚われて黙り込んだところで、パン屋の軒先からエプロン姿の男性が話しかけてきた。イシドロは足を止めて、気楽な調子で「よう」と言った。
「お仕事お疲れ様です。そうだ、良かったらパンを持っていって下さいよ!」
「昼食ったばっかだし、いらねえよ」
「まあまあそう言わずに」
男性は有無を言わさぬ調子でパンを包み始めた。イシドロは呆れた様子で閉口しつつも、文句を言うことなく紙袋を受け取っている。
笑顔の男に見送られて再び歩き出したところで、シェリーは気になったことを尋ねてみることにした。
「パン屋さんで何があったの?」
「チンピラがパンに因縁つけてるところに出くわしたんで、うるさくてムカついたからぶちのめした」
シェリーは何と言えばいいのか分からずに絶句してしまった。
動機はともあれイシドロの行動は結果的には街の平和に繋がっている。気分屋に見えるが仕事はちゃんとしているようだし、ますます彼のことがわからなくなってきた。
「……もしもうるさく無かったら、放っておいた?」
思ったことを口に出すと、イシドロは飄々とした仕草で肩を竦めた。
「もしもなんざ俺の知ったこっちゃないね」
また「俺の知ったこっちゃないね」だ。
はぐらかされたのか、それとも本当に本人にもわからないのか、シェリーには判断がつかなかった。せめて手がかりはないかと泰然とした横顔を見つめたところで、小さな事件は起きた。
すぐ側の路地から走り出てきた五歳程の少年が、二人の目の前で思いきり転んだのだ。
「あなた、大丈夫?」
シェリーが慌てて走り寄った時、少年は気丈にも涙を我慢する仕草を見せた。しかし顔を上げた途端、彼は息を呑んで固まってしまう。
少年はイシドロと目を合わせていた。イシドロはといえば完全な無表情で少年を見下ろしており、転んでしまった子供を気にかけるそぶりすらない。
この黒豹騎士団第三位は顔立ちそのものは整っているが、三白眼で目つきが悪いのだ。背が高く怖い顔の男に見下ろされた子供の心情は如何許りかと、シェリーが嗜めようとした時にはもう遅かった。
堪えきれなかった少年が大声で泣き始め、ただごとではない様子に道ゆく人たちが一斉に振り返る。涙の原因は明らかで、シェリーは俄かに青ざめて膝をついた。
「痛かったねえ、大丈夫よ! このお兄さん、別に怒ってるわけじゃないからねえ! 怖くないのよ!
「うわあああああん!」
少年は泣き止む気配を見せない。シェリーは焦りを隠す気も起きずに、急いでイシドロを見上げた。
「ちょっとイシドロ、ニコってして! お願いだから!」
「別にいいけど、多分余計泣くぞ」
彼の言葉は現実のものとなった。シェリーにとっては見慣れた猛獣の笑みがその顔に浮かんだ途端、少年の泣き声が更なる拡大を遂げたのだ。
「ほらな」との放り出すようなため息に反応する余裕はなく、シェリーは慌てふためいての奮闘を始めた。
「わあああ! よしよし、ごめんねえ! 大丈夫だからね! ほら、泣き止んで……⁉︎」
必死であやしていると通行人に大丈夫かと声をかけられてしまい、力一杯頷いておく。そうして四苦八苦した末、擦りむいた膝小僧に治癒魔法をかけるとようやく泣き止んでくれたので、シェリーはそっと安堵のため息をついた。
少年はおずおずと礼を言ったが、怖いもの見たさとしか言いようのない目つきでイシドロを一瞥すると、逃げるように走り去って行った。ちょうど向こうから仲間の子供たちが走ってきて、無事に合流したようだ。
大事にならずに良かった。少年の怪我がごく小さいものだったこともそうだし、騎士なのに騎士を呼ばれては目も当てられない。
シェリーは恨みがましい気持ちになって、イシドロを正面から睨み上げた。
「もう少し優しい顔ができないの? 子供が泣いているっていうのに」
「ガキは弱いから嫌いだね」
にべもない返答を受けて、シェリーは全身の力が抜けるのを感じた。
彼らしいといえばらしいけれど、やっぱりこの男、強さと本能でしか物事を判断できないのかもしれない。
その後もイシドロは街の人に恐れられるのと感謝されるのを交互に繰り返し、最後に商店会長と会談をした末に、大きなトラブルもないまま見回りは終了した。シェリーは気付いたことを彼に伝えたり、怖がる領民にフォローを入れたりしたのだが、役に立てた気はしなかった。
あっさりと解散して自分の部屋へと城内を歩きながら、シェリーは今見てきたことについて考える。
イシドロは騎士という仕事に誇りなんて持っていないように見えるのに、その行動には「筋」なるものが垣間見えるような気もする。
本当に謎だらけだ。そもそもなぜ彼はあんなにも強さに固執し、どうやってあれほどの強さを手に入れたのだろう。鍛錬の内容や生活習慣について聞いてみるべきなのか。見回りを終えると同時に帰って行ったようだが、この城には住んでいないということだろうか。
——ちょっと待って。私、一体何を考えているのかしら。
イシドロのプライベートなんてどうでも良いはずだ。自身こそが強さに固執しすぎているのかもしれないと思い至り、シェリーは苦笑して首を横に振った。
大事なのは心のありようなのだ。一番に尊ぶべきは強さではなく、そこを履き違えては騎士とは言えない。
「シェリー、来ていたんだな」
ちょうど心持ちを立て直したところだったシェリーは、唐突に背後から名前を呼ばれて肩を跳ねさせてしまった。
この声には覚えがある。まだ数回しか聞いたことがないのに、脳裏に刻まれてしまったから。
振り返った先には案の定マクシミリアンがいた。
「ブラッドリー公爵様。大変ご無沙汰しております」
動揺を押し殺して騎士としての礼の姿勢を取ると、マクシミリアンは少しばかり逡巡して、それからすぐに微笑んだようだった。
「……ああ、よく来られた、アドラス副団長。馬上槍試合の運営に任ぜられたそうだな」
呼び方を仕事用に変えたのはマクシミリアンの気遣いだったのだろう。シェリーの方から一線を引いた時、彼はいつも控えめな笑みを見せる。
「頼りにしている。どうか力を貸してくれ」
「は。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
一通りの挨拶を終えてしまうと、二人の間に沈黙が落ちるのはいつものことだ。
分かってはいたがやはり気まずい。どうしたものかと思案していると、目の前に両手にちょうど乗る大きさの瓶が差し出された。
シェリーは無言でその瓶を観察してしまった。中にはさまざまな種類のクッキーが収められており、見るからに綺麗で美味しそうだ。
「その、土産で買ってきたんだ。ホプキンソン領の名店だと、現地で聞いて」
マクシミリアンは目線を逸らしており、復讐に囚われていた頃の彼とは比べるべくもないほど及び腰だったが、それでも娘と向き合おうという意思が感じられた。彼もまた娘と会えずにホッとしているのかもしれないなと考えたこともあったが、もしかすると間違いだったのかもしれない。
騎士として辞退すべきか、それとも血の繋がった娘として受け取るか。シェリーはごく短い逡巡ののち、考えがまとまらないまま口を開いた。
「恐れ入りますが、公爵様にこれほどのお気遣いを頂くわけには」
口が勝手に紡いだ辞退の言葉は、紛れもない本心の現れだった。
父親のような顔をしないで欲しい。だって、私は貴方のことを知らない。好きなもの、嫌いなもの、どんな人生を過ごしてきたのか。何一つとして知らないんだもの。
それに何よりも、私が父として慕うのは——。
「……そうか。そうだな、出過ぎた真似だった。すまない、忘れてくれ」
マクシミリアンがなるべく明るく聞こえるように言ったであろうことは、掠れたような笑みを見ればすぐに分かった。
だからシェリーはたまらない気持ちになる。マクシミリアンと向き合おうとすると、嬉しい時もあればやめて欲しいと思うこともあって、心に矛盾を抱えてばかりだ。
それでもこの笑顔を見たくないと思う気持ちを指針にしてクッキーを受け取ると、今度はこちらが彼の目を見れなくなった。
「頂くわけには、いかないのですが。……せっかくなので、頂戴します」
拗ねた子供のような顔をしている自覚はあった。それなのに、マクシミリアンはこの世で最も幸せな瞬間を迎えたように笑う。
「そうか、良かった……!」
「お心遣いに感謝します」
「いや、礼を言うのはこちらだ。ありがとう」
マクシミリアンの声の柔らかさは我が子に向けるものでしかないように思えた。シェリーは返す言葉を失って、誤魔化すように一礼するとその場を後にしたのだった。
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