4 郷愁はどこにある
出張初日にはゴードンとの仕事が始まり、会場警備や運営の流れなどを計画する作業は三日目に差し掛かっていた。
シェリーはゴードンとあまり会話をしたことがなかったが、真面目でまともな人物であることは何となく知っており、実際に話してみるとその印象は間違いではなかったことが判った。
「承知しました、ゴードン殿。王立騎士団の警備担当は会場周辺ですね。明日には担当の者を全員呼び、場所とローテーションについて確認します」
確認のためにシェリーが今決めたことを口にすると、ゴードンもまた生真面目に頷いた。
「はい、よろしくお願いします。転移魔法陣は後で人数分お渡ししますので」
「それは、助かります! ありがとうございます」
シェリーは感嘆しつつ礼を言った。黒豹騎士団といえば曲者の集まりというイメージがあったので、彼のような人物がいたことに安堵を覚えてしまう。
「アドラス副団長は本戦に出場されるということでしたね。当日はご自身の出場時間にご注意頂いて、警備の仕事は部下の方にお任せすると良いかと思いますよ」
ものすごくごもっともで親切な進言だ。シェリーはますます感動して、深々と頭を下げた。
「本当に色々とありがとうございます。ゴードン殿が運営委員長をされていたことは僥倖でした」
「消去法で選ばれただけです。こちらこそ、アドラス副団長にはお世話になります」
「消去法、ですか?」
つい気になる一言を復唱すると、ゴードンは遠いところを見つめる表情になった。
「ああ、その。本来なら運営委員長は騎士団長を除いた上の者が務めるべきでしたが、リシャール殿は騎士を引退されましたし、イシドロはめんどくせえの一言で断り、ミカは流石に若すぎるので、私にお鉢が回ってきたわけです」
ゴードンの表情は明らかに達観していた。確かにああまで個性的な面々だと、ゴードンに仕事が回ってくるのも頷ける。
謀反騒動後の黒豹騎士団では、第二位だったリシャールが引退したことで、以下の序列が繰り上がっている。現在では第四位のゴードンまでを最高幹部としており、王立騎士団で言うところの団長の扱いになるらしい。九位までの幹部がそれぞれ部下を預かり、隊長という役職として機能しているのだ。
恐らく彼は黒豹騎士団において、なくてはならない人材なのだろう。
「黒豹騎士団には楽しい方が沢山いらっしゃるのですね」
「はは、好意的に言えばそうかもしれません。マクシミリアン様とチェンバーズ騎士団長がご健在であらせられる限り、最低限の纏まりは維持されるだろうと思いますしね」
仲間について語る口調は柔らかく、ゴードンが自身の所属する騎士団を大事に思っていることが伝わってくる。
「それに、やはりイシドロとミカは、若くしてあの強さですから。二人とも仕事自体はしてくれますし、尊敬すべき点はちゃんとあるのです」
「そうなのですか……」
相槌はつい気のないものになってしまった。ミカはともかくとして、イシドロの尊敬すべき点は今の所見出せていない。
「先日はイシドロと一悶着あったそうですね」
ゴードンはちょっと笑ったみたいだった。シェリーは食堂での騒動を思い出し、自身の無鉄砲ぶりに赤面した。
「申し訳ありません、着任早々問題を起こしてしまい……」
「いえ、ダリオは命拾いでした。むしろ貴殿には感謝しなければ」
ゴードンが束になった書類を持ってとんとんと整えている。きっちりと端が合わさった白い塊には、彼の性格が表れているようだ。
「きっとここでお過ごしになるうちにわかりますよ。黒豹騎士団は王立騎士団ほど洗練されてはいませんが、それでも各々筋の通った連中だってことが」
少しばかり卑下した言い回しには、気安さと信頼が滲んでいるように思えた。
シェリーにも彼の言うことは解るような気がする。先の謀反の際にあれ程の難戦を強いられたのは、彼らの結束が硬いことの証明だ。
ただしイシドロだけはあまり当てはまらないような気がしたが、シェリーは思ったことをそのまま口にするほど無鉄砲ではなかった。
その後は二、三確認をして会議終了とし、午後から仕事があるというゴードンとは昼を前にして解散となった。
客間に戻って会議のメモをまとめる事にする。しかしその作業もすぐに終わり、食堂で昼食をいただいた後はやることがなくなってしまった。
ついにブラッドリー城での自由時間がやってきたのだ。
見知らぬ場所での自由というのは思ったよりも困るもの。転移魔法で一旦王都に戻ることも考えたが、此度の任務は大きく捉えれば黒豹騎士団との和解の証明であり、着任早々本拠地に戻ってはやる気のない奴だと思われかねない。
ここはやはり鍛錬をしよう。
シェリーはいつもの思考でそう結論付けた。普段ならお目にかかることはない黒豹騎士団員との鍛錬は、非常にいい経験になるはずだ。馬上槍試合も控えていることだし、槍の練習ができたらなお喜ばしい。
腰に剣を携え意気揚々と歩いていく。たどり着いた訓練場は城の敷地内に塀を囲むようにして作られており、真上では夏の青空が澄み渡っていた。
両開きの扉の片方をそっと押し開けると、中では数名の騎士たちが鍛錬をしている。
どうやら自主練が行われているようで、指導者は特にいなさそうに見えた。シェリーは幸いとばかりに一歩を踏み出して、近くにいた騎士に声をかけた。
「お疲れ様です。もしお時間があれば……」
「これはアドラス副団長殿! ご見学でしょうか?」
模擬試合でもお付き合いいただけませんか、との台詞は声になる前に飲み込まれることになった。
この騎士は歳の頃十代半ばといった所だろうか。笑顔が爽やかなのは良いのだが、恭しく腰を折った姿勢は淑女への態度にしか見えない。
「え、あの……」
「ああもしや、道に迷われたとか」
「いえ、そうではありませんが」
だいぶ前に社交界を放り捨てたシェリーなので、久しぶりの待遇に言葉を失ったのが良くなかった。騒ぎを聞きつけた騎士たちが嬉しそうに集まってきて、実に紳士的な案内が始まってしまう。
「こちらへどうぞ。今飲み物を用意させます」
「今は幹部がおりませんので、あまり見応えはないかもしれませんが……」
「暑くはありませんか? 傘をお持ちしましたが」
この状況がなぜ生み出されたのかを考えてみると、混乱した頭でも答えはすぐに見つかった。
黒豹騎士団には女性がいない。故に彼らの殆どは女性と剣を交えたことがなく、騎士の本分として女性は守るべき対象だと信じているのだ。幹部でもいれば話は違っただろうが、残念ながらここには歳若い騎士しかおらず、この状況を打開する策は見出せそうもない。
気付けば軒下にお茶が用意されていた。騎士たちの献身の眼差しを裏切れなかったシェリーは、がっかりした顔をしないように集中しながらお茶を飲むと、肩を落として訓練場を後にしたのだった。
手強い。黒豹騎士団、色々な意味で手強いわ……!
頭を悩ませながら広大な庭を歩く。早速やることがなくなってしまったのだが、一体どうすれば良いのだろう。
図書室で本でも借りるか。いやでも今は読書という気分ではないし、洗濯なども既に済ませてしまったし……。
ふと顔を上げると、王宮と違って自然の素朴さを残した庭が目の前に広がっている。不意に懐かしさを覚えたような気がして、シェリーは両拳を握って衝動に耐えなければならなかった。
自分にはここに住んでいた時期があったはずだ。一歳にも満たない赤子の頃、記憶などあるはずもない遠い昔に。
当時の自分は両親に愛された幸せな赤ん坊だったのだろうか。王弟の一の姫として、大切に慈しまれていたのだろうか。
シェリーには想像すらつかない。思い出を持たない母親と、数ヶ月前に知ったばかりの父親。二人と過ごした時間は自分の中に無くて、その事実に安堵を感じてもいる。
ああ、だから嫌だったのに。私はこの城に、来たくなんかなかった。
「おい、シェリー」
唐突に発した声に、シェリーは弾かれたように振り返った。
そこにはイシドロが無表情で立っていた。こんなに近付くまで気が付かないだなんて、騎士としてあるまじき失態だ。
せめてとシェリーは表情を引き締めて、不自然にならないように笑みを浮かべて見せた。そもそもイシドロに対して笑いかけること自体が不自然だということについては完全に失念していた。
「こんにちは。どうかしたの?」
「どうかしたのじゃねえよ。ボーッと突っ立って、暇なのかあんたは」
小馬鹿にしたような笑みにも怒りを感じない。食堂での小競り合いを思い出すこともなく、今声をかけてくれたことがありがたかった。
「まあ……そうね。暇かもしれない」
シェリーは力なく自嘲した。どうしてもいつものようには振る舞えなかったが、イシドロが気がつくようなことでも無いだろう、と思っていたのに。
「ふうん、いい御身分だねえ。そんなに暇なら俺の仕事を手伝わせてやろうか」
そんな提案が為されたあたり、もしかすると何か察するものがあったのかもしれない。あり得ないことだと分かっているのに、いつも彼にそうした期待を抱いてしまうのは、何故なのだろう。
「ええ、手伝うわ」
シェリーは躊躇うことなく頷いた。イシドロが珍しくも意外そうに瞬きをしたのが、何だか爽快だった。
「ああ? あんた、本気かよ」
「貴方が言い出したんだから撤回は無しよ。それで、何をすればいいの」
イシドロは目の前の騎士が強固な意思を抱いていることを悟ったらしい。じっと試すように見つめてきた末に、諦めを含んだため息を吐いた。
「城下の見回り。偶には騎士らしいお仕事でもしておくかってな」




