1 一人娘は気が強い
その日は朝から騎士団長室に呼び出されていた。シェリーは躊躇いなくノックすると、重厚な扉を押し開いた。
「騎士団長閣下、お呼びでしょうか」
いつものお堅さで敬礼して見せた娘に、カーティスが柔らかい笑みを向ける。
「忙しいところをすまないね。どうぞ、掛けてくれ」
カーティスとネージュの結婚式が執り行われたのは、既に二ヶ月も前の話になる。
季節は夏の盛りとなり、蝉の声もすっかり耳に馴染んだ今日この頃。新婚夫妻というのはもっと浮かれた様子を見せるものだと思っていたのだが、カーティスと接する限りでは以前と変わりなかったし、それはネージュも同じだった。
むしろシェリー自身の方が浮かれているような気がする。何だか幸せな気分が抜け切らずに、二人に会うとついニヤニヤしてしまうので、ネージュには近頃怒られたばかりだ。
「さて、早速本題に入ろうか。アドラス副団長、君に馬上槍試合の運営を任せたい」
そんな訳で例に漏れずニヤニヤしていたシェリーは、急転直下の命令にソファーに腰掛けたまま動けなくなった。
「今、何と?」
「馬上槍試合の運営、よろしくね」
シェリーは目まぐるしくも表情を悲痛なものに変えた。何故ならば、今度の馬上槍試合はブラッドリー領で開催される予定だからだ。
馬上槍試合というのは全国の各騎士団が一堂に会する大イベントだ。通常は春に行われるが、今回は謀反の後処理で中止となり夏に持ち越されている。
そして開催地はブラッドリー領に決定しており、王立騎士団は参加者側だったはずなのに。
シェリーの疑問の視線を察し、カーティスは淀みのない口調での説明を始めた。
「今回の大会はブラッドリー公との和解を国内外にアピールする目的がある。故に王立騎士団からも人員を派遣して、共同開催という名目を掲げることになったんだ」
「な、なるほど。それは理解できますが」
いささか急すぎるようにも思えるが、まあそういうこともあるかもしれない。選ばれたのが自分だということも、名誉として受け止めよう。
だかしかし、つまりは黒豹騎士団の面々と、ひいてはマクシミリアンと仕事をしなければならなくなったという状況に他ならないのではないだろうか。
「……あの」
拒否権はと聞こうとして、シェリーは口を噤んだ。
そもそも、自分はマクシミリアンと会うのが嫌なのだろうか。
かのブラッドリー公が自身の生みの父親だという衝撃の事実を知ってから、実に半年以上もの時が流れた。しかし春にマクシミリアンが領主として復帰してからは、一度も会うことなく今に至っている。
「……何故、私なのでしょうか」
「アドラス副団長は人当たりもいいし、対外的な仕事向きだから」
嘘ですよねと喉元まで出かかったが、また寸でのところで飲み下した。
そんな理由ならフレッドでも良いはずだ。それなのに問答無用で指名されるとは、他の理由があるような気がしてならない。
例えば、実の親子であるマクシミリアンとシェリーに仲良くしてほしい、とか。
「わかり、ました。馬上槍試合の運営、確かに承りました」
「助かるよ。では、仕事内容について説明するからね」
カーティスはさも当然のことのように話を続けている。シェリーは真面目な顔をして聞きながらも、頭の片隅では別のことを考え始めていた。
娘が実の父親と交流を持つことを、カーティスはどう思っているのだろうかと。
騎士団長室を後にして廊下を歩きながら、シェリーは暗い思考に囚われていた。
謀反が終結した当初は「公爵様ともいつかは普通に話すことができるようになるかも」などと思っていたのだが、カーティスが何も口を出してこない中で、段々と心に靄がかかるようになった。
カーティスは娘といつでも気さくに話そうとするわりに、実のところ絶対に贔屓はせず、公と私を肝心なところで器用に分けるタイプだ。そんな騎士団長閣下が仕事に私情を持ち出すとは考えにくいが、周囲に影響がないと判断すれば、案外あっさりと仕事を利用する強かさを持ち合わせているような気もする。
もしかするとカーティスはシェリーとマクシミリアンが仲良くなるきっかけを作りたいのかもしれない。そうして長年の溝を埋め、どこにでもいる親子のように接することが出来たらいいと考えているのかも。
——もしや父上は、私をブラッドリー公爵家に戻すべきだとお考えなのかしら。
ついにそんなことを考えついてしまい、シェリーは廊下の片隅で歩く足を止めた。
いや違う、カーティスはいつでも「子供自ら考えさせよ」との教育方針を一貫してきた人だ。今更自分の考えを押し付けて、大事なことを決めてしまうようなことはしないはず。
だけど、とシェリーは思うのだ。
カーティスはようやく愛する人と結婚して、親友の子を育てたことで失った時間を取り戻し始めている。この先二人に子供が産まれた場合、養子の長女などいない方が話がこじれずに済むことは間違いない。
カーティスはどう思っているのだろう。いつだってシェリーが幸せなら良いよと言ってくれた父は、娘が籍を抜くとなったら引き止めてくれるだろうか。
「……ううん。止めないわよね」
きっとまた、いつもの笑顔で背中を押してくれる。
シェリーは胸に抱えた書類を抱き締めて感情を逃した。こんなに良く育ててもらったのに、近頃になって澱むような寂しさを抱えている自分など、丸めて捨ててしまえばいい。
一年間視野を広げる努力をすると約束したのはもう半年以上も前の話で、期限の十二月まではあと四ヶ月というところにまで近付いている。
話をした当時は侯爵家を継ぐことになるだろうと思っていたシェリーだが、カーティスの結婚によって状況は様変わりした。一体どちらを選択をするべきなのか、まだ見当すら付かないままだ。
この仕事にはマクシミリアンと会わなければならないこと以外に、もう一つ重大な懸案事項がある。
ブラッドリー城に到着し、騎士団長室に向かうべく案内してもらっていたところで、シェリーは宿敵との再会を果たした。
「ん? なんであんたがここにいんだ」
黒豹騎士団第三位に昇格したイシドロ・アルカンタルは、以前の墓参りの折に出会した時と少しも変わることなく、騎士服を着崩した格好で怪訝そうに首を傾げている。
案内してくれているのは黒豹騎士団の平騎士二人であり、彼らに無様な姿を晒すわけにはいかない。シェリーは顔を歪めそうになるのを堪えて、努めて冷静に言った。
「お久しぶりです、アルカンタル殿。此度は馬上槍試合の運営としてご挨拶に参りました」
「……ふーん? 副団長殿、お仕事頑張ってるみたいだなァ」
イシドロなら他人行儀な呼び方をしたことを指摘してくるかもと身構えていたのだが、その杞憂は不発に終わった。シェリーは何となく肩透かしを食らった気分になって、高いところにある三白眼を慎重に見返した。
「アルカンタル殿は、馬上槍試合には?」
「出るぜ。去年模範試合に出てみたら、案外面白かったからな」
春の馬上槍試合は本戦前に模範試合が行われる決まりとなっている。騎士としての規範を示すために行われ、本戦には一切関わりがないのだが、各騎士団でも選りすぐりの強者が一人ずつ出場するので非常に見応えがあるのだ。
そして去年はモンテクロ開催だったため、王立騎士団においては珍しくもカーティスが出場する運びとなった。本人は遠慮していたが、偶には騎士団長の実力を見せつけて他の騎士団を牽制してこいとバルトロメイに言われてしまったらしい。
カーティスとイシドロは模範試合にて激突した。カーティスの圧勝との見方が大勢を占める中、試合は意外な展開を見せた。
瞬殺を予想されたイシドロが思った以上に善戦したのだ。カーティスは余裕の態度を最後まで崩さなかったものの、試合の後に「いやあ、彼も強くなっているね」なんて笑っていたから、イシドロの実力についてはしっかりと認めているらしい。
当時のシェリーは目の前で繰り広げられた白熱の試合に、人知れず拳を握り込んでいた。
羨ましくて、悔しかった。若くしてカーティスに食い下がる程の力を持つイシドロ。自分は彼の年齢になる頃、同じだけの実力を身につけることができるだろうか。
いや、違う。願望ではなく現実にしなければ、胸を張って騎士を続けることなど出来はしない。
「出場するのは本戦ですね」
「まあな。模範試合は去年出た奴は出られねえ決まりだ」
「ええ。実は、私も本戦に出場する予定なのです」
言い切った瞬間、周囲の騎士たちが一気にどよめいた。
本戦は騎士ならば誰でも出場資格があるのだが、幹部ともなると忙しいので、開催地の幹部以外はあまり出場することがない。今回はカーティスに出場して盛り上げてきてほしいと頼まれてしまったこともあるが、シェリーは実のところ最初から出場する気満々だった。
「……へえ?」
この不敵に笑う男を、正面から打ち倒すために。
今までの借りの数々を、叩きつけて返すために——!
「少しは強くなったのかよ。アドラス副団長殿」
「鍛錬は積んできたつもりです」
「ふうん、そうかい。ま、楽しみにしとくか」
楽しみという言葉とは裏腹に、イシドロは適当に右手を上げて踵を返した。相変わらず小馬鹿にされているらしいと確認して、シェリーは遠ざかっていく背中を静かに睨み据えた。
絶対に、今度こそ一矢報いてやる。
今度の馬上槍試合はまたとない機会となるだろう。シェリーは案内の騎士たちに時間を取らせたことを詫びると、彼らに従って歩き始めた。




