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講師になんて

 木刀同士がぶつかる高らかな音と、気合の入った掛け声が響いている。その活気から若さを感じるのは、ひとえに指導を受けている者たちが新米騎士だからだ。

 カーティスは今まさに訓練所の囲いの上にて隠しの魔法を使い、指導の様子を眺めているところだった。

 新米騎士たちの指導カリキュラムを導入して早3ヶ月。夏を迎えてそろそろ実力もついてきただろうし、講師陣も慣れてきた頃だから、様子を伺うには丁度いい。


 そう、この極秘見学は指導の進捗を調べ、もし何か問題が起きているなら対処するためのもの。愛する妻があまりにも仕事のことを楽しそうに話すので、つい様子が気になって我慢できずにやって来たわけではない。断じて。


 心の中で念じつつ、カーティスの視線はついついネージュを探して彷徨ってしまう。

 目当ての人は木陰のベンチに座って水を飲んでいた。伸びた髪を以前よりも高い位置で一つに結び、ズボンに包まれたすらりとした足を伸ばした様は、まさに健康的な魅力を備えた綺麗なお姉さんだ。

 年若い騎士たち数人がやってきて、ネージュに何かを話しかけている。弾けるような笑みが愛らしい顔に浮かんで、囲んだ者たちもどっと湧いた。

 随分と楽しそうなその光景を見ていたら、握った拳に知らずと力が入った。

 こんなに可愛らしく優しい先生に教えて貰えるだなんて、10代の若者からすれば小躍りしたいくらいの幸運だ。当然懐くし仲良くなりたいに決まっている。


 ——君たちが慕っているその可愛い先生は、私の妻だぞ。解っているんだろうな?


 苦々しくそんなことを思ってしまい、カーティスは慌てて眉間を揉んだ。流石に大人気がないにも程がある。

 ネージュ先生はすこぶる評判がいいのだ。指導が上手くて面倒見がいい上に、ああして気さくな人柄だから教えを乞いやすいという部分も大きいのだろう。


「はい、休憩終わり! 準備運動から始めるよー!」


 眼下でネージュが明るい声を上げると、27人の新米たちはこぞって立ち上がった。よおしやるぞ、おう、などと口々に声に出しているのだが、何だか異様にモチベーションが高くないだろうか。

 もはや準備運動ともなればネージュが前に立つまでもないらしく、一人の若者が出てきてリーダーシップを取っている。

 あのハンネスに生写しの容貌は彼の息子のケヴィンだ。どうやらこの期では一番の実力者だということはネージュから聞いて知っている。


「前に言った通り、4つの班に分かれて試合稽古をしましょう。総当たりで勝ち上がった4人でトーナメント戦ね」


 はい!と威勢のいい返事が上がって、騎士たちが四方に散らばっていく。各々防具や靴、木刀を確認する時間を取って、すぐに試合が始まった。

 途端に緊張感が高まっていくのを、カーティスは肌で感じ取る。

 新米といえど騎士は騎士、それぞれに誇りを持っていることは面接で確認済みだ。試合と聞いて本気にならない者などここにはいない。

 ネージュが一人一人にアドバイスをして回っている。汗みどろになって剣を交える様と、お互いに声援を送る爽やかな光景を見ていたら、カーティスは自然と笑みを浮かべていた。

 どうやら今回も良い新人が入ってきたようだ。そしてそれはネージュたち講師によって、正しく最速で鍛えられつつある。

 そろそろ帰ろうかと踵を返しかけた時のことだった。訓練場の空気がざわめいたので視線を戻すと、一人の騎士が腹を押さえて倒れている。


「大丈夫、アロンソくん!?」


 一番に駆けつけたのはネージュだった。アロンソとやらを抱き起こし、どこを痛めたのか問いかけている。

 優しい彼女のこの行動は今に始まった事ではないが、カーティスはぴたりと表情を止めた。


 介抱のためとはいえ触りすぎじゃないのか。ああほら、アロンソの坊やは鼻の下を伸ばしきっているし、見守っている連中も羨ましそうだぞ。わからないのか?


「す、すみません、先生……おれ、防ぎきれなくて。鳩尾に……」

「それは痛かったね。うん、アロンソくんは休憩で」


 アロンソは首筋まで青ざめさせているものの、「我が人生に悔いなし」と言わんばかりの厳かな笑みを浮かべている。試合相手のケヴィンが肩を支えに来たら思い切り残念そうにしていたから間違いない。


 結局、カーティスは授業の終わりまで見張りーーもとい見学をした。

 そしてその間ネージュがいかに素晴らしい先生で、同時にいかに人気者なのかを見せつけられることになったのである。




 騎士団長室に帰ってきて仕事に没頭する。しかしどうにも先程味わったどす黒い気持ちを振り払うことができず、ついに独り言をこぼしてしまった。


「やっぱり剣術講師になんて任命するんじゃなかった……」

「何の話だ?」


 そういえば今はハンネスが書類を整えてくれていたのだった。怪訝そうに首を傾げた友人に、カーティスは自身の失態に気付いて口を噤む。

 しかしこの友人には愚かな男の考えなどお見通しだったらしい。ニヤリと口角を上げると、いつものように心中をズバリと言い当ててきた。


「さては奥方のことだな。大方、仕事ぶりでも見てきたか」


 カーティスはもはやため息しか出てこなかった。本当に、どうしてこうも鋭いのだろうか。


「まあね……」

「自分で任命したのだろう。まあ、気持ちはわからんでもないがな」


 確かにネージュを講師に任命したのはカーティス自身だ。

 あの日、騎士を辞めることになったネージュがとても寂しそうだったから、ほとんど独断で決めてしまった。

 だが実際に得難い人材なのだから仕方がない。何故なら剣術の指導ができるほどの実力を持つ騎士で、若くして五体満足で引退する者など殆どいないからだ。

 その時は名案だと思った。ネージュもやる気充分といった様子だったし、実際に新米たちはよく伸びている。

 それなのに今更薄汚い嫉妬を感じるだなんて、騎士団長として最低だ。


「ケヴィンから聞いたが、大層教え方が上手くて親身になってくれるそうだな。素晴らしいではないか」


 ネージュはその日の仕事についてカーティスにいつも話してくれる。一人一人の頑張りを語る姿は楽しそうで、眩しくて、だからこそカーティスはもやもやする気持ちと戦わなければならないのだ。


「だから嫌なんだ」

「はっはっは! まったく、ここ最近のお前は本当に珍しい顔をする!」


 一体どんな表情をしているのかと怖くなって、カーティスは自身の顔に片手で触れた。もちろんそんなことで己の表情を読み取れるはずもなく、ただ皮膚の感触がしただけだった。


「騎士団長の妻に手を出すような気骨のある奴がいるはずないだろう。忙しいところを来てもらっているんだ、我々は感謝をしなければならない立場だぞ」

「わかっているよ。感謝もしてる。けど嫌なものは嫌なんだ」


 駄々っ子のようなことまで言い始めた騎士団長に、ハンネスは呆れまじりの苦笑をした。面白いものを見たとでも思っているのだろう。


「新婚なんてそんなものだ。……まあ、俺はパトリシアを邪な目で見るような奴がいたら締め上げるけどな」


 ハンネスは最後に不穏な台詞を残すと、書類の端を合わせてから執務室を出て行った。

 残されたカーティスはしばしの間無言でペンを走らせる。しかし結局またすぐに集中が途切れ、執務机に額から沈むのだった。


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