好きだからこそできない事もある ②
すっかり混乱したネージュは、ついに心の中に留めていた想いを吐き出してしまっていた。
カーティスがぴたりと動きを止める。どんな顔をしているのか気になって仕方がないのに、一度回り始めた口は止まらない。
「自覚したのは最近ですけど、始めてお会いした時から、ずっと、す、好きだったんです! でも、諦めなければと思っていたので、本当にっ……! 本当に、夢のようで! 信じられないのではなく、ただ、実感が湧かないんです! 私はこんな、どうしようもない、ただの小心者なんですっ!」
目を閉じたまま全てを言い切った時には、全身が長距離走を終えた後のように脈動していた。荒くなった呼吸をゆっくりと整えたネージュは、頭が冷えたことによってそれなりの冷静さも取り戻してしまった。
何を言っているのだろう。これは解決する当てのない悩みであって、口に出しても仕方がないことなのに。
大声を出したりして子供みたいだ。今度こそ呆れられたかもしれないと思えば閉じた目のふちに涙が滲んできて、ネージュはぐっと唇を噛んで衝動に耐えた。
「……君が突然の事態に弱いことは知っていたから」
上から穏やかな声が聞こえてきたが、カーティスの言わんとするところが解らない。恐る恐る目を開けた先に待っていたのは、これでもかというほどの満面の笑みだった。
「少しくらい本音を話してくれたらなと思っていたのだけど。まさかこんなにも、嬉しいことを言ってくれるとはね」
ネージュは中途半端な表情のまま固まった。
まさか今の台詞の意味するものは。もしかして、もしかしなくても。
……嵌められた!?
「ネージュ、私はね。いつからとは明確には言えないけど、君が班長になった頃にはとっくに好きだと自覚していたよ」
「……班長になった、ころ」
もはや思考回路が煙を吹き始めていた。またしても鸚鵡返しをしたネージュは、それでも必死に考えた。
班長になった頃というと、もう二年半も前のことだ。ネージュが自覚したよりも、ずっと前。
「そんな……うそ」
「嘘じゃないよ」
掠れきった声で問えば、柔らかい苦笑が返ってくる。その表情に自覚を促されて、じわじわと頬が染まっていく。
「私は今、とても幸せなんだ。ずっと諦めなければと思っていた人が側にいてくれる。こんなに幸せなことはない」
——ああ、こんなことがあっても、いいのかな。
だってそれは、ネージュにだってわかる。
ずっと諦めなければと思っていた人の側にいられることが、どれほど幸せかなんて。
気付けば涙が溢れていた。大きすぎる想いがそのまま雫になって、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
目の前の笑顔があまりにも優しすぎたから。幸せと喜びと、あとは驚きと、とにかく色々な感情がごちゃまぜになって胸が熱かった。
「泣く事ないだろう?」
「ご、めんなさ……何だか、止まらないんです」
「ああ。触れる口実になるから、構わないけどね」
伸びてきた指が左の目尻を拭って、右には口付けが落とされた。そのくすぐったさに目を閉じていると、暗闇の中で小さく笑う気配がして。
唇が重なったのは、それからすぐの事だった。
熱く柔らかい感触が全身の力を奪い取っていく。何かに縋らなければ溶けて消えてしまいそうで、ネージュは無駄なく筋肉のついた背中に腕を回した。
すると合わせた唇が笑みを描いたのがわかって、すぐに体の下に潜り込んだ腕に抱きしめ返される。背中が浮いて、体がますます密着して、互いの鼓動までが直に聞こえる。息が苦しくなって身をよじれば、追いかけてきた唇に吐息を飲み込まれた。
まともに息ができないせいでそろそろ頭がぼんやりしてきた頃。ようやく長い口付けから解放されたネージュは、忙しなく息を吐いて震える手で口元を覆った。
「……まったく。君はどうしてこう、いじらしいんだろうね」
ずるいなと零した声は、言葉のわりに砂糖でできているのかと思う程に甘い。
恐らく全身が真っ赤になっているのだろう、熱くて仕方がなかった。いつのまにか涙は止まっていて、誤魔化すように目のふちに残った雫を拭って視線を逸らす。
未だ追いついてこない思考回路を動かそうとも思えず、ネージュは思うままに言葉を返した。
「カーティスさんこそ、ずるいではないですか」
「ん? 私が、ずるい?」
「だって、慣れていらっしゃる、から。……私なんて、赤子のようなものでしょう?」
キスで放心状態にならなかっただけ成長した方。ゼロどころかマイナススタートのネージュでは、恐らくこの先もずっとカーティスには敵わないのだろう。
更には彼の過去の恋人にも思い至って眉を下げると、宥めるように頬に口付けられてしまった。
「君が思うほど慣れていないよ。シェリーもいたし、そういったことにあまり興味もなかったから」
「……そう、なのですか?」
「やっぱりまだわかっていないね。赤子だなんてとんでもない。私の心臓を止められるのは君くらいなものだ、ネージュ」
何だか凄いことを言われた気がする。完全に容量を超えた頭では処理しきれず、ネージュはただぼんやりと返事をすることしかできなかったのだが、カーティスはそれでも満足を得たようだった。
「私が慣れていると嫌なのかい? 本当に可愛いな、君は」
ずばり言い当てられて口ごもると、カーティスはますます嬉しそうに笑った。こんなにも子供っぽいことを言ってしまったのに、どうして機嫌を良くしているのだろうか。
「昨夜のことは覚えていないんだったね。君のどんなところが好きか、もう一度言おうか」
「そ、それは……! あの、今はもう、十分ですので……!」
「そう? 残念だな」
最後に額に口付けを落として、カーティスは軽々とネージュを抱き起こした。
ベッドの上に腰掛けたまま、乱れた髪を手櫛ですいて整えてくれる。近過ぎる距離感には落ち着かないが、優しい手つきに安堵を感じたネージュは小さく息を吐いた。
未だに心臓が痛いほど脈打っているものの、いつの間にか逃げたいほどの緊張は消えている。もしかすると今しがたの出来事が荒療治になったのかもしれない。
「荒っぽいことをして悪かったね。怖がらせたかな」
「いいえ、そんな。大丈夫です」
そう、カーティスはどうしたら信じてくれるのかと言ったが、十分に信用しているのだ。
カーティスは相手の気持ちを無視するようなことは絶対にしない。そうした信頼を抱いているから、何をされたって嫌ではないし、怖くもない。
それに何より、ネージュには絶対的な理由がもう一つある。
「先程は言えませんでしたけど、私も……愛して、います。だから、怖くないです」
照れ隠しに笑うと、髪をすく手が唐突に止まった。口元を大きな手で覆ったカーティスは何事かを小声で呟いたが、あまりにも小さな囁き声を聞き取ることはできなかった。
「……こちらの気も知らないで。本当に、心臓に悪い」




