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酒は飲んでも ①

 ネージュが元気を無くして見えることについて、カーティスはそろそろ本人に聞いてみるつもりだった。

 初めは緊張のせいかと思った。何せ口付け一つで放心状態になった程なのだから、その辺りは血の滲むような我慢をしてでもゆっくりやっていく必要があるのだろうと。

 ネージュは実際にいつも緊張気味で、すぐに赤くなってあたふたしだすところが最高に可愛いのだが、ふと暗い顔をする瞬間がある。見間違いかと思うほどに一瞬のことではあるものの、近頃になってその表情を見せる回数が増えたような気がする。

 しかしながら、今日のネージュは暗い顔を見せることもなく饒舌で明るかった。酒によって頬を染めた愛らしい表情を眺めながら、カーティスは頭の片隅で思う。


 ——イーネル副団長と話すのは、そんなに楽しかったのか。


 あれは今日の昼休みのこと。ネージュとフレッドが楽しげに昼食を取っている様を、カーティスは廊下の中から目撃していた。

 一体何を話しているのかずいぶん盛り上がった様子で、慌てたり驚いたりと忙しいネージュは、快活な笑い声すら上げていたものだ。

 騎士団員にとって同期の絆は重い。特に若くして副団長にまで登り詰めた者同士、他者には推し量れないものが二人の間にあることは容易に想像がつく。

 それでも同じように接して欲しいと思うのはただの男の傲慢だ。それをわかっていて何故、どうしようもないほど醜い感情が胸の内に渦巻くのだろう。

 三十も半ばの男の嫉妬とはなんともみっともない話。ネージュには絶対に悟られたくない。できることと言えば、何の意識もなく部下たちにお揃いのタオルを買ってやろうとしていたところを、そうと気付かれないように回避させることくらいか。

 あの中にはネージュに想いを寄せる者が何人もいて、実際に彼女との関係を聞いてきたことからそれは確認済み。そんな連中とお揃いだなんて冗談ではない。


「えへへっ。楽しいですねえ」


 聞いたことのないほど弾んだ声が聞こえてきて、カーティスは物思いを中断した。

 目の前には頬を薄紅色に染めて無邪気な笑みを浮かべるネージュ。酔ったお陰でいつもより気安い態度を取ってくれることに、たわいもなく気分が高揚する。

 楽しい、本当に? 例えばイーネル副団長と話すのと、どっちが楽しい。

 まるで十代の娘のような台詞が喉元まで出かかったことに、カーティスは恐怖心すら覚えた。

 まずい、愛おしすぎて馬鹿になっている。そんなことを言ったら絶対に気味が悪いと思われるぞ。

 葛藤を飲み込むために黙り込んだのがいけなかった。ネージュはミルクティー色の眉を下げて、悲しそうに首を傾げた。


「カーティスさん、楽しくないですか……?」

「そんなはずないだろう? どれほど幸せか伝えきれないくらいだ」


 後悔にかられて言い募る。しかし返ってきた反応は、いつもと大きく違っていた。


「本当ですか? 良かった。私も、すっごく幸せです」


 太陽のような笑みが眩しくて言葉が出てこなくなる。こんな風になんのてらいも無く笑いかけてくれたことが、今まであっただろうか。

 しかも何て嬉しいことを言ってくれるんだ。心臓が止まるかと思ったじゃないか。あまりにも可愛過ぎて——。

 ……いや。様子が、おかしくないか?


「……ネージュ?」

「はい! 何でしょうか」

「まさかとは思うけど、酔っているのかい?」


 恐る恐る尋ねてみると、ネージュはどんと胸を叩いてみせた。


「酔ってません! 私は、お酒に強いのです! これくらいで酔うはずがないのです!」


 実に堂々とした宣言だった。

 確かに口調もはっきりしているが、完全にテンションが普段と違ってしまっている。


「どうやらずいぶん酔っているみたいだね……」


 カーティスは後悔の入り混じったため息をついた。

 ネージュが酒に強いことはこの目で見て知っていたから、ペースの速さに感じた不安を受け流してしまった。女性を酔わせるなど紳士としてあるまじき失態だ。

 ブランドンに水を持ってきてもらう。半分ほど注いだコップを握らせてやると、ネージュはありがとうございますと笑って素直に飲み始めた。


「ぷはー! お水美味しい!」


 おかわり下さい! という元気な声とともに空になったグラスが差し出される。背後でブランドンが噴き出すのが聞こえて、カーティスは恨みがましい視線を優秀な執事に向けた。


「どうしたのかな、ブランドン」

「大変失礼致しました。あまりにもお可愛らしいので、つい」


 言われてネージュへと視線を戻してみる。

 にこにこと微笑むネージュは天使みたいに可愛い。それこそ他の男になど一秒たりとも見せたくない程に。

 さりげなくブランドンから隠すように身を動かしつつ、カーティスはもう一度グラスに水を足してやった。ネージュは待ってましたとばかりに飲み干して、またしてもぷはあっと息を吐き、空になったグラスを机の上に置いて。


「ごちそうさまでした……」


 卓上に突っ伏して、寝た。


「……」

「……」


 主従二人が沈黙する間にも、すうすうと気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。ようやくを以て事態を把握したカーティスは、その表情を溶けそうなほどの笑みに変えた。

 どうやらネージュは機嫌上戸だったらしい。酔った女の相手など面倒でしかなかったはずなのに、可愛いとしか思えないのだから相当の重症だ。


「ブランドン、客間を整えてきて貰えるかい」

「承知いたしました、旦那様」


 空を飛んで運んでやってもいいのだが、ネージュはあまり寮の面々に騒がれたくないようだった。騎士団の寮には門限があるものの、時間が来たら門に鍵がかかるというだけで、特に外泊の許可を義務付けているわけではなかったはず。

 今日は泊まっていってもらおう。一人ごちたカーティスは、弛緩した体をそっと抱き上げた。


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