初デートは何をもたらすか ②
週末のモンテクロは盛況だった。
所々で崩壊した建物が戦いの爪痕を残してはいるが、死者が出なかったこともあって既に人々は普段通りの生活を取り戻している。行き交う人の笑顔に陰りは見当たらず、ネージュは温かな安堵を覚えて微笑んだ。
「平和ですね……」
何の憂いもない平穏。以前は当たり前だったはずの日常が、これ程までに新鮮で愛おしく感じられるとは。
「ああ、そうだね」
カーティスは短く言って、穏やかな瞳で街を見つめている。空色の眼差しはいつもの如く凪いでいるようでいて、戦いの終わりを喜ぶ気持ちが滲んでいた。
至って平和な休日だ。何のことはない日常。見上げればほら、憧れ続けた人の横顔が……。
——いや、私だけ日常が戻ってきてないよ!?
ネージュは無意識に心臓のあたりを握りしめた。右手はカーティスと繋いでいるので、左手で。
この激動の数ヶ月を経て、ネージュの周囲を取り巻く環境はすっかり様変わりしていた。現時点までに心臓が脈打ち過ぎて十年は寿命が縮んだ気がする。
まさか初っ端から手を繋ぐなどという高度な状況に置かれるとは思わなかった。初心者にはレベルが高過ぎて既に致死量だ。
落ち着きなく視線を滑らせるとすれ違ったカップルの様子が目に入ってきて、ネージュはつい凝視してしまった。
差し出された男性の腕に両腕を巻きつけて歩く女性。肩から腰まで密着しているのに、どうしてあんなに平常心で居られるのだろう。上級カップルって凄い。
「ネージュが元いた世界は平和だった?」
「え? あ、はい、そうですね! 一応は!」
すっかり気を取られていたところに質問が投げかけられたので、妙な勢いの良さで答えてしまった。カーティスは小さく笑みをこぼして、興味深そうに相槌を打った。
「私の周囲……少なくとも、私の住んでいた国は平和でした。実際に七十年以上、一度の戦争も起きないままでしたから」
「それは、凄いね」
カーティスは感嘆の溜息をついた。
戦に出た経験のある者からすれば、人の寿命ほどの期間戦が起きないというのは夢のような話に聞こえるのかもしれない。
「けど、一応というのは?」
「私の住んでいた国から遠く離れた場所では、常に戦争が起きていました。どこかの争いが終われば、またどこか別の場所で。それはこの世界とも共通していますね」
この国では現在一切の戦は起きてはいないが、長い戦に晒され続けている国もあるし、緊張の高まっている地域もある。
戦が起こるきっかけとして、マクシミリアンの動機はある意味純粋だった。政治も利権も一切絡まないからこそ、何とか無傷で終結させることができたのだ。
「そうした情報はすぐに入ってくるんです。魔法のない世界ですが通信技術が発達していて、いつでもどこでも、誰とでも、離れた人と会話ができるんですよ。私は気楽な学生でしたので、友人とはよく電話していたものです」
「それも凄いな。それに、学生だった?」
「はい。私の住んでいた国では十八まで学生として過ごすことが一般的で、その更に上の教育機関にも半数以上が進学するんです」
「十八まで……」
カーティスは今度こそ心底驚いたと言わんばかりに目を見開いた。
この国では十三歳で成人となる。貧しい者はその時点で社会に出るし、そもそもまともに学校に通えない者も多い。上流階級では多くが十五で学校を卒業し、一部の優秀な者や魔力を持つ者だけが、進学ないしは研究機関を兼ねた職場に就職するのだ。
「君はとても恵まれた世界で生きていたんだね」
「そう、ですね。当時はそれが当たり前でしたが、今思えば有難いことです」
「寂しくはない?」
憂いげな瞳に問われて考えてみると、やはり寂しくないといえば嘘になる。
両親がいた。友人がいて、通うべき学校があって、住む家があった。
毎日が楽しかったし、充実していた。ちょうど就活の真っ只中で、もうすぐ内定の出そうな会社がいくつかあって、これからも頑張ろうと思っていた。
けれど、この世界でネージュは新たな自分を得たのだ。
「少しは寂しいですけど、もう半分の私とやらがあちらにはいてくれているみたいですし。家族を悲しませたわけではないのなら、良いんです」
それに、この世界には貴方がいるから。
もし日本に帰ることができたとしても、帰らなかっただろうとネージュは思う。
生きる意味に成り得た人に初めて出会った。生きていて欲しい人、生きていてくれた人。
たとえこの先、ままならない理由から道を別つことになったとしても。
「なるほど。私が頑張るべき事が見えてきたかな」
カーティスは納得したとばかりに頷いている。はて、今の話から一体何についての結論を得たのだろうか。
「頑張るべき事、ですか?」
「そう。君が元の世界に帰りたいと言いださないように、まずは魔具を買い揃えないと。あちらほど便利にはならないかも知れないけどね」
カーティスの言う意味がわからずに両目を瞬かせたネージュだが、すぐに思い当たる事があって、またしても頬を赤くした。
これは多分、もしかしなくても。結婚後の暮らしの話ではないか。
「帰りたいなんて言いませんよっ!?」
衝撃冷めやらぬままに叫んだら、気にするべき所がずれた物言いになった。
そんな話を持ちかけられたら浮かれてしまう。いつこの時間が終わるとも知れないと思うからこそ、余計に。
「本当かな?」
カーティスは悪戯っぽく笑って首を傾げた。するとわずかに顔と顔の距離が縮まって、そんな些細なことにすら心臓が煩くなることに、ネージュは内心で困り果てていた。
「ほ、本当ですっ! 良い大人ですし、そもそも帰れませんし、そんな駄々をこねるようなことはしません!」
「へえ、それなら良いのだけど。寂しくなったらちゃんと言うんだよ」
寂しくならないようにしてあげるから、と言ってカーティスは笑った。
もしその時が来たら、彼は一体何をどうしてくれるつもりなのだろうか。




