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翡翠のまなざし ①

 シェリーは元来父親想いの娘だ。

 カーティスは血の繋がらない娘にたくさんの愛情を注いでくれた。優しく色々なことを教え、時に厳しく道を正してくれた。

 あのような父がいたのでは騎士を目指したのも道理だったと思う。心の底から尊敬しているし、恐らくカーティスがシェリーに対して思うのと同じくらいに幸せを願ってもいた。

 そんな父に恋人ができたというので、シェリーは今日に関しては気を利かせて遅い時間に帰るつもりだった。

 ネージュは明日には屋敷を一旦出るのだから、最後くらいイチャイチャしたらいいと思うのだ。いきなり結婚まで話が進んでいたから驚いて、昨日は強制的に恋人の身柄を借りてしまったので、今日くらいは譲ってあげることにする。

 そう、あの時のカーティスは娘をライバルだとでも思っていそうな表情だった。まあ一応は大人の余裕を見せつける気になったようで、笑って許してくれたけれど。


 ——ふふ。お似合いだわ。


 シェリーは機嫌の良さを隠しもせず、騎士服を身にまとったまま仮本部を後にした。まだ夕刻とは言えない時間だが、そろそろ少しばかり冷えてきただろうか。

 しばらく歩くと王宮が見えてきたので、シェリーはあえて歩調を緩めた。

 今はとても気分が良い。だからこそこれから生みの父親とやらに会わなければならないことは、確かに気分を重くさせるものがあった。




 かの罪人がいると言う客間は、半分が消し飛んだ大ホールのすぐ側にあった。一見普通の入り口に見えるが強固な結界が張られていて、中から打ち破ることができないようになっている。

 騎士団員が警護していたので敬礼をして入室すると、室内はよくある客間と言った風情だった。よく磨き上げられた家具調度品の向こう、マクシミリアンはベッドで上半身を起こしたところで、シェリーの顔を見るなり露骨に固まってしまった。

 カーティスによればシェリーに真相を明かしたことを伝えておいたとのことだが、どう来るか。


「お加減は如何でしょうか、ブラッドリー公爵」


 見舞の品を持ってきたのは、一つくらい話題が無ければ間が持たないだろうと思ったからだ。

 籠に詰められたりんごを差し出すとマクシミリアンは幽霊でも見るような顔をしたが、恐る恐るといった手つきで受け取った。その腕には魔力封じの腕輪が嵌められている。


「……あ、りがとう。問題は……ない」


 こんなに青い顔をしてよく言うものだ。放っておけば失血死間違いなしの大怪我で、目覚めたのは昨日なのだから辛くないはずがない。

 それでもシェリーに後悔は無かった。女王陛下に害なすものを排除するのが騎士の仕事だからだ。仮にこの男が死んでいて、その上で実の父親だと知ることになったとしても、動揺はしても後悔することはなかっただろう。

 しかし胸の内には微かな安堵が顔を出そうとしていたので、その気持ちを悟られたくないシェリーは努めて表情を消した。


「そうですか。それは、何よりです」


 応える声は自分で思っていたよりも硬質に響いた。室内を重い空気が満たし、お互いに視線を合わせないまま沈黙を漂う。

 気まずい。予想はしていたがそれを遥かに上回る気まずさだ。

 女王陛下を殺そうとしたことを許す気はない。しかし己を捨てた件に関しては、許す許さないの議論をする気も起きないし、謝って欲しいとも思えなかった。

 カーティスに育ててもらった思い出が心を温めてくれるから、シェリーはすべてのものと正面から向き合うことができる。他者に優しくなれる。

 マクシミリアンも苦しんだのだろうと、想像することができる。


「……貴公のことを、今更父親などとは思えませんが」


 静かに語りかけると、マクシミリアンは小さく肩を震わせた。

 おかしな話だ。その気になれば国一つ消し去ることのできる魔法使いが、小娘一人の言動に一々揺さぶられているなど。


「私達は、髪の色が同じですね」


 シェリー淡く微笑んだ。それくらいしか話題がないことも、本当に全く同じ色であることも、胸を詰まらせる要因になった。

 赤い瞳を瞠目させたマクシミリアンが、どこか泣きそうに見えたのは勘違いでは無いような気がした。彼は唇を引きむすんだまま、いつまで経っても何も喋らない。


「後ほどハリエット様のお墓参りに行こうと思います。墓地に入る許可を頂戴したく」


 今日がハリエットの命日であることはカーティスから聞いた話で、一緒にお参りに行こうかと言ってくれたが流石に断った。そう、父は今日に関してはイチャイチャしなければならないので。

 マクシミリアンはしばらくの間呆然としていたようだった。どうしようかと思案し始めた頃、血の色をした瞳が雫を溢れさせたので、シェリーは心底驚いてしまった。


「許可……など。いくらでも、好きに立ち入ってくれたらいい。そうか、墓参りに……」


 大の男が泣いているところを初めて見た。何の対処法も思いつかずに意味もなく両手を彷徨わせたところで、マクシミリアンが両目を片手で覆い隠した。


「すまなかった……」


 震える声は絞り出すように響いて、室内の張り詰めた空気を震わせた。

 ありとあらゆるものに対する謝罪だったのだろう。シェリーは何となく、マクシミリアンが許しを求めていないように思えた。己が謝罪を求めていないのと同じように。

 この時、心の片隅に存在していた何かが少しだけ、けれど確かに溶けた。全てがなかったことにはならないし、普通に話せるようになるとしたらまだまだ時間がかかるだろう。

 それでも生きている限り可能性はあるのだと、素直に思えることが嬉しい。

 マクシミリアンが誤魔化すように目の周りを拭う。シェリーは複雑に感情の絡んだ胸が痛むのを無視して、はいと頷くだけに留めた。


「……では、私はそろそろ。また参ります」

「一つ、聞きたい」


 呼び止められたシェリーは用件を問う視線を向ける。マクシミリアンは視線は布団の上へと落としたまま、気まずさの増した声で問いかけてきた。


「君の食べる量は、人並みか?」


 何だろう、この間の抜けた質問は。

 意図はわからないが答えて困るようなことでもない。シェリーは首を傾げつつ、自身の食事事情について教えてやることにした。


「ひとの五倍は食べますが。それがどうかしましたか」


 マクシミリアンはほんの少しばかり瞠目して、それからすぐに吐息を零した。わずかな表情の変化ではあったが、シェリーには小さく微笑んだように見えた。


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