騒乱の日々も終わり ②
第三騎士団の詰所に顔を出したネージュを待ち受けていたのは、部下たちの縋るような視線だった。
「レニエ副団長! せっかく退院なさったのにお辞めになるとは、どういうことですか」
ルイスが一番に駆け寄ってきて言う。いつも冷静な態度を崩さない彼としては珍しく、焦燥を表した表情にネージュは苦笑した。
どうやら辞職の件はすでに知れ渡っているらしい。今は幹部たちに順に挨拶をしてきたところだから、それを聞きつけた誰かが広めたのだろう。
「急なことで驚かせてごめんね。魔力を失ったから、辞めるしかなくて」
「魔力が……!? そのようなことがあり得るのですか」
「ええと、うん。あり得たみたいだね」
あえて笑い飛ばしてみせると、笑っている場合ですかと怒られてしまった。そんなやりとりをしている間にも室内にいた団員たち全員がわらわらと集まってくる。
「そんな、副団長殿! 決断が早すぎませんか」
「原因がわからないなら、魔力が戻ってくることだって……!」
「副団長殿がいなくなったら、誰が俺たちを鍛えてくれるっていうんですか」
彼らは何の裏表もなくネージュを惜しんでくれている。一人一人の顔を見つめていたら、何だか涙が出そうになってしまった。
それでも泣くわけにはいかない。こんなに慕ってくれていると言うのなら、尚のこと副団長として最後まで責任を全うした姿を見せなければ。
腹筋に力を入れて衝動に耐えていると、アルバーノが能天気な声を出した。
「残念だねえ。我が団の華が去ってしまっては、毎日の潤いがなくなるってもんだ」
「アルバーノ、絶対思ってないでしょ」
多分だがこれは人の心の機微に聡いアルバーノの気遣いだ。あえて憮然とした表情を作って見せると、騎士たちはどっと沸いた。
気さくで人の良い部下たちを前にネージュはそっと微笑んだ。彼らが誰一人として欠けることなく戦いが終わって本当に良かったと思う。
「みんな、ごめんね。詳しいことは言えないけど、もう魔力が戻ってこないのはわかっているんだ」
「レニエ副団長……」
マルコは呆然と呟いたきり押し黙った。すっかり肩を落としていて、顔色まで悪くなっているようだ。こんなに寂しがってくれるとはなんて心の綺麗な子なのだろう。
「ちょっと、そんなに落ち込まないでよ。まだ引き継ぎまで時間もかかるし、毎日いつも通り出仕するし」
仕方ないなあと背中を叩いてやると、マルコは沈んだ声で「そうじゃないんです」と呻いたようだった。
うん、落ち込んでいることを認めたくないんだね。私にもそんな頃があったなあ……。
「マルコ、飲みに連れて行ってやらあ。みっともないからシャキッとしろって」
「アルバーノ班長……」
マルコのことを周りにいた先輩騎士達が慰めてくれている。彼は面倒見のいい先輩に囲まれて幸せ者だ。
その時、騒ぐ団員たちをじっと見守っていたルイスが表情を引き締めた。
「副団長には本当にお世話になりました。あなたの元で働けなくなるのは、とても残念です」
ルイスは本当に寂しそうに眉を下げて微笑んでいた。その周りにいる全ての部下たちも。彼らと過ごした過酷ながらも充実した日々を思い返せば寂寥が胸を覆い尽くしそうになって、ネージュは己を奮い立たせるために直立不動の敬礼をした。
すると彼らもまた間髪入れずに敬礼の姿勢を取って、生真面目な瞳でじっと息を潜めて見せた。
「今まで本当にありがとう。私もみんながいたから頑張れたんだ。引き継ぎまでまだ時間がかかるから、あと少しの間だけどよろしくね」
いつもの切れのいい返事が返ってきたのでネージュは笑った。迷惑をかけてしまうのは申し訳ないが、過酷な訓練にもよくついてきてくれた優秀な部下たちだから、置いて行くことに不安は感じていない。きっとバルトロメイの元、更なる精進を重ねて強く成長していくのだろう。
——それに、実のところ春からはまた戻って来るんだよね。
人事のことはまだ言えないから申し訳ないけれど。
その時の彼らの驚きようが、楽しみだ。
次にネージュが向かったのは女王の執務室だった。ファランディーヌは相も変わらず凄まじい速さで書類を捌いていたが、訪問者の正体を知ると手を止めて迎え入れてくれた。
「ネージュ。わざわざ来てくれたの?」
「もちろんにございます。騎士を辞するのであれば、女王陛下のお許しを頂戴する事が必定でございますれば」
そんなに固く喋ったら変よと言ってファランディーヌは笑った。ネージュのこの態度こそが本来のものなのだが、今となっては自分でも違和感を感じるのだからおかしな話だ。
「魔力を失ったと聞いたわ。あなた、凄く無茶をしたのね。あんな防御魔法は見たことがないもの」
ファランディーヌはネージュの正体を知らない。生まれ変わった彼女が名付け親になったことも、異世界で出会っていることも。
この現状こそが正解だ。年若き女王陛下が悲しまずに済んだのなら、騎士の最後の仕事としては身に余る戦果に違いない。
「なんて言ったらいいのかわからないけど……ごめんなさいね。私のせいでとても大事なものを失わせてしまったわ」
「女王陛下のせいなどと、そのようなことはありません。女王陛下をお守りできなくなりますこと、どうかご容赦くださいますよう」
笑みもなく俯いたファランディーヌを元気付けるため、ネージュはあえていつもの声で話す。どうか気にしないで欲しいと伝えるために。
「これよりは一臣下として御身にお仕えいたします。お許しいただけますか?」
「……ええ。もちろんよ、ネージュ」
許しを与える女王の声は、臣下を想う心が滲み出るかのようだった。
聡明で心優しい女王陛下。彼女の造る未来が輝いて見えるから、誰もがこのお方に仕えたいと思うのだろう。
「こちらお返し致します。ありがとうございました」
「あら、読み終わったのね! どうだった?」
ファランディーヌが覗き込んだ紙袋の中には、以前借りた恋愛小説が収められていた。
ネージュは確かにずっと忙しかったのだが、実のところ合間合間にちまちまと読み進めていたのだ。趣味の時間くらい持たなければ、あの不安の日々に打ち勝つのはより困難になっていた……ということにしている。
「どれも凄く面白かったです! 手が止まらずに大変でした」
「でしょでしょ!? どれ? どれが一番良かった?」
「うーん悩みますけど……青と赤の交わる町、ですかね」
「それ私も好きー!!!」
議論は白熱した。オタクが二人以上集うともう止められないのは、たとえ世界が変わっても世の常らしい。
感想を語りに語り合った果て、ファランディーヌは満足げに息を吐いた。
「はあ、楽しいわ。他にも何か借りていく? ……ああ、今はあんまり趣味に時間を割いている場合じゃないわね」
「女王陛下?」
「そうよ、これを一番最初に言うのを忘れてたわ。ネージュ、結婚おめでとう!」
ネージュは何も口にしていないのにむせた。
本当にどういうことなのだこれは。なぜ女王陛下がご存知に?
「ど、どうして……!」
「あら、カーティスが報告に来たわよ? ……あ、この場合は結婚じゃなくて婚約おめでとうね。私ったら」
楽しげに話すファランディーヌの笑顔が遠い。今この時まで実感が湧かないなどと思っていたはずなのに、この展開の早さは一体。
すると唖然としているネージュに気付いたのか、彼女はどこか悟ったような笑みを浮かべた。
「ネージュ、カーティスは有言実行よ」
ネージュの脳裏に昨日の記憶が蘇る。
そうだ、たしか彼は「出来うる限り早く結婚しよう」と言っていたような。
貴族の結婚は一年以上はかかるものだし、早くとは言ってもまだまだ先の話だと思っていたのだが。
「まあ、大丈夫よ。不安になる暇もないくらいトントン拍子で進むに違いないわ。ふふ、愛されてるのね?」
ファランディーヌは天使のように微笑んで首を傾げて見せる。
十三歳の少女にまでからかわれてしまったネージュは、ふわふわする頭もそのままに執務室を後にしたのだった。




