死亡フラグは序盤からやってくる ⑤
マクシミリアンもどうやら今のところは領民を巻き込むつもりはないらしい。そんな調査結果を得て酒場を後にした頃には、既に夜も更けた頃合いだった。
「さて、次はどこに行こうか、シンシア」
飲み直しは「異常なし、これより城内に潜入する」の合図。ネージュは緊張を表に出すことなく頷いて見せた。
「そうね。ウイスキーが沢山あるところがいいかな」
ウイスキーは「こちらも問題なし、任務の続行を了解」の合図。ふらりと歩き始めたカーティスに従って、ネージュもまた歩を進める。
ここまで監視の目を気にするのは、マクシミリアンの配下が領地をうろついているからだ。
カーティスがいるから可能性は限りなく低いものの、もしお縄になれば確実にデッドエンド。こんな序盤で何も成せずに死ぬことだけは避けたい。
ネージュは内心では目を光らせながらも、表面上は適当な会話を交わしつつ大きな道へとやってきた。
それにしても人通りが多い。城下町とはいえこれほど活気付いているとは、はぐれないように注意しなければ。
「あの店はどうかな。あの路地裏の」
「いいわね、そうしましょう」
カーティスは人にぶつかりながら歩く部下の様子に気付いたようだ。さらりと差し出された手を掴むとき、ネージュは自身の手が震えないように気をつけなければならなかった。
実のところはずっと平静を装うのが精一杯。任務だとわかっていても、転移魔法の時からドキドキして仕方がなかった。男性とこうして二人で歩いた経験などないし、何よりカーティスは憧れの人なのだから。
極力動揺を外に出さないようにしながら、楽しげな笑みを浮かべて歩く。そうして路地に差し掛かった瞬間、二人は同時に魔法を発動させた。
あらかじめ服の内部に仕込んであった魔法陣によって、全身が暗闇に溶け込んでいく。そうして持ち物も含めて全てが透明になったのを確認したネージュは、カーティスが堪え切れないとばかりに笑いだしたのを目の当たりにすることになった。
「……ふ、はは! 君、案外演技が上手いんだね。驚いたよ」
この「隠しの魔法」を使用すると、姿も声も魔力に封じ込められて見えなくなる。事前の調整によってお互い姿を確認することができるのだが、できることならこの笑みは見たくなかった。
「も、申し訳ありません! 騎士団長閣下に対してなんたる無礼を……!」
ネージュは上半身を直角に倒した。先ほどまでの演技を思い返すと、消えて無くなりたいような気持ちがする。
「気にすることはないだろうに。むしろ見事な仕事ぶりじゃないか」
「そうは申されましても、やはり騎士としては抵抗があります。閣下に対して、あんな」
「いいからいいから。本当に気にしなくていい、面白かったしね」
面白いって。
ネージュは思わず赤い顔を起こして絶句したが、むしろその顔が笑いを誘発する引き金になったらしく、カーティスはまたしても吹き出してくれたのだった。
水滴の音が鼓膜を刺す。地面を掘って煉瓦で固めただけの地下道は湿り気を帯びており、ネージュは先程から身震いするのを我慢し続けていた。
侵入者向けの罠がたっぷりと仕込まれたブラッドリー城の隠し通路。罠を作動させた時点で城の者に感知されるため、綿密な警戒が必要となる。
「レニエ副団長、そんなに緊張していると疲れないかい」
朗らかに笑うカーティスは、どこをどう見ても余裕だった。
隠しの魔法は地下道に侵入した時点で解いたものの、わずかな時間で膨大な魔力を消費する代物だ。ネージュは魔力の残存量と疲労感を照らし合わせて、それなりの危機感を抱いているというのに。
何より一つでも失敗したら終わりのこの状況だ。カーティスならば見つかっても逃げおおせるだけの実力があるとはいえ、どうしてそんなにも自然体でいられるのだろう。
「罠を踏み抜きでもしたら閣下にもご迷惑をおかけすることになります。万に一つの失敗も許されません」
「大丈夫だよ、そうなったら君を連れて逃げるくらいの力はあるつもりだ」
「そんなわけにはいかないのです。しっかりとこの任務を達成しなければ、立候補した意味がありませんから」
そう、この任務の大目標は「ブラッドリー公が戦を仕掛けようと画策していることを突き止める」こと。
この情報を持ち帰ったことにより物語が大きく動くので、絶対に失敗は許されない。気合も新たに顔を上げると、そこにはいつしか二つの道が現れていた。
「記憶によれば右だね。行こうか」
ネージュの記憶とも合致する。確か左に進むと複雑な迷宮に案内され、出られないままバッドエンドとなるのだ。本当に怖い。
ここは脱出用の通路のため、他の通路に比べて罠の数が少ない上危険度も低いのだが、侵入者を阻むための仕掛けは存在する。
どうやらカーティスは本当に覚えているらしい。ネージュは不自然に道の提案をすることを回避できたので、ほっと息をついた。
「今のところ昔と変わっていないな。まだまだ油断はできないけど」
「はい。より気をつけて進みましょう」
隣を歩く横顔に憂いは見当たらなかったが、彼は子供時代を思い出してどんな感傷を得たのだろうか。
友がもう一人の兄をも手に掛け、こうして罪もない女王を恨み破滅への道を進んでいくことなど、想像すらしていなかったに違いない。
もし上手くいってマクシミリアンを捕らえたとしても、そこに待つ未来は極刑のみ。その現実を前にして何を思うのだろう。
「聞かないんだね。私が今回の件をどう思っているのか」
核心をつく言葉に、ネージュは思わず息を飲んだ。
恐る恐る隣を見上げると、彼は空色の瞳だけをこちらへと向けていた。
「そんなに気を遣わないでくれ。私は別段、悲しんでいるわけではないんだよ」
「……そうなのですか?」
「ああ。腹は立っているけどね。自分自身に」
淡々と地下道を行く横顔は、柔らかな苦笑を示していた。しかしその言葉は自らを責める響きを宿し、後悔と憤りが滲むようだった。
「さっき聞いただろう。マクシミリアンはね、実際に良い領主で、良き友だったんだ。もっと話を聞いてやれば良かったな。私には、できることがあったはずなのに。……こんなことを言ったら、敵方に情を移したと思うかい」
ネージュはゆっくりと首を横に振る。人として当たり前の情を口にしたことを、どうして責められようか。
「いいえ。……いいえ、閣下」
そんなことを言いながら、彼は最後には迷いなく友に刃を突き立てるだろう。
ネージュは彼のこれからの闘いぶりを知っている。その裏に多大なる苦悩が潜んでいることも。
そのあとは無言で地下道を進み、遂には城内に辿り着いた。
出口は排気口に偽装されており、隠しの魔法を施してから地下道を出る。
そこはどうやら使用人専用の通路だった。ここからは特にカーティスの道案内が重要となる。
「こっちだ。行こう」
迷いなく歩き出した広い背中を追う。歩き続けてしばらく、眼前に姿を表したのは騎士の訓練場だった。
その空間を満たす熱気に、ネージュは思わず息を飲む。
マクシミリアンの私設騎士団は、その名を黒豹騎士団という。王立騎士団を除けば最強とされる彼らは、今まさに着々と戦の準備を始めていた。
慌ただしく行き交う騎士たちにぶつからないよう、二人は壁に張り付くようにしてその光景を見つめる。
剣、槍、弓、盾。ありとあらゆる武器が集められた様は壮観で、王城の戦備にすら匹敵するのではないかという程の物量がある。
現実のものとして見てみるとこれほどの迫力とは。今更のようにマクシミリアンの本気を見て取って、ネージュは体が強張るのを感じた。しかし張り詰めた空気の中にあって、カーティスは冷静だった。
「レニエ副団長、魔術記録を」
「は……はっ!」
淡々とした声に我に返ったネージュは、懐から魔術記録装置を取り出した。
透明なレンズのような形をしたその石は、透かした景色を記録することができる、要はビデオカメラの様なもの。一般人は手を出せないほどの価格を誇るが、騎士団においては偵察時に常用されている。
周囲の全てを写し取るように、魔力を込めた石をじっくりとかざす。そうして左右上下を写し終えたところで、しっかりと黒布で包んで懐に戻した。
元の通路に入ったところで、二人は目配せをして頷き合う。
これである程度の規模も知ることができたので、大目標は達成だ。後は転移用の魔法陣まで戻れば任務完了となる。魔力も随分磨り減っているので早く城内から脱出しなければならない。
しかしこれ程簡単に行くはずがなかった。
先程とは別の地下道の出入り口に到達したところで、騎士二人は唐突に足を止めた。隠し通路の入り口たる浴室の前に胡座をかいていたのは、見覚えがあり過ぎる男だった。
「……んん? 来たなネズミが。しかも、こりゃあかなりの大物だ」
濡羽色の短髪に切れ長の青灰色の瞳を持つ男は、不敵な笑みを浮かべてゆらりと立ち上がった。
しなやかな猛獣を思わせる体躯に纏うのは黒い騎士服。邪魔な飾りを取り払ったシンプルなデザインは、戦闘狂たる彼に相応しい。
「姿を現しなよ。そうしたら城の連中には知らせないでやるからさ」
黒豹騎士団の第四位たるイシドロ・アルカンタルは、サーベルの切っ先をピタリとこちらへと据えて見せた。




