大天使ティナエル、降臨
気付けば俺は雲の絨毯の上に立っていた。雲の絨毯なんていうのもおかしな言葉だけど、そうとしかいいようがない。
足元には白くてふわふわした何かが視界の続く限りに敷かれている。
物は一切なく、夕焼けっぽいがそうではなさそうな薄い朱色の空が雲の絨毯と一緒にどこまでも続いて行き、そして。
目の前にはティナの姿をした天使が立っていた。
世界の魔力の根源となる泉の中に沈む宝石のように美しい瞳は、それを使って覗き込んだ人間の中にあるありとあらゆる感情を愛に変えてしまう。
まるで絹糸のように繊細できめ細やかな肌は、妖精が千年の時をかけて紡ぎ出した魔法のように見たものを引きつける。
うん、段々何を言ってるのかわからなくなってきた。
天使は袖の短い白のワンピースを着ていて、背からはワンピースと同じ色の翼が生えている。
どうしたらいいかもわからずにぼーっとしていると、天使がこちらを見て上に向けた両の手のひらをこちらに差し出して言った。
「ジン君! どうしたの? ほら、おいで」
その慈愛にあふれた声音に抗うことができず、いつの間にか天使の手に自分のそれを重ねていた。
すると手を伝って、俺の身体に愛が流れ込んでくるのを感じる。
その愛が身体中を巡って心にまで到達すると、今まで感じたこともない幸福感に包まれると共に、俺は直感した。
目の前にいるのは大天使ティナエル。
俺という迷える子羊を導く為にこの世にやって来たのだと。
肩を揺さぶられ、意識がティナエルの元から前にいた世界へと戻されてしまったことに気付く。
少し残念ではあるものの、問題は俺を揺り起こしたのが誰かということだ。
これは大天使ティナエルと会うことができたという事実から考えて、ティナである可能性が高い。
そう思いながら首を横に向けた瞬間、俺の視界から光が消え失せた。
なんと、そこに立っていたのはラッドだったのだ。
俺は世界を憎んだ。どうしてティナではなくラッドの手によってこちらに引き戻されてしまったのかと。
そして気付いてしまった。これらは全て、この世界の管理者たるゼウスの仕業であると。
ゼウスに対する復讐を心の中で誓っていると、ラッドが口を開いた。
「やあ、お目覚めかい? すまないね、待たせちゃって。おかげでご覧の通り僕はすっかり元気になれたよ」
「ってことはこれから飯の時間か」
「そういうことさ。ティナが君を下で待っているよ」
「…………」
からかうような笑みを浮かべてこちらを見ているラッドを静かに睨みつける。
「なんだい?」
「そうやって俺をからかうのはいいけどよ、お前もいじられると弱いってわかった以上、今後は俺からの反撃がくるってことも覚えておけよ」
「ふっ、望むところだ。いつでも受けて立つよ」
ラッドはそう言ってから肩をすくめて踵を返し、去っていく。
……かと思えば扉の前でこちらを振り返った。
「そうそう。僕からアドバイス……というほどのものでもないんだがね。この街に滞在しているうちにティナをデートに誘っておきたまえ」
「は? 何でだよ。急にそんなことできるわけねえだろ」
そこでラッドは額に手を当ててため息をついた。
「だから昨日も言ったじゃないか。軽く遊びに誘う気持ちでいいんだ。何ならご飯を食べに行こうとかでもいい。ティナの方だっていきなりデートだと思うと緊張してしまうかもしれないしね」
「言ってることはわかるけどよ……」
ベッドに座ったまま俯くと、シーツの皺が目についた。
「それに、この町から離れるとしばらくゆっくりできる時間はないかもしれないだろう。だからジン、僕たちのいる前でいいからティナを遊びに誘うんだよ」
「ロザリアとどこかに行く予定があるかも」
そこで顔を上げると、ラッドは片方の眉をあげた勝ち誇った感じの顔で俺の言葉を遮った。
「それは絶対にないから安心したまえ。じゃ、僕は先に行くよ」
ラッドはそう言い残して踵を返し、人差し指と中指を立てた片手をしゅぴっとあげて去っていく。
あいつらグルってことかい。暇なのか知らんが、俺たちをくっつけようとしてくれているのだろうか。
たしかに俺は将来ティナと結婚するつもりではいる。でも人に早くそういう関係になれと急かされるとどうにもやりづらいのもまた事実。
一つため息をついてベッドから降りると、ラッドを追って下に降りた。
酒場ではすでにティナとロザリアが席に着いて待ってくれていた。ティナを見た俺の口からは自然と言葉がこぼれてしまう。
「ティナエル……?」
「えっ」
「あっいやごめん、何でもない」
危ない危ない。ティナの真の姿が大天使ティナエルであるという事実は、下界のやつらにはばれないようにしないといけないからな。
きょとんとするティナの顔を見て謝りながら席に着く。席順は横並びに俺とラッド、その向かいにティナ、ロザリアという配置だ。
さっきああいう話をしたせいか、いつにも増してティナを意識してしまう。
注文した料理を待って全員で雑談をしている間も、簡単には直視できずになるべくティナを視界から外してしまっていた。
やがて料理が到着したので乾杯をしようとそれぞれがグラスを高く掲げると、一瞬の静寂が場をよぎる。
誰が音頭を取るか決まっていないからだ。そこでラッドが口を開く。
「ここは勇者ティナが『乾杯』を言うべきじゃないかな」
「えっ……私?」
ティナが呆気に取られたような顔で自分を指差している。
食事時になってからあまり話せていないのでここはチャンスだ。
「そうだぜ。このパーティーのリーダーは勇者ティナなんだから一つ気合の入るかけ声をくれよ」
「もう、からかわないでよ……そ、それじゃあ」
ティナは腑に落ちない表情ながらも、うん、と一つ可愛らしく咳ばらいをしてから号令をかけてくれた。
「それじゃあトチュウノ町到着を祝って……かんぱ~い!」
「「「かんぱ~い!」」」
それに俺たちも続き、グラスとグラスのぶつかる硬質な音が響き渡った。
料理を食べながらもまた歓談に興じる。ティナに対する緊張も解けて楽しく話せているしいい感じだ。
そんな時、わきばらを肘で軽くぐりぐりされた。ラッドだ。
女性陣に聞こえないよう、声を潜めて話しかける。
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないだろう。ほら、今がチャンスだ。まずは僕たちに明日の予定を聞いてみてくれたまえ」
ティナを遊びに誘えということだろう。
ちらっとロザリアと会話をしているティナを見ると、鼓動が少しだけ跳ねる。
たかが遊びに誘う程度のことなのに、何だか緊張してきた。
まあ今がチャンスかどうかは知らないけどやるだけやってみるか。
一つ深呼吸をすると、わざとらしくラッドとロザリアに視線をやりながら口を開いた。
「なあお前ら、明日はもう予定とか決めてあるのか?」
「ふっ、あるかないかで言えば……あるかな」
芝居がかった仕草で前髪をかきあげながら言うラッド。
何だか台詞がめちゃくちゃわざとらしいのが気になるけど今は我慢だ。
そこにロザリアがだめ押しの一言を入れてくれた。
「ええ。明日はラッド様と二人で寄っておきたいところがありまして」
「そ、そうか。いや~それは残念だな~せっかくだから飯食いにでも行こうと思ったんだけどよ~」
ラッドに文句を言えないくらい棒読みになってしまった。ティナは何だか不思議なものを見る目でこちらを見ている。
うっ、変に思われてるかな……。それでも俺はめげずに続けた。
「じゃ、じゃあさティナ。二人でどこか遊びに行くか。ほら、エルフの里に行ってからじゃゆっくりできないかもしれねえしさ。今のうちにこの町で遊んでおこう的なさ」
多少言葉に詰まりながら言い訳がましく言い切ってティナの様子を窺う。ラッドとロザリアも成り行きを静かに見守っていた。
するとティナは微笑んで、
「うん、そうしよっか。どこか美味しいお店があるといいね」
そう言ってくれた。見ればラッドとロザリアも、安心したといった様子で顔を見合わせて微笑んでいる。
こうしてティナがどう思っているかはともかく、俺とティナの初デートが決定したのだった。
その後はラッドとロザリアからいくつかいい感じのお店を紹介してもらって、気が済んだ頃にそれぞれの部屋へと引き上げていった。




