魔王様(姉)が帰還するお話
窓の外は雪が白く輝き、テレビの向こうでは見知らぬ人々が初詣に息巻いていた。そんな風景を眺めながら、俺は絶望に打ちひしがれていた。もちろん初詣の参拝客の量に絶望しているのではないし、雪のせいでもない。俺の絶望の原因はただ一つ。姉貴が帰ってくることだ。先ほどの電話からして、もうすでに日本の空港には着いているだろう。空港からの距離が分からないから何とも言えないが、多分もうあと三十分もすればここまで来るだろう。さてどうしたものか。正直めんどくさいんだよな。う~むむ、どうしようか……
小雪が心配そうに俺の顔を下から覗いてくる。取り敢えず頭を撫でてやれば、気持ちよさそうに眼を細めた。このまま素知らぬ顔で小雪と戯れていても良さそうな気がする。だがしかし、そういう訳にもいかないのが姉貴である。仕方がない。ご飯だけでも作ってやろう。というか、作らないと姉貴が拗ねる。正月だしおせちとかが良いのかもしれないが、生憎俺はそんなものは作らない。時間も無いし、シチューで良いか。俺も食べたいし。よし、そうと決まればさっさと作らなければ。二十分もあれば作り終わるだろう。
じゃがいも、人参、玉ねぎ、ブロッコリーを軽くすすいで、適当な大きさに切り分ける。姉貴は昔から大きめの方が好きだったが、俺はどちらかと言えば小さい方が食べやすくて好きだった。まぁ今は成長してどちらでもいいと言えばいいのだが、サクッと食べるのには小さい方が向いていると思う。さて、お次は肉を炒めようか。程よい所で人参をすかさず投入。そしたら次に玉ねぎを炒めるので、少しだけバターを加える。このバターがいい仕事をするのだ。
玉ねぎがきつね色になる手前でじゃがいもを入れ、サッと炒める。そういえば、鍋で野菜とかを炒めるのは良くないらしいな。一時は時短の為鍋で炒めたりもしたのだが、姉貴から長々と説教された記憶がある。ホーロー鍋は急激な熱変化に弱いから云々かんぬんと、耳が痛くなるまで聞かされたので、今では多少めんどくさくてもフライパンで炒めるようにしている。姉貴は本当にどうでもいいことだけはよく知っていて、異常なまでのこだわりを見せる。かと言って、常識があるのかと聞かれれば俺は、素直に〝はい〟とは頷けないだろう。これはもう日頃の行いのせいだ。炒め終われば後は煮込むだけなので、煮込んでいる間にもう一品作ろう。鶏肉の余りで酒のつまみが作れたな。先ほど使用したフライパンにサラダ油をしいて、弱火で片面二分ずつ焼く。ふたを開け少量のこしょうをまぶせば香ばしい匂いが漂い、小食な俺の食欲でさえもそそる。これでつまみは完成。そうこうしていれば、シチューの方も良い感じに煮込まれてきた。うん、ほのかな甘みが香ってきますね。
小雪にもご飯をあげ、食べている姿を見ながらお茶を飲む。これが味わって飲める最後のお茶だろう。さぁ、もう帰ってくるころだ。小雪、お前もこれから寝られなくなるぞ?可哀想にな。憐れみというか同情の視線を送れば、〝なんのこっちゃ〟と言わんばかりの表情がかえって来た。いやいや、お前ももう分かるはずだよ。だってほら、耳を澄ませば……
「たっだいまー!元気にしてたか凛空!!」
ほら、うざいぐらい高いテンションで帰って来た。物凄い勢いで扉を開けたので、小雪がビックリしてご飯をひっくり返してしまった。さぁ、小雪お前も絶望しろ。魔王様の帰還だ。もう寝る暇なんてなくなるぞ。
「……お帰り。相変わらずのハイテンションだな」
「そうかそうか、そんなに私に会いたかったか!」
「いやいや、そんなこと一言も言ってないんだが?」
「またまた、照れんなってぇ~。あれ、凛空子猫飼ったの?」
「照れてねぇよ……」
人の話を聞かない自由人。めんどくさい絡み方。間違いなく俺の姉貴、柏木星だ。人見知りの小雪がフリーズしておとなしく抱かれている。いや、この場合フリーズしたというよりも諦めたと言った方が正確だろうな。あ、でもなんかちょっと怯えてる。〝助けて〟と小雪の視線が訴えてくるが、ここは見知らぬふり。すまない小雪、俺でも魔王様からお前を助ける事からは出来ないんだ。
「ねぇねぇ、この子なんて名前なの?」
「名前は小雪っていうんだ。これでも一応捨て猫」
「うそ!こんなに綺麗な毛並みしてるのに?」
「あぁ、俺も最初は疑ったけどな。でも段ボールの中に捨てられてた」
「へぇー。なんか凛空と似てますな(笑)」
ぷぷっ!と笑う姉貴に、普段なら一発げんこつでも打っていただろうが、今日はまぁ許してやろう。久し振りの日本だしな。それに俺も小雪と似ていると言われれば悪い気はしない。
わしゃわしゃと小雪を楽しそうに撫でいる姉貴は、昔から何も変わっていないという訳ではなかった。本当に些細な変化。コップの中の水がほんの少しだけ減ったような、普通ならば見逃してしまいそうな変化だ。だからなんだと言われれば、別に何でもないのだが、弟として分かってしまったのだ。今の姉貴は、昔の姉貴よりも少しだけ大人になったというか、頼りがいが出てきた。世界で働いたおかげで、常識が身に付いたのだろうか?もしそうならば、俺は姉貴を雇った会社に最大限の敬意を表そう。
さて、されるがままの小雪が可哀想になって来たのでいい加減助けてやろう。それにシチューも冷めてしまう。
「なぁ、昼食シチューなんだが食べる?」
「え、シチュー作ってくれたの!?いや~やっぱ持つべきは友じゃなくて凛空だね」
「言ってることがわけわからん。チーズのせる?」
「乗せてのせて。もうトッロトロにしてよ。あ、あとじゃがいもを沢山」
まるで子供のように眼を輝かせる姉貴は、やっぱり何も変わっていないのかもしれない。はいはいと、呆れながら注文にこたえる。シチューを皿につぎながら小雪に視線をやれば、ぐったりと床に突っ伏していた。小雪、ご愁傷様です。しばらく昼食を食べるから、その間にゆっくり休んどけ。食べ終わったら速攻で撫でられるぞ。
「わ、美味しい。料理上手くなったんじゃない凛空?」
「ストレス溜まったときには美味しい物食べんのが一番だろ?だから、日々上手くなってる」
「ふ~ん。そして今は小雪ちゃんもいるからストレスは皆無だと」
「……まぁ、否定はしない」
今後どうなるか分からんがな。もしかしたら姉貴がストレスの原因かもしれないというのは、言わないでおこう。はふはふとシチューを口に含んでいる姉貴とその横で、もきゅもきゅと自分のご飯を食べる小雪。一生懸命ご飯を食べる姿は微笑ましく、思わず笑ってしまう。すると姉貴が不思議そうな表情で聞いてきた。
「急に笑いだしてどうしたの凛空?」
「いや、姉貴と小雪が微笑ましかったから」
「え、なに本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。最近ようやくリストラのストレスから抜け出せたから」
「あぁ~良かったね!」
納得したのか、再びシチューを食べ始めた。あれ、確か姉貴にはリストラになったこと言ってないよな。あれ、言ったけ?聞いてこないってことは、大家さん辺りが連絡したのかな?まぁ、触れてこないのなら俺がわざわざ言う必要も無いだろう。
「え、凛空リストラされたの!?」
「今かよ!」
言ってなかったんですねやっぱり。それにしても姉貴の反応速度が遅すぎる。シチューに夢中すぎだろ。
「去年の誕生日にクビになったんだよ。んで帰り道に小雪を拾ったんだ」
「あぁ、なるほどなるほど」
パンっと両手を合わせて姉貴は今度こそ納得したようだ。気がつけば皿の上のシチューは綺麗になくなっていた。誰であろうと、自分の作った料理を綺麗に完食してもらえるのはとてもうれしい。おかわりでも進めようかと思ったが、晩御飯作るのがめんどくさいので進めない。その代わり夜にもシチューが食べられるのだ。それに、さっき大盛でついだからいかに大食いの姉貴と言えど夜までは持つ。
「姉が働いてる間に弟はクビになるのか。……ふむ、シチューおかわり」
訂正。やはり姉貴の腹は異次元空間でした。さっきあれほどの量を平らげておいてまだ食うのか。
「勝手に納得しているようだが、シチューのおかわりはなしな」
「なんで!?」
「晩御飯作るのめんどくさい」
夜にまた食えると言えば、しぶしぶと了承してくれた。姉貴よ、貴様の食費だけで俺の貯金が崩れそうだ。そんな俺の気も知らずに、姉貴はまた小雪をわしゃわしゃと撫でていた。小雪はというと、もう完全に諦めたのか姉貴に身体を預けている。まな板の上の鯛ならぬ、膝の上の小雪だな。わしゃわしゃもふもふしながら、姉貴は眼を細めて言う。
「小雪ちゃんは妖精みたいだねぇ」
この一言で改めて、俺と姉貴は血のつながった姉弟なんだなと思った。そして姉貴と同じ例えを用いてしまった自分が恥ずかしい。確かに小雪はそう見えるけどね。