冬の買い物のお話
ここ最近更に寒さは増し、俺は家から出ないことを心に決めつつある。外を見れば今も変わらず雪が降っていて、正直見飽きた。真っ白な結晶が降り注ぐ光景を、一度は俺も美しいと思ったことがある。ただそれも、何度も何度も見ていれば流石に飽きがくるだろう。雨に濡れながらばちゃばちゃと音を散らしながら駆け回っていた小学生が、成長と伴に傘を持ちだし、迂闊に外に出ず、雨の不自由さを嘆きだすように、俺も雪の不自由さが嫌いだ。もちろん俺とは違い雪が大好きだという県民もいるのだろう。何処の県民かは分からないが、現実を見ていいただきたい。雪が降った後が問題なのだ。除雪には力がいるし、路面が凍結すれば足もおぼつかない。そんな状態で生活するのはかなり大変なのだ。故に俺は、外に出たくない。
もう何杯目かも分からないお茶を取りに、冷蔵庫の扉を開けた。そこにはもう、酒とお茶しか入ってなかった。まさかと思い下の方も開けてみれば何もなかった。いや、何も無いと言えば少しだけ語弊があるのだが、それぐらいに中は空白でいっぱいだった。一度閉める。そしてもう一度開ける。そうすれば、何か入っているかもしれない。食材が増えているかもしれない。何度か開閉を繰り返す。だが当然、ポケットを叩いても中のビスケットが増える事なんて無いように、冷蔵庫の食材も増える事はなかった。そもそも何故、こんなにも食材が減ってしまったのか。雪が降るし、年も開けるしという事で正月は外に出ないようにするべく、割と食材は多めに買い込んだはずなのだ。年越し、三が日を家の中で済ませられるくらいには買い込んでいたはずだ。となれば原因は一つしかない。あの異次元空間やろうだ。あれが馬鹿の一つ覚えで、どんどん食うからなくなるのだ。大半は俺が作らされてるけど、俺が寝ているときなんかは姉貴勝手に作ってるからな。当然、節約何て言葉はその頭には入っていないだろう。もし入っているのなれば、この事態には未曽有に防げたはずだ。
「おい、起きろ」
脇腹を蹴っても起きる気配がない。こうなったらてこでも動かないのが、我が家の一員なのだ。父も母も、そして俺も死んだように眠るとよく言われた。実際、毎日疲労困憊の中で生活しているのだから仕方がない。この三人は比較的、多少無理に起こされても害を及ぼすことはない。だが、姉貴は別だ。確か昔も似たようなことで姉貴を起こそうとした。肩を揺さぶったり、頬をつまんだり、小さいながらもなんとか起こそうと頑張った。そしてようやく姉貴は上半身を起こし、俺は当初の目標を一人で乗り切れたことに歓喜したのだが、次の瞬間姉貴は思いっきり俺の首を絞めてきた。一切の容赦なく、これが少女の力なのかと疑うわざるを得ない力で本気で意識を落としに来た。あの時は本当に死を覚悟したものだ。さて、そういった過去の経験から俺は、俺が傷つかない方法を学んだ。俺が起こすのではなく、姉貴の意志ので起きてさえくれれば良いわけだ。だから俺は耳元でこう囁くのだ。
「……今日の晩御飯はありません」
「ごはん!」
ほらな、勝手に起きた。そう、ご飯のことにはがめつい姉貴には当然ご飯が効くのだ。
「姉貴が何も考えずに食ったせいで、晩御飯の食材がありません」
「えぇ、私のせい?」
「姉貴のせいです。なので晩御飯食いたいのなら早急に食材を買ってこい」
「まかせろ!ってあれ、凛空はいかないの?」
「こんな日に外に出るなんて馬鹿じゃないの?」
うわぁ、と姉貴が引いたのが分かる。いやいやこんだけ雪降ってるのに外行くなんて、本当に馬鹿だからね。というか姉貴は車持ってるから別にいいのか。まぁ考えずとも人の量は多いいだろうがな。わざわざ死にに行くぐらいなら、家で小雪と戯れといたほうが賢い選択だ。
「えぇ~でもほら私に任せていいの?何買ってくるか分かんないよ?」
ちらちらと俺の方をまるで試しているかのように、下からのぞき込んでくる。流石に三十路前の女がそんなあざとい事をしても可愛くないからな?むしろちょっと気持ち悪いぞ。そんなことを口にしてしまえば、あの首絞めよりも更にひどい仕打ちがありそうなので心に留めておく。
……どうやら姉貴はなんとしてでも俺を外に連れ出したいようだ。くそぅ、そう言われてしまえば何も返す言葉がない。姉貴に任せるのは一万分の一の確率でしか当たらないような、そんなハズレ前提のくじを引くようなものだ。しかも損失が大きい。はぁ、もう全く仕方がない。
「……分かったよ。はよ準備しろ」
「やたー!」
〝にゃー!〟と可愛らしい鳴き声がした。え、なに。まさか小雪も乗り気なの?
「ほらほら、小雪ちゃんも行きたい感じじゃん?」
「本気で言ってるのか小雪?こんな日に行くなんて、自ら死ぬことを選んでいるようなもんだぞ?」
〝にゃん!〟と鳴いたのは、多分〝うん!〟という返事なのだろう。可笑しい。確か子猫ってあまり外に連れ出すとストレスが溜まるはずなのでは?しかも小雪こんなに活動的だったか?小雪を見るとそわそわしていて、もう今すぐにでも外へ飛び出しそうな勢いだ。この感じだと、外出したくないのは俺だけなのか……
こうしてまた、あの大きな古城のようなデパートに足を運ぶことになった。めんどくさい。
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謹賀新年、及び三が日というのはどうしてここまで人がいるのだろうか。いったい何処から湧いて来たんだろうかこの人々は。相変わらずの古城のようなデパートは、入ることを躊躇してしまう。人の多さとも相まって、さながら城下町のようなに賑わい方だ。そんな人混みも意に介さず、ずんずんと俺の手を引っ張って前に進むのが、姉貴である。この行動を俺も見習おうとした時期が確かにあった。だが、いくら姉貴の姿を習おうとしても、俺には無理だという事を実感させられた。俺の常識、つまりは一般常識を遥かに超える行動をとる姉貴は流石に人間かどうかすらも疑ってしまう。だって普通、仕事無い中で渡米とかしないだろう?もしかしたら俺が知らないだけでするのかもしれないが、残念ながら俺にそこまで行動力はない。礼儀正しいというか外面の良さも一級品だ。元来、姉貴は超のつくめんどくさがり屋なのだが、俺がいない人前だとしっかりする。俺がそばにいれば何でもかんでも俺に押し付けてくるのだが、自分で仕事を探してきたように俺がいない所ではしっかりと自分でするようだ。つまり、俺が原因なんですね。
古城デパート(正式名称は知らない)の食材コーナーは地下一階にある。前回来た時は二階のペットショップにしか行かなかったので、未知の領域である。地下迷宮にでも潜りに行くような感じだ。大丈夫だよね。モンスターとか湧いてこないよな?
「さぁ、行くぞ~!凛空」
あ、これ大丈夫だ。姉貴がいれば極悪モンスターとか出てきても正拳突きで軽く吹っ飛ばしてくれそうだ。エレベーターは人が多く、いくら並んでも入れそうになかったのでエスカレーターで下に降りることにした。地域によって左側に寄ったり、右側に寄ったりと違ったりするようだが、あれは実はよくないらしい。故障の原因の一つになるそうだ。まぁ、ここまで混んでいればそんなことも考える余裕なんてないのだが、ふと思いついたのだ。かくして地下一階に降りるとそこには、戦場が広がっていた。
「な、なんなんだこの人の量は……」
「わひゃー、この人だかりは凄いね。凛空、離れないでよ?」
「善処はする」
では、突撃!っと楽しそうに突っ込んでいく姉貴の姿は、戦闘狂かなにかのように見えた。離れるなと言っておきながら、俺の事は置いていくんですね。もう姿さえ見ることのできない姉貴の背中を思い浮かべながら、比較的人の少ない所に俺は場所を移す。ちょうど奥の方に自販機と椅子があった。そこには人もいなかったので、そこでお茶でも飲みながらこの光景を眺めとこう。携帯もあるし勝手に帰って来るはずだろう。というか携帯無くても姉貴は俺を見つけられるようだったな。確か、十の特技が何とかかんとか。そんな馬鹿げた特技が本当に在るのかは知らないが、何とかなるだろう。
温かいお茶を購入して、冷えた手を温める。小雪はというといつものエコバッグの中から、ひょこっと顔小さな顔を覗かせ、俺と同じようにこの光景を眺めている。人の多さに驚いているのかと思ったが、そうではないようだ。店内に流れているよくある正月の曲や、あちこちから香ってくる食べ物の匂いが気になって仕方がないのだろう。その証拠に先ほどから小さな瞳がきょろきょろと忙しなく動いている。キラキラとした擬音が付きそうな輝きぶりだ。小雪ちゃんマジ可愛い。
ひたすら小雪を愛でているとふと、背後から声をかけられた。
「……一体全体どうしてこんなところにいるんですか柏木さん?」
「うわぁ!み、美緒ちゃん?」
「こんにちは、小雪ちゃん」
さらっと、俺ではなく小雪に声をかける辺りが美緒ちゃんらしい。紺色のロングスカートに、青と白のボーダー柄のスウェットを着ているという大人びた服装がよく似合っている。そして相変わらず赤縁の眼鏡が垂れ眼を更に引きだたせている。
「それで、もう一度聞きますがどうしてここへ?まさか自らの意志でここに?」
「急に姉貴が帰って来てさ、無理やり連れ出されたんだ」
「へぇ、お姉さんがいたんですか。会ってみたいですね」
「止めといた方が良いと思うよ?姉貴の元気さは周りから奪ってるものだからね」
「なんですかそれ?」
驚きというか若干引いているような感じの美緒ちゃんだが、事実として姉貴の友達は必ず初めに言うのだ。〝星の近くに居ると、なんだか元気が吸い取られていくんだけど?〟そんな事を俺に聞かれても何と返していいか分からない。確かに姉貴の隣にいれば、こちらはかなり疲れる。でもそれはもうどうしようもないので、早く慣れてくれと言うしかない。ちなみに俺は二十五年経った今でも、まだ慣れていない。多分、金輪際慣れる事はないだろう。
「そういえば、美緒ちゃんはどうしてここに?」
「私ですか?今日の夕飯の買い出しと、ペットショップで用具でも見て行こうかなって」
「確かにここのペットショップ充実してたよね」
ふと、あのときの店員の声が蘇った。熱狂的すぎる今泉動物病院ファンの店員たち。彼らは確か、信頼されてるではなく愛されていると言っていたな。物凄い勢いで語り倒されたのを今でも鮮明に覚えている。あれはもうなんというかちょっと怖かったよ。小雪は寝てたから知らないだろうけど。そして、彼らが最も眼を輝かせた美緒ちゃんのメモ。あれは今、丁寧にかつ厳重に机の中にしまってある。そのうち額にでも入れて飾ろうかな、などと考えている。
「美緒ちゃんが書いてくれたメモのおかげで、滞りなく買い物が済んでよかったよ。改めて有難う」
「それは良かったです。書いたかいがあったものですね」
「それはそうと、あれ最後に次の受診日書いたでしょう?」
「あぁ、確かに書きましたね。それが何か?」
「いや日付がどうこうという訳ではないんだけどさ。あれの最後の言葉を訂正したいんだ」
「何か書きましたかね?」
本気で忘れている様子ではなく、とぼけているようで少しからかっているような口調で俺の言葉を確認する。訂正させてもらおうと、前に決めたんだったな。全無職さんの名誉を守るために、ここは一つバシッと言おうじゃないか。すうっと大きく息を吸い込む。
「世の無職が全員引き籠りってわけじゃないからね!?」
「いやでも、柏木さん基本引き籠ってません?」
「ぐぅ!」
俺の勇気が込められた一言は、あっさりと、軽やかに、美緒ちゃんに砕かれた。ごめん世の無職さん。俺、反論できないや。実際だらだらと家にいたもの。これで違うとか言っても、じゃあなにしてたんですかって聞かれておしまいだよ。本当にごめんよ。どうやら俺達は引き籠りなようだ。
「まぁ、別に引き籠っていようがどうでも良いんですけどね。小雪ちゃんと仲良くしてくれれば」
「それは安心していいよ。大分仲も深まったからさ」
「……確かに、以前よりも緊張が解けた感じがしますね。お互いにと言った感じですが」
「え、凄い。見ただけで分かるの?凄い凄い!」
まぁ、動物病院の娘ですからと、少し照れてしまったの小雪を撫でながら答える美緒ちゃん。現役女子高生と子猫が戯れる姿って絵になるなぁ。それにしても動物病院の子供ってみんな美緒ちゃんみたいに高スペックなのだろうか。だとしたら恐ろしい。
「おーい!りくー!」
聞こえない聞こえない。何も見えないし、誰もいない。別にちょっと姉貴に似ているだけだ。なんかよく分からに紙袋を両手いっぱいにぶら下げているあの人は、決して俺の姉貴ではない。
「あの人さっきから、こっちに手ふってますけど……?」
「あぁ、気にしなくていいよ?」
俺と小雪は同じように手を首を振る。奇遇だな小雪、お前も逃げる事を学んだのか。いいことだ。
「りくー!無視するなってー」
そう言いながらどたどたとこちら側え近づいてきた人は、やはり姉貴だった。うん、最初から分かってたよ。でもあんまり関係者だと思われたくないんだよ。だって周りの皆様、全員訝し気な表情で姉貴見てるんだもの。紙袋が邪魔すぎるのだ。周りの皆様ごめんなさい。
「いやー思いの外確保出来てよかったよ!あれ、そっちの子は知り合い?」
「買い過ぎだろ。あぁ、彼女は通ってる動物病院の娘さんなんだ」
「初めまして、今泉美緒です」
「美緒ちゃんか、初めまして。私は凛空の姉で柏木星。よろしくね!」
「なんかさっき言ってたの分かるかも……」
ほらね、美緒ちゃん。俺の言ったことは正しかっただろう?柏木星という生物は周りの元気で生きているんだよ。それから、莫大な食事もか。本当にあの異次元空間は恐ろしい。元気を奪うことよりも数千倍恐ろしいよ。
「さて、出会ってばかりで間もないですがすみません。ちょっと用があるので私はこれで」
「あ、うん!またね、美緒ちゃん。私も動物病院行くから、その時はよろしく!」
「何もすることないんですけど……」
では、と軽く一礼して去っていく美緒ちゃん。やばい、格好いい。垂れ眼が印象的な優しい女の子かと思ったけど、凄い格好いい。クールビューティーという単語がここまで似合う人を初めて見たよ。美緒ちゃん、学校でかなり男子人気高そうだなぁ。それに比べてこの姉貴はというと、余程満足したのか眩しすぎる笑み浮かべている。
「一体、何をそんなに買ったのさ」
「うん?えっと、服の福袋が二つとあとは、全部食べ物!」
「あぁ、何となくそんな気がしてたけどね?」
これでまぁ、もう少しは食材ももつだろう。俺が買いに行こうと言い出したのだが、姉貴が買ってきてくれたみたいだ。全部福袋だから不安も拭えないが、何とかなるだろう。野菜とかは実家から送られてきたのがまだあったような気がするし、例え変な食材が福袋から出てきたとしても応用はきくだろう。なによりこの人混みの中から食材を探し出して、吟味することなんて出来ないだろう。
「じゃ、そろそろ帰るか」
「そうだね!帰ってから楽しみ!」
そう言って、姉貴は洋服の福袋を高々と掲げる。何故二つも買ったのかと聞く前に、理由は分かってしまった。袋には、男性用と女性用とそれぞれ書いてあった。あぁ、これはまためんどくさくなりそうだ。帰ってからは開封の儀が始まるんだよ。そして姉貴の福袋ファッションショーだよ。福袋に入っている商品でいかに着飾れるかを、何故俺まで巻き込まれなければならないのか。小雪、帰ったらもっと騒がしくなるぞ。と視線で訴えれば、何か対策でもあるのかやたら得意げな顔で〝にゃふん!〟と返事、鼻を鳴らした。どんな策があるのかは知らないが、姉貴を対策するのは至難の業だという事だけは経験者として助言しておこう。