マリオは薔薇の肥やしにもならない
オソマツながら、俗に言う『ゲーム』、デジタルもののゲームに関しては全くのシロウトで。
それでも、『歴史』という点ではゲームのシーンは人生の端々に、そう、モノクロセピアな風景の中、極彩色の点々となっていくつか挟まっている、という感じでしょうか。
今はむかし。
近所の駄菓子屋で人だかりがしていたインベーダーゲーム、たいがい、遊ぶ金に不自由しない、ちょっと不良がかった青少年の指定席みたいなもんでした。
田舎の、場末のハナタラシたちは、その周りにおずおずと寄り集まっては、彼らの華麗なる活躍をぼおっと見守っていたものです。
アーケードゲームに踏み込む前には、まず、スレた叔母に連れられてパチンコ屋へ。
幼子の私に玉を拾っておいで、と咥え煙草の叔母が夢中だった時代、もちろん手動式でした。
次に大きな従姉妹に連れていってもらった観光地のカジノでは、メダルゲームに目覚めました。
プッシャーというのだったか、寄せては帰る波のような台にぎっしりと敷き詰められたコインに、手持ちのコインをうまく転がり落として押し出す、というアレですね、アレは夢に出るほど嵌りましたねえ。今でも、あの機械をみるとつい駆けよって遊んでしまい、周りからは「何が面白いんだ」と呆れられますが。
家庭用ゲーム機では、友人が小遣いはたいて買ったファミコンのスーパーマリオ(初代)、それを、彼女がかなり遊び倒して、それを脇から見たり順番にやらせてもらったりしていました。
そのうちにバグなのか故障なのか、画面が時々幾何学模様に化けるようになった頃、ようやく器械ごと貸してもらいました。
これもハマったなあ、毎晩毎晩、マリオ漬けでした。
しかし、腕前は最低だったので、第一面すらクリアできずに数ヶ月。
次々と穴に落ちていくマリオは、すでにわが部屋の床下に死骸となってみっちりと溜まり、饐え臭いにおいを発している、といったところまで。
その後には、別の友人宅に「本物に近いゴルフができる」というふれこみのTVゲームが入ったというので、わざわざ見に行きました。
本物、といっても、上空からみた地図のようなコースでゲームを楽しむ、といったものでしたね。
ゲーム名やゲーム機の種類すら覚えがないのですが、
「3打で上がれ、というのにどうして30も打たねばならないのだ」
と、友人とぶつくさ文句を垂れながらひたすら、ぼて、ぼて、と球をつないでいったのです、すると帰ってきた友人の弟が黙ってコントローラーを取り上げ、一言。
「Aボタンを押しながら、Bをこうやってさ……」
やって見せた複雑な操作で、何と今まで数ヤード単位で地を這っていたボールが、見事な飛跡を描いて青空に舞ったのですわ、私たちは口をあんぐり。
そりゃあ、ボタン一つしか使うことを知らない奴らは、いつまでたっても空なぞ飛べるわけはなく。
それから私は家に帰り、床下に溜まったマリオを掬ってバケツで庭まで運んだのですよ。
もうしばらく、ゲームなぞにうつつを抜かすまい、と誓いながら。
俗に言う「ゲーム」の黎明期に近いお話。
へえ、そんな時代もあったのね、程度にお聞き流し下されば。
お粗末さまでした。
おしまい