6.
『捕まってしまった』
『そうだね、パパ』
『手錠、フリッカとお揃いだね』
『最悪の気分だ、フリッカはこんな気分だったのか。今まですまんな』
フリッカは俺の傍に居てくれた。熱光学迷彩の中、認知視覚の外に逃れたフリッカは無事La Cosa Unioneに捕まらなかったわけである。正直予想通りと言うか何と言うか、念のためフリッカにシールド領域に隠れてもらってて正解であった。俺は最悪を予想して行動するタイプの人間だ。だからマフィアに捕まって監禁される可能性もしっかり考慮していたわけだ。
『あのサイボーグ、とても強かった』
『そうねパパ。あれは軍用サイボーグ『サイボーグ・パワード』っていうらしいの。どうやら大企業セラノコンツェルンが作ったサイボーグらしいけど、詳細は不明ね』
『そうか……』
未だに痛む体の節々。
既にある程度は自動回復が癒している。気を失っている間もオートランは健在で、気功術による自己活性、リジェネ魔術による組織の修復、および体内インプラントのマナ・ナノマテリアルによる薬治療を行なっていた。俺の折れていたはずの両腕は、今では僅かに繋がっている。安静にしておけば今日中にはしっかりくっついているだろうことだ。
俺は監禁されている現状を確認した。
部屋は狭いワンルーム。オールドファッションな鉄格子に囲まれた隔離施設。地下牢。部屋には床しかない。つまり何もない。部屋はグレーの壁に覆われている。遥か十メートル高くに窓がある。そこもまた鉄格子に覆われていて、換気口にしかなっていない。
つまり俺は脱出できない。普通なら。
『フリッカ。今から言うパスコードを入力してくれ。一時的にだが、ホワイトノイズ印加ジャミングシールが効力を無くす。運動制御デバイスも一旦管理者権限をフリッカに譲渡するはずだ』
『え?』
『フリッカは自由になる』
パスコード。
フリッカを一旦自由にする。それが俺の作戦だ。俺は今、鉄格子の中、しかも手錠をかけられている。手錠を破壊する手段は今現在、フリッカしかない。つまりフリッカに手錠を外して貰うのだ。問題は一つ、フリッカが魔法が使えないという点だ。
フリッカなら優れた魔法を持っているだろう。未来からきたフリッカ。魔工技師のフリッカ。そして次期赤の魔術師のフリッカ。俺の血を半分引き継いでおり、そして俺と同じぐらい魔術に造詣が深い。魔術適性の高さも俺が保証する。正直、俺の手にかけられている手錠なんか簡単に破壊できるだろう。
『フリッカなら、俺の手錠を破壊できるはずだ』
『……いいの?』
『いい。信じる』
『……』
信じる。
フリッカは確認してきた。フリッカの質問の意味はこうだ。一旦私を自由にしたら危ないよ、と。未来のテクノロジー、最先端以上の魔術デバイス、アプリランチャ群。俺を殺すのに余りある。一時的に俺がフリーにしたところで、そのフリーの間に俺を殺せば、彼女は永久的にフリーだ。そう、彼女は俺を殺す可能性があるのだ。暗殺者説、俺はその可能性を未だに拭うことはできていない。
だが俺は信じた。
『殺すなら殺せ』
『……殺さないよ、パパぁ』
また泣く。泣き虫の娘だ。本当に信じられないぐらい涙もろい。ちょろいし良く泣くし、不安だらけの娘だ。
『だから死なないで、ぇう』
『死なない、泣くな』
泣き声は認知齟齬魔術でカバーされている。彼女の細い唸り声は、全部当たり前だと処理される。違和感を覚えずにただのBGMとして処理される。彼女の声を知っている人間だけが、辛うじて彼女だと認識できる。今の俺は、彼女の声を辛うじて聞き取れていた。
だから、いくら彼女が泣いても、La Cosa Unioneにばれることはない。
泣いて欲しくないのは、ばれるとかそういう理由じゃない。娘に泣いて欲しくないだけだ。
『パスコードはFrederica。お前の名前だ』
『……パパぁっ』
『何でそこで泣く』
ぴーぴー泣きながら娘はパスコードを脳内ダッシュボードに入力したようだ。手錠が二つに分かれ、左右別々に動かせるようになった。同時にジャミングシールも効力を封印されているはず。今の間ならフリッカは自由だ。
効力はもって三時間。『延長申請は俺が許可を出したらできる。逐次申請して、俺の許可を待つように』と彼女の脳内アバターに話しかける。彼女は『うん』と元気良く頷いた。
『じゃあパパの手錠を外すね』
『ああ、頼む……いや、待て、誰か来た』
フリッカが俺の手錠に向けてピッキングデバイスを発動しようとした瞬間、何者かが俺のいる地下牢に近づいてくる気配がした。俺はプリセット魔術を三つ用意した。『え、パパ、ジャミングシール付き手錠のせいで魔術使えないんじゃ』『ホワイトノイズ印加ジャミングシールはこの時代のジャミングの基本的技術だが、マナ量を多く通してS/N比を大きくし、ローパスフィルタを通すことでほぼ無効化できる』『何それ格好いい!』『そもそも印加しているホワイトノイズがM系列って時点でアウト。手錠みたいなのに仕込むとしたら小型化しないといけないからって理由でM系列の擬似ホワイトノイズを乗せてるようじゃすぐクラックされる。これ豆知識な』とフリッカに自慢までしておく。使うならMersenne Twisterじゃなきゃ。
そういう話ではない。何者かが近付いてきたのだ。俺は少しだけ後ずさって身構えた。
初老の男と思しき人物が、秘書と黒服達を連れてやってきた。
「アカイアキラ君かね。ついてきたまえ」
「あんたは誰だ」
「私かね。人に名前を聞く前に自分から名乗るのが礼儀だろう?」
「いやあんたさっきアカイアキラ君かねって」
「違うな」
初老の男は睨み付けるような視線を投げつけた。
「お前はアカイアキラなんぞではない。小ネズミめ。たっぷり話を聞かせて貰うぞ」
「うるせえ狸ジジイめ、こっちだってたっぷり話を聞かせて貰うぞ。グランデ・パードレ」
「連れ出せ」
黒服軍団に短く指令を出すと、初老の男(恐らくはグランデ・パードレ)はこちらに背中を見せて堂々と歩き帰るのだった。
牢屋が開く。俺は黒服達につかまれて歩かされた。後ろをこっそりフリッカがついてきてくれている。
「まずは食事だ」
「これはこれは、豪華な食事をありがとうございますジジイ殿」
「私の腹が減っているだけだ。誰がお前なんぞに食わせるか。そこで指を咥えて待ってろ」
「趣味悪いな」
La Cosa Unione(連合のモノ)の首領、グランデ・パードレは目の前に鎮座していた。威風堂々の風格は、白スーツと髭が良く似合う紳士であった。同時に彼は、未だに衰えていない切れ物の容貌をしていた。オーラが違う。グランデ・パードレは本物のマフィア。目の前に座って対峙しているだけで分かる。
並べられたイタリア料理らしいフルコースを、ゆっくり手を付けている。くそ、見せつけやがって。普通に美味そう。
「私は腹が減った人間の目の前で食事を取るのが大好きでな」
「お前本当に趣味が悪いな」
突如ナイフが突きつけられた。秘書だ。隣から俺の言動を監視している。やりにくいことこの上ない。
「逆に嫌いなことは、嘘だ」
「嘘?」
「お前だ、アカイアキラ。……便箋を出せ」
秘書が胸元から便箋を取り出した。いちいちセクシーだ。見とれていたらフリッカに『見ちゃだめ、フリッカも今度やるから』と謎の誘惑を受けた。ぺったん子にできる芸当じゃないぞフリッカ。
便箋の中身は俺も良く知っている契約書だった。バーチャルファイターとしての契約書。La Cosa Unione社との個人契約。プロとしての給付と引き換えに、いくつかの守秘義務を守るために名前を書いて血印を押す契約。今更どうして。簡単だ、俺の偽造がばれたのだ。
俺はこの契約書に嘘の名前を書いた。よって契約を破っても俺に何の処罰もかからない。そのことがばれたのだ。
「お前は嘘をついた。よって我々はお前に処罰を下さねばならん」
「それが『バーチャルファイター』の剥奪か」
「お前はとてもよい偶像を作ってくれた。バーチャルファイター。社会の悪を裁くヒーローという偶像。ストリートファイトをして家族を守る一市民という偶像。その分かりやすいイメージは一般市民に迎合されたのだよ。実在するヒーローとしてな」
「何がいいたい」
「偶像があればお前に用はないということだ」
赤いワインに口を付けて、グランデ・パードレは不敵に笑む。
「お前は恐らく、朱の魔術師だ」
「は? いや全然違うんですけど」
「とぼけるな。ジウ=ジツ使いはお前と紫の魔術師ツキヒメしかおらん。それにお前は魔術にも優れておる。契約書の偽造など容易いレベルでな」
「こじつけ過ぎだろ」
「お前の見た目は奇抜だ。白いアルビノの癖に前髪二房ほどが黒色だ。目は血のような赤。その容貌は、噂に聞く朱の魔術師であろう」
「いやいや、目が見えてるかいおじいちゃん、俺は目はブラウン髪は黒だ」
「変装だろう?」
グランデ・パードレは全て知っているかのようであった。そう言えば俺は聞いた事がある。グランデ・パードレには目と剣がある、と。剣は有名な『殺し屋ハラール』だ。では目は何か。それは全く分からない。だがグランデ・パードレには目がある、ことだけは聞いている。
ふと秘書を見やった。微笑んだような気がした。何者だこいつ。俺は今更気付いた。この秘書が何者でもない何かだということに。ハイエルフのような白い肌、白い髪。アルビノではない、白い目。全てが真っ白であることに今更俺は気付いた。
謎の確信が湧きあがった。この女こそ『目』だと。
「……なるほど、いい『目』を持っているようだ」
「ふ、流石は朱の魔術師。観察人間と呼ばれるだけはある。とても良い目だよ。おかげで私は何でも見れる。それこそネズミの正体から帝王のベッドシーンまでな」
「認識魔術と幻影魔術のスペシャリストか。オブザーバにかけたところ俺の認識野がそっくりそのまま狂ってやがる。この手の小細工で出し抜かれたのは初めての経験だ」
「優秀だろう?」
ああ、優秀すぎて全てがパーだ。
もしかしたらフリッカの存在に気付いているかも知れないのだから。
『フリッカ、もしかしたらばれているぞ』
『ばれていないよ、大丈夫』
『どうしてだ?』
『白の教団の記録の天使エスリンにフリッカは見えないもの』
『エスリン……?』
『この女の名前』
記録の天使エスリン。思いがけず『目』の情報が手に入ったところで、俺は一瞬考える。白の教団は帝国中央にある宗教団体だ。教団とマフィアは一枚噛んでいるのだろうか。『それはない、エスリンは何処にでもいるだけだから安心して。多分マフィアに潜入しているだけだと思う』とフリッカは語ってくれた。何だそれ、何処にでもいるって量子かよ。
そうじゃない。本件はこっちだ。
「用件は何だ、グランデ・パードレ」
取りあえず本題はそこだ。この目の前の男グランデ・パードレは俺の正体に気がついた。俺をこの場に呼んで食事までしている。ならば何か目的があるはずだ。白の教団とかどうでもいい。多分。どっちかっていうと多分『金の天秤』のロスマンゴールドの方が関係有りそうな気がする。
確か『バーチャルファイター』がこの度映画化するんだっけ。監督も豪華、主題歌も豪華、俺のいない間に勝手に盛り上がってくれちゃってさ。んで、確か俺が急に邪魔になったんだっけ。だからこうやって捕まえて。あれ何で俺邪魔になったの?
「俺が邪魔になったというのはどうしてだ」
「無論、契約書に嘘を吐くような人間とビジネスは出来んというだけだ。裏切ったのはそっちだ、朱の魔術師」
「あ、はい、すみません」
あれ向こうの方が正論じゃね?
「それにそもそも、朱の魔術師とかいう犯罪者とは手を組めん」
「おいお前犯罪者のドン」
「我々La Cosa Unioneには信義がある。我々は政府だ。我々は国家だ。我々は人々を守り支える存在であり、父であり、ユニオーネだ。嘘はだめなのだ。我々はずっと、嘘を最大の悪徳としてきた。理由は簡単だ、嘘は信義を反故にする。嘘だけは、サザンマフィアに許されないのだ」
「そうか」
「嘘吐きとは手を組めんのだ。なあ、世界一の大ほら吹き、朱の魔術師」
『パパは嘘吐きじゃない!!』
突如脳裏に響くフリッカの声。よく仮想現実に留めた。現実に声を出していたらばれていたかもしれない。よくやった。
『パパは、本当のことを言っただけだもん! パパは本当のことを本当だと証明しようとしただけだもん! それを嘘にしたのは周りなのに! 嘘だって信じ込ませて!』
『フリッカ、落ち着け、ありがとう』
フリッカは俺の気持ちを代弁してくれた。それだけで俺は嬉しかった。俺は確かに、本当のことを本当だと証明しようとしただけだ。俺は場の量子の概念を説明しようとし、それで世の中の現象を紐解こうとしただけだ。俺の実験の結果を報告し、俺の推論した物理法則を書き記し、より一層の真実解明を信じて提出しただけだ。
その結果はこうだ。俺は魔術学会から追放された。魔術を否定するものとして。魔術学会に仇なす存在として。魔術学会に危険視、異端視されたのだ。
「嘘吐きですか。俺のことをそう思いますか」
「ああ。お前は世界最悪の犯罪者だ。二つも世界的な犯罪を犯している。そのうちの一つが、嘘を吐いたことだ」
「どちらにも覚えはない。まして俺も、嘘は大嫌いだ」
「そうか。契約書に嘘を書くような男が、嘘は嫌いか」
皮肉気に笑うグランデ・パードレに俺は何も言い返せなかった。