5.
「パパ、どうして急にカポエイラ習い始めたの?」
「バーチャルファイターのためだ」
娘フリッカは退屈そうに小型端末を弄っている。今やっているのは小型端末内のパズルゲームで、どうやら彼女がはまっている育成ゲームらしい。パズルを解いてモンスターに攻撃をし、上手くコンボが決まったら大ダメージ、そうやって敵を倒して仲間を揃える、という趣旨らしい。
俺はその横でカポエイラ・ダンスをオートランナーに覚えこませている。腿法の一種、蹴りや攻撃を当てるのは下手だとされ、単に相手を威嚇する格闘義である。ブレイクダンスにも通じるアクロバティックな動きは、ヘジョナウ派=Regional派の動きだ。同時に俺はAngola派の儀式的にゆったりしたカポエイラも並立して学んでいる。
ジンガの歩き、ケイシャーダ、アルマーダ、エリコーピテロ、フォーリャ、マルテーロ、ベンサォンの蹴り技。複数ある技を有機的に繋ぐには、まず一旦はオートランナーで型を覚えないといけない。そこから先は、どう繋ぐかをオートランナーを通じて何度も繰り返し試行し最適化を施すのみ。
俺は型を学びながら言った。
「俺は魔術を極めるつもりだが、そのためには肉弾戦最強のファンタズマを纏わないといけない。不敗のミソロジーは俺を確実に見放さない。俺にいつでも逆転の構図を与えてくれる」
「ふーん、そのための自己修練なのね。でもファンタズマを纏いたいだけなら、それはもうフリッカのネット小説だけで十分じゃない?」
「参照可能なテクストを増やすためだ。他の人の俺に対する認知バイアスを利用してもいいが、俺自身の俺に対する認知バイアスの方も強化した方がいい。俺はカポエイラが使える、という思い込みは一種のファンタズマだ」
俺は回し蹴りを再現して一息入れる。
俺の截拳道は速くて対人戦に特化した拳法だ、対人戦に特化しているためか他の格闘スタイルと親和性は悪くない、よって俺は複数の格闘スタイルを截拳道に組み込んで学ぶ、複数の格闘技をすぐに参照出来るように。
バーチャルファイターはバーチャルであってファントムではない。幻想のファイターではないのだ。事実上の、実際のファイターでなくてはならない。架空拡張世界と現実がごっちゃに混ざっているこの世界で、架空神話を身に纏いリアルに投影する存在にならなくてはならない。正にバーチャル。
「……パパ、死なないで」
こっそり呟いただろうフリッカの言葉が耳に残った。
「フリッカ、訓練終わったぞ」
「うん、じゃあ今日も共同開発だね」
「ああ」
今現在、俺は娘と一緒にアプリケーション開発をしていた。彼女も優れた魔工技師で、俺といい勝負をする。
というか彼女の方が未来から来ているので当然俺よりも色んな知識を持っているわけだ。俺の方がかなり勉強になる。
俺が幾らか魔工技師として経験が長い分その百日の長を生かしてなんとかしのいでいるという訳だ。別に競っている訳じゃないんだが、娘には負けたくない。
「忙しいのにごめんね」
「いやいい。連続して毎日見世物するよりは、一週間に一回の方が興行収入が期待出来るって説明したら、向こうも分かってくれたし」
「向こうって、La Cosa Unione?」
「そ、あのシチリアン・マフィアの優等生たちさ」
アプリケーション開発の間、バーチャルファイターはお休みだ。一週間に一回に変えた方が儲かることを向こうにも納得させることに成功した。つまり俺は週休六日制度で働いているのだ。凄いホワイト企業、マフィア万歳。給料は普通の民間人よりやや多めなので、本当に俺が恵まれていることが良く分かる。
ではその休みの六日、どう有効活用するべきかということで、アプリケーション開発、自己鍛錬、などに充てたほうが良い、という結論になったわけだ。意識の高い話である。普通に家でごろごろしたいが、「パパ頑張ろう?」と無邪気に言われては仕方ない。
「じゃあ今日はルミナスダンサーを改良しようよ」
「構わないが、改良する場所あるか? 俺はあの機能で十分以上に満足しているんだが」
「フォトングラフデータマップをベクトル記述できるようにしたら拡大してもジャギーな粗い画像にならないよ。後はね、フリッカは脳内でイメージした画像をそのまま出力出来るようにしたいなー」
「画像レイヤをwaifu2x処理すればいいだけだろ、てかベクトル記述は一応存在するし。それに脳内イメージを解析するのってそれ別問題で難しくね、ニューロサイエンスじゃねえか」
「そうじゃなくて、時変色相ベクトルの重ね合わせで表現したいの、今の奴じゃベクトル和で表記できないし」
「特徴量を解析するのじゃだめか? 何かそれで十分周りをビデオトリップできてる気がするんだが」
「だめ、もっと上を目指したいの」
フリッカに力説されては仕方ない。もはや改良するというよりは追加で新しいモジュールを組み込もう、というレベルだ。骨の折れる作業だなと思いながら俺は作業を進めた。
「そしたらパパ、死ぬ確率が減るから……」
「なあフリッカ、最近思うんだが」
「何?」
「お前、俺が死ぬかもしれないって恐怖に囚われすぎじゃないか」
フリッカのコーディングの手が止まった。部屋には俺が打鍵する音しか聞こえない。良く考えたらこの部屋、二人暮しにはちょっと広いかもしれない。ビジネスホテルを二人分で借りているものの、費用を抑えたいならどこかの借り家でも抑えた方がいいかもしれない。
フリッカの表情を覗きこんだ。無表情だった。
「俺はさ、人並み以上に武術を行使できる。人並み以上に魔術を行使できる。いくら俺が魔術師資格を剥奪されたからって、すぐそんな死にそうな目に遭うものかね。第一フリッカが『パパ死んじゃうかも』って思ったらその影響が出て俺が本当に死んじゃうかも」
「やめて!!」
「すまん」
「……ごめん」
突然声を荒げる娘に、俺は謝ることしか出来なかった。そういえばそうだ。この子は俺が殺されるところを実際に目の当たりにしているのだ。俺が死ぬかも、というコンセプトが頭にこびりついて仕方ないはずだ。俺は馬鹿なことを聞いたようだ。
やがてフリッカはぽつりと呟いた。
「もう既に、死ぬところだったんだから」
「え?」
「紫の魔術師。彼女は、パパを殺した一人よ」
「――」
一瞬呆けて息を呑んだ。
ヤマトツキヒメが俺を殺した。未来で。俺は想像した。彼女があの凍りつくような殺意をもって俺に差し迫り、俺を刀で撫で斬りにする瞬間を。成立すると思った。彼女なら出来る、俺を殺しかねないと。
想像をすぐにイジェクトした。記憶の破棄だ、感情制御アプリの一時凍結ファイルにドロップし、俺は一旦考える方向を変える。
つまり俺は彼女に殺されないように振る舞えばいいのだ。方策が大分見えやすくなった。つまり俺は彼女に何か将来不義理を働くらしいから、それさえしなかったら俺は死なないのだ。
「は、何だ、じゃあ俺、殺されないようにするの簡単かも」
「……フリッカもそう信じてる」
フリッカは力なさげだった。
それはそうだろう。俺もとっくに気付いていた。別にツキヒメに何もしなかったところで、無事ではないのだ。何者かがツキヒメに殺害依頼をする可能性があるのだ。
「じゃあ、俺がツキヒメより強くなればいい、か。そのための『バーチャルファイター』だな」
「うん……」
彼女の返事は何故か上の空だった。何かを考えているのだろか。もしかしたらそうなのだろう。
俺も考えることにした。フリッカはこう言った。俺を殺した一人。つまり俺は複数人に殺されるわけだ。俺は紫の魔術師ツキヒメよりもさらに、うんと強くならないといけないのだろうか。きっとその複数人もまた、一人一人が強いのだろう。俺はその全員をどうにか切り開かないと駄目なのだろうか。
俺には今現在、分からないことが一杯だった。彼女から分からないことを聞き出そうかと思った。だがきっとタイミングがあるのだと思った。だから今は開発に注力しようと、そう思った。
『もしもし、アカイアキラさんですか? 私です、マネージャーのエスリンです! 大変です、バーチャルファイターが乗っ取られました!』
La Cosa Unioneの下っ端から受け取った電話から衝撃的な事実を知らされたのは、開発が一段落してからであった。
乗っ取られた。何を言っているんだ。
俺は一瞬電話の内容が理解できなかった。しかし緊急事態であることはすぐに理解した。
アバター乗っ取りは、昔から良くある魔術師殺しの手口だ。騙りの手口、成り代わりの誕生。バーチャルファイターは有名になりすぎた。
乗っ取られないようにするにはどうすればいいか。これは魔術師の大きな課題である。難解なユニーク魔術を駆使することが主な対策。俺はそのつもりでルミナスダンサーを走らせ、半透明のマナマテリアルに身を包みジウ=ジツの肉弾戦で戦った。それを真似されたのだという。相当レベルの高い模倣者だ。
「乗っ取られた?」
『はい。現在公安のサイバー四課に確認を取ってますが、バーチャルファイターの正式な特許を抑えられてしまったみたいです。くそ、私達がサザンマフィアだからって舐めやがって!』
「特許が取られた? 誰に?」
『ロスマンゴールド(赤い成金)の野郎ですよ! あの金のフンコロガシどもめ! 金の天秤とか格好付けやがって!』
悪態が電話越しに聞こえてくる。俺はロスマンゴールドの名前を胸中で反芻していた。ロスマンゴールド、この世の大富豪の一人。Grande Padre、ビッグマネー、そしてロスマンゴールド。金満家であり、商人ギルド『金の天秤』の支配人にして砂漠の王。
赤い、とは彼の風貌のことだ。リッチーにして魔王。砂漠に生きる不死のアンデッド。そして卑俗なほどに金にがめつい砂漠の領主。
「乗っ取られたって、え、つまりどういうことだ?」
『あいつら、バーチャルファイターは俺達の物だとか言い出しやがったんですよ! 上等だってんだ、喧嘩を売るからには買ってやらぁ! 大親父(Grand Padre)の膝元で好きかってさせるかってんだ、クソコロガシどもめ!!』
「何だって?」
『あいつら、今度興行映画やるらしいですよ!? 俳優をいっぱい雇って、電子アイドル歌姫NAVIに主題歌を歌わせるみたいです! 監督はステファン・エピソードがやるらしいですしもう既に広告を貼りだしまくってて、『The Virtual Fighter -ep.1-』とか格好付けたタイトルで、もう、もう、悔しいですよ!!』
「詳しいなおい」
え、何それめっちゃ面白そう。それ見たい。ステファン・エピソードといえば戯曲作家、監督で、映画の巨匠の一人だ。歌姫NAVIはサイバーアイドルの一人で、テクノボイスにポップロックなBGMが正に電子ドラッグ的調和を成していて今世間を湧かせているアーティストの一人だ。しかもep.1ってつまり続編作成まで決まっているってことじゃん。それすげえ面白そう。
なんてことを思いながら受話器を握り締めていると、電話越しに涙声が聞こえてくる。あ、そうか、この人悔しいんだっけ?
「ご愁傷様です」
『何でそんなに他人事なんですか!! いいですか、今日中にうちのところに来てください!! これはもう金融戦争物ですよ! あいつらロスマンゴールドの野郎をぶっ潰してやりましょう!』
「え、今日中? え、マジで」
『来て下さいよアカイアキラさん! 待ってますから!』
はあ、了解、と余り気乗りしないことを電話越しに匂わせつつ、通話を切った。
でもLa Cosa Unioneか、あの会社、というかマフィア、油断ならないというのが俺の見解である。全員スーツ姿でぱりっとした社風、しかし実態は紳士マフィアの集まり。公共ビジネスを担当している奴らで、前も言ったが酒と鶏肉を売っていたり、それだけじゃなく色々手広く事業を広げている奴らだ。スラム地区の電力とか水道とかにも手を出していてスラム地区の一般市民の生活を全て掌握していると言ってもいい程だ。
会いに行くのか、あまり気乗りしない。
「フリッカ、というわけで会いにいこう」
「……乗っ取られた?」
「フリッカ?」
フリッカに声をかけてみる。しかし彼女の返事は来なかった。むしろまた顔を青褪めさせていて、呆けていた。いやむしろ顔色を失っているという方が正しいか。彼女は目の前の現実が理解できないかのように、うわごとの様に「乗っ取られた、乗っ取られた」と呟くばかりであった。
ちょっと怖い。
「なあ、フリッカ」
「……そんな、馬鹿な」
ぺたり、と座りこむフリッカ。ショックなのだろう。
まあそれは当然かもしれない。何故なら、彼女こそ『バーチャルファイター』の産みの親なのだから。彼女の作ったストーリーが、他の人に取られるだなんて、彼女は耐えがたいのかもしれない。今までの苦労は、とかそういう喪失感に打ちのめされているに違いない。
俺も良く分かる。俺だって、朱の魔術師の号を剥奪されて、魔術まで使いにくくなって、その仕打ちには正直泣きそうだった。フリッカも今、彼女のものを取り上げられて悔しい気持ちでいっぱいなのだろう。
「フリッカ、取り戻そう。絶対取り戻そう」
「……パパぁ」
娘を抱きしめる。泣きじゃくる娘をなだめて、俺は決意する。絶対取り戻すと。バーチャルファイターは俺のものだ、そして他ならない、フリッカの物だ。
奪った奴に天誅を。
「行くぞ、La Cosa Unioneに」
「……うん」
結論から言おう。
La Cosa Unioneは俺達を捕まえて監禁した。
奴らのシナリオはこうだ、『バーチャルファイター』を一大興業コンテンツとして取り扱い、ロスマンゴールドと手を結んでビッグビジネスにすると。そのためには俺が邪魔だったと。なので、電話で「悔しいでしょ、一緒に敵討ちしましょう!」と誘い出して、俺を監禁したと。
何ということだ。俺は捕まった。