12.
既に戦いの趨勢は殆ど決していた。
朱の魔術師一人相手に六人の極彩色と一人の特位魔術師で手こずった、という構図が嫌というほど固定化されてしまっており、俺の評判と魔力は鰻登りであった。
種を明かすと、俺は先程までの戦いをリアルタイムでネット中継していたのだ。
俺一人が大立ち回りをして敵七名を撹乱し、最後は自爆するも敵に甚大な被害を与えるという一連の動画。
一対七なら、向こうの一人当たりのダメージも七分の一に細分されていないとおかしいものだが、どう考えても俺一人の死なんかでは、向こうのダメージを足し合わせたものに釣り合っていない――ように見える。
要は、俺が一人の割りに上手いことやったように見えるのである。
これが功を成した。
視聴者たちは「朱の魔術師一人相手に必死かよ」「一対七でここまで粘られるとかあいつら雑魚じゃん」「いや強かったんじゃね、そこそこ」「片手落ちだな」「弱くはないけど微妙」「マジレスすると、恐らく朱の魔術師が一人だけだから、上手いこと局所的に一対一に持ち込まれていい勝負になったんだと思う。けど数の優位を活かせてない時点で無能感は否めない」「はいはいさす科学さす科学」などと勝手なことを呟いている。
おかげで、恐れ多くも一種の認識が生まれた。
それは「朱の魔術師は、一対一ならば彼らを凌駕していたのではないか」というものだ。
NiceNice動画の再生回数もどんどんと伸び、「【俺だけで】極彩色六名と特位魔術師一名vs朱の魔術師【戦ってみた】」というベタなタイトルの動画が一〇万再生を突破した。
その動画がTweeterなどに紹介されてbazzってしまい、ツイートは3000ふぁぼを突破、NiceNice動画も二万Niceを達成し、一大祭りとなっていた。
人々は楽しんでいた。
朱の魔術師が一人で戦った時は、「最高にアホ」「カミカゼアタックww」「体張り過ぎ、Yourtuberかよ」「歌姫NAVIちゃあああああん」「せやで」「いいぞもっとやれ」「あれアへ顔天使じゃね?」「朱ニキ強いやんけ! ※なお」「エロ博士エロはよ」「紫の魔術師くっそ速過ぎなんじゃが」「返り討ちにあってるじゃねーか」「Niceのために命を張る男」「蒼「ポロリもあるよ!」」「これは流石にさす科学できない」「フリッカたん可愛いよ」「朱「腕ポロリ」」「フルボッコ過ぎる」などと弾幕を書き散らしてはしゃぐ。
しかし、人々はどこか信じていたようでもあった。
あの朱の魔術師ならば何とかしてくれる、と。
しかしてそれは現実となった。
「増えた」「( ゜д゜)」「超展開」「何ぞこれ」「増えるワカメww」「ギャグかよ」「あかん」「解析班はよ」「頭真っ白になった」「ファッ!?」「クッソワロタ」「俺だけで(一人とは言ってない)」「こら敵もぶちギレですわ」「増えるタグ理解」「筒井康隆かよ」「こっち見んな」「一人なら勝てないお…… → 閃いた」「さす科学」「朱ニキいいいいいいいい!」「終わったな」「エエエエエエエ」「( ゜д゜ )」「解析したけど全部本物っぽい」「電車で見てたから変な声出てしまった」「増え過ぎ」「なるほど分からん」「だからこっち見んなよww」
人々は歓喜した。
冗談みたいな光景が現実となっていることを、心から楽しんでいた。
朱の魔術師が勝利する。
しかも常識をあざ笑うが如くとんでもない方法で。
そして、人々はこう思うのだ。「これはこういう戦いなのだ」と――。
集団での戦いと個々の戦いは全くもって意味が異なる。
俺がたとえ数の優位を築き上げたからとはいえ、安直に数で殴ればいいというほど、極彩色魔術師たちは甘くはないだろう。
故に、俺は切り札という切り札を次々と披露する。
「――人工衛星を太陽光エネルギープラントとして個人保有している俺にエネルギー枯渇問題は存在しない」
「人工衛星によりGPS通信機能、衛星放送機能、その他ネットワークサーバー機能を支援して、滑らかなNice生放送を全世界に同時発信できるのだ!」
「そしてマナを電波として送信し、受信アンテナでマナに変換すれば、人工衛星で太陽光発電したエネルギーをマナとして獲得することも可能!」
「計算リソースが足りなくなったら人工衛星に任せればいいしな!」
「ちなみに、この人工衛星は自発的に増殖する!」
「流石俺! エネルギー資源問題を俺一人で解決してしまった!」
自画自賛による相互礼讃。
それは自分の能力を底上げするバフ魔術として働く。
魔術師の修行の一つに『己に自信を持ち己を確固たるものとせよ』というものがあるが、それを俺は俺同士で実現させていた。
「更にビットコインを大量保有する俺は為替相場にも影響を持ち、全世界の経済の約四〇%に干渉することが可能!」
「全世界の資産の九八%はそっちにあると思ったか? 残念! お前らは仮想通貨を計算してなかったのさ!」
「そもそも仮想通貨システムは、計算リソースを膨大に保有する俺が不労所得を得るためだけに作り上げた経済システム!」
「計算機科学や計算知能の知識を備えながら、複数人分の脳処理能力を保有する俺が、仮想通貨のシステムの覇者になることは最早必然――!」
「ちなみに通貨を俺に両替することで節税にもなる! 人間に税金は課税されないからな!」
太陽光発電により生まれた世界にクリーンな俺。
仮想通貨の運用で生まれた金融価値のある俺。
「たった一人の俺に手こずるお前らに、一〇〇〇人の俺を捌くなど不可能!」
「こうしている間にも為替取引で資金を稼いで俺は次々と増えていくぞ?」
「インフレもデフレも俺が増えるチャンス」
「物価の安い所で俺を買って高い所で俺を売れば差額が儲かるからな」
ぞくぞくと増え続ける俺は、更なる計算リソースとして俺の増殖速度を増やしていた。
因みに「通貨を俺に両替」発言がネットでは受けたらしく、恐ろしい勢いでツイートにふぁぼが付いていた。
「――は! 切り札をそんなに次から次へと切って! いつか弾切れするでありますよ、マイマスター!」
「何でお前そんな嬉しそうな顔してんの」
「お前はやっぱり、マイマスターでありました! ――なればこそ不肖私、歌姫NAVIが全身全霊でマイマスターを逮捕するであります!」
にたり、と恐ろしい笑顔を浮かべながら俺に向けてアストラルハッキングを仕掛けてくる歌姫NAVI。
やはり公安委員会のサーバーに後方支援を受けているだけはある。恐ろしいまでの解析速度とクラッキング能力の高さには辟易するしかない。
正直これには勝てない。
人間の脳が人工知能に処理能力で勝とうだなんて土台無理なのだ。
――しかし、それは一人で立ち向かえばの話である。
「これが歌姫NAVIたんにクラッキングされる感覚です」
俺はTweeter、NiceNice動画、Yourtubeなどのネットコンテンツにその感覚をアップロードした。
視聴者連動型コンテンツの有効活用。
魔術的ダメージの外部委託。
一回あたりの再生では人体にダメージが発生しない程度に呪術を分割して弱める。
果たして早速効果はあった。
「ああ^~ 脳がぴょんぴょんするんじゃあ^~」
「鳥肌注意」
「らめぇぇぇぇぇおかしくなりゅぅぅぅぅ!!」
「癖になる」
「誰得」
「たまらん」
「お気に入り登録した」
「ついつい再生しちゃう」
歌姫NAVIに直接脳みそをクラックされたいという需要は、どうやら多数存在するらしい。
彼らが喜んで俺への魔術的攻撃を引き受けてくれるため、当事者の俺は無傷である。
魔術のダメージを肩代わりしてもらうこと、それが今回の俺の秘策であった。
俺のSNS投稿による拡散効果のためか、ちょっとだけ、一回ぐらい、と好奇心でクリックしてくれる人も現れだした。
逆に業が深い人間たちは、もはや【歌姫NAVIたんに脳みそ掻き回され隊】なるコミュニティまで作り上げている始末。
逆に歌姫NAVIのクラック速度が需要に追い付いてないという有り様であった。
「な、な!?」
「そのまま干上がるまでクラックしてな!」
そのまま、視聴者の「もっとNAVIたんと繋がってたい」という願望を魔術として投影し、歌姫NAVIのコマンドプロセッサにwhileループを書き込む。
「ひぎゃああ!?」と変な声を上げながらも彼女は俺へのクラッキングを停止することが不可能となってしまったわけである。
停止条件は視聴者がいなくなるまで。
「き、鬼畜でありますッ!」と歌姫NAVIが半泣きになっていたが知ったことではない。
口答えする暇があれば、視聴者に絶えずコンテンツを供給して俺にふぁぼやNice!を提供してくれという話である。
それにしても敵を利用して自分のNice!を稼ぐのは、中々他では得がたい快感である。
「パパっ」
僅かな隙を突いて、フリッカが叫んだ。
同時にフリッカの声に気付いた蒼の魔術師が、再び彼女の声を封印しようと手を動かした――しかし遅い。
俺はその瞬間、有機的な一斉同時攻撃を魔術師たちに浴びせかけて、狭隘な一寸の道を作った。
穴が出来た。
それだけが、俺にとって全てであった。
一度穿てば事足りる、何故なら穴を通せば広げることは瑣事なのだから――。
「フリッカ!」
俺は叫んで走った。
続いて押しかける軍勢の大雪崩。
フリッカと合流させてはまずいと判断した魔術師たちは、目の前の脅威とフリッカを渡すことを天秤にかけ、――刹那ばかりの逡巡の後に、朱の魔術師たちを迎え撃つことに決めたらしい。
白の魔術師エスリンのみが、フリッカを抱えて逃亡しようとしている。
他の魔術師はその時間稼ぎという様子だ。
小癪な真似を、と俺は吼えた。
だからこそ彼らは気付けなかったのだろう、――俺が既にフリッカの奪還に成功していることに。
白の魔術師の側頭部に、痛烈なまでの回し蹴りが突き刺さった。
「な――!?」という短い声はその場で途切れる。
透明の一撃に、彼女はなす術もなく吹き飛び、地を跳ね壁に叩きつけられた。
ツキヒメから散々味わってついに盗み取った、マスター・クロオビの一撃必殺。
若しくは、俺がフリッカを守るために自分で学んだ、カポエイラの奥義の真骨頂。
俺は透明化を解いて姿を現した。
「そうさ、自爆攻撃は目晦ましの布石だったのさ――!」
背後に突如現れた朱の魔術師に、魔術師全員が言葉を失っていた。
「パパっ、パパっ!」
「そうさ、俺さ! 俺がパパさ! 娘の危機とあらばどこでも駆けつける世界最強のヒーロー、アルフレートとはこの俺のことだ!」
俺は堂々と宣告する。
これで、状況は挟み撃ちになった。
極彩色の魔術師たちは背後の俺とフリッカ、前方の俺たち相手に苦しい二面攻撃を強いられることとなった。
「――さあ、まだまだ行くぜ!」
俺の猛攻はまだまだ終わらない。
たくさんの罵詈雑言を相手に向けて発し、呪いを振りまくのである。
曰く。
「白の魔術師はどスケベボディ」「紫の魔術師は厨二病」「蒼の魔術師はメンヘラ」「緑の魔術師はロスマンゴールドのジジイより年上」「黄金の魔術師はロボ娘萌え」「橙の魔術師は少女趣味」
等々。
悪口、誹謗中傷は全て呪文になる。相手の印象を操作することで、相手そのものを改変して作用するのである。
相手の身に纏う雰囲気、イメージ、アイデンティティ、等々にマイナスの要素を付加させていくのだ。
効果は目に見えて表れた。
相手の魔術的権威が失墜し、「神秘性」「畏怖」「厳かさ」などの魔力的なオーラが弱まっていくのだった。
「怒りをアウトソーシングして代理説教するという完全外注呪術攻撃! 俺は何の魔術的コストを支払うこともなく、ただ呪詛を吐くことが出来る!」
「視聴者のニーズを満たすことでNice!の数も同時に稼げる!」
俺たちは呼応するように鬨の声を上げた。
視聴者はここぞとばかりに鬱憤を晴らしてくる。やれ蒼の魔術師は下品だ、やれ黄金の魔術師はエロジジイだ、などなど抱えた愚痴を動画を通じて俺に返してくるのだ。
人々は、これはそういう戦いなのだ、と楽しみながら俺に魔力と呪文を提供してくれる。
それを俺は口にする。
それだけで相手を呪う罵詈雑言を、何のコストもなしに連射できるのだ。
これには相手も堪るまい。
「誰が厨二病でござるかな? ――討ち取り御免」
笑うなり、疾風怒濤、迅雷風烈、疾風よりも速く走るツキヒメは、一瞬にして孤立した俺の眼前に現れた。
一人の方が多勢より廃しやすいと踏んだらしい。正解である。
隣でフリッカが顔を蒼くさせていた。
咄嗟にフリッカを背中で庇う。
遮二無二に剣が踊り、痛みが縦横無尽に背中に走った。
――そして俺に嵌められる。
振り向き「Ippon!」と叫んで胸を鷲掴みにする。Ippon!コールは必中の因果操作、たとえ今俺がバーチャルファイター形態じゃないとはいえ、唱えれば攻撃を当てることなど造作もない。
着物の中に手を突っ込むことなど、オートランの自動制御を以ってすれば瑣末なこと。
「!?」と間抜けな顔をしたツキヒメが目の前にいた。
今に思い知れ、気功術の一撃を。
「ふぁああっ!?」
叫ぶツキヒメは、哀れ俺の気功術の餌食となっていた。鷲掴みにした胸に乾坤一擲の気功、これぞ俺の新たなる戦闘スタイル。
効果は既に白の魔術師エスリンで実証済みだ。シミュレーションを重ねて改良したため、効果もあのときの比ではない。
この絶好の光景を見逃すほどの俺ではない、早速ネット上に感覚がアップロードされる。
「gj」「ふわふわ」「ありがとうございます」「神かよ」「THX Crimson-SENPAI!!!! :)」「さす科学」「俺達の朱の魔術師がまたやってくれた」「ちょっと待ってノーブラ?」「保存した」「これはいいものだ」「最高」「中ぐらいなのにこれは中々」「朱の魔術師▲」
怒涛のNiceとふぁぼ。急激に伸びる再生数。
アストラルネットの光を駆け巡り、繰り返し再生され続ける俺の呪術的攻撃。
その回数こそが俺の連続攻撃の真骨頂。このたった一撃が、ツキヒメにとっては一〇万倍になって襲い掛かる。
「お、おのれっ!」
半泣きの様相であったが俺の知ったことではない。今もなお続く魔術的攻撃の連鎖に恨み千万といったところか、ツキヒメは気炎を吐いてなおも俺に襲い掛かろうとしていた。
しかし頬は高潮しているし時々身を捩じらせるしで、彼女は全く本調子でなさそうである。
「――俺! フリッカを頼む!」
斬り伏せられながらも、俺は新たな俺へ――またもや魔術師たちの背後に透明化させた俺を忍ばせていたのだ――フリッカを任せていた。
悲しそうな顔が俺を見ていた。
気にするなよ、ほら、時間稼ぎは得意なんだ。
背中に新しく走った衝撃は、俺の意識を混濁させるのに十分な太刀一閃であった。
「パパっ、パパぁっ!」
「行くぞフリッカ!」
俺は泣き顔のフリッカを抱えて、素早く走った。
俺の仕事はここから素早く脱することである。
その任務は極めて重要で、そして失敗は許されない。
手短に、背後の俺たちにサムズアップで合図を送った。
大丈夫だ、任せろ、と。
そして、俺はそれを受け止めた。
ならば俺たちが戦うべきは、残りの魔術師たちだ。
俺は俺たちと示し合わせて、後ろの俺たちと連携を取って前へと歩み寄る。
俺と俺による堅牢な包囲網、俺俺フォーメーションがその姿を現した。
「――ねえ、さっきからこちらに掛かってくる呪いが指数的に増大している気がするんだけど! どういうことよ、ナジャ!?」
「分からない! きっと魔術を繰り返し重ねがけされているんだ! 一つ一つはたいした効果がなくても、積み重なればボクとて無視できない! 君の専門分野じゃないのか、カークウッド!」
「そうよ、演出は私の専門! ――だけど! でも、これは、数が!」
額に汗を滲ませながら何とか戦線を維持しようと号令を繰り出す緑の魔術師と、無数の音符を指揮しながらも悲鳴を上げる蒼の魔術師。
彼女達もよく奮闘していた。
魔獣を四方八方に走らせて有機的に連携を組んで、楽曲と幾何図形と極彩色の補助魔術で彼等を強化しながら、それでようやく戦いが成立している。
それを、俺たちは押し返す。
やたらめったら数に任せて、破竹の勢いでぶつかる。
一人一人が極彩色級魔術師、しかも極彩色の理の六色最上位の赤を冠する。たとえ号を剥奪されたとしても、力絶大なること疑う余地もなし。
「――動画のリプレイ機能だと!?」
このからくりを、橙の魔術師が看破した。
「そうだ! このリアルタイムで配信している動画、実は別ウィンドウでリプレイ再生が可能となっている! さながら、お前の魔術的権威を貶める呪詛をループ再生させているに等しい!」
「何でこんなクソ動画が再生回数トップなのよ!」
「俺のステマによってランキング一位だからな! 視聴者はランキングに弱い!」
蒼の魔術師の悲鳴に、俺はこの上ない愉悦を感じた。
優位ここに極まれり。
いかに極彩色六人といえど、一〇〇〇の俺に叶うはずもなし。
残念だな、と俺は微笑んだ。
「――かつて人類が凄さ、恐ろしさを数字で証明してきたのと同じように、数字もまた逆に凄さ、恐ろしさを証明する指標となってしまった」
「つまりサーバーをクラックしてランキングや再生回数を操作すれば、それだけで俺は『凄いNice生主』と認識され信仰されることとなる」
「今や俺は二〇〇〇を超え、三〇〇〇に手が届こうとしている」
「再生回数は四〇万に上り、いまや俺は擬似的な『神』となっている」
「宗教における宗主への信仰プロトコルを次世代風にアレンジしたものがこれだ」
神降ろしの秘術。偉大なる魂との交流。
俺のコンテンツは、もはや大いなるうねりとなって時代を創出していた。
視聴する人々は強く願った。俺が、俺こそが朱の魔術師だと。
それは凡そが邪な願望――朱の魔術師に代わって自分が脳みそ掻き回されたい胸を触りたい――であったが、一体型コンテンツは時に場所と時間の壁を越える。
認識が同一化された。
存在が多数によって共有された。
朱の魔術師という存在は、この瞬間だけ、一つの符号、一つの情報物体、一つの仮想世界となった。
俺は世界をこう思いこう感じた。
その体験が幾万をも超える人々と共有されて追体験されたとき。
世界は、その幾万の人にとってそう在るのだ。
「こやつ、扇動するか! ええい、ならばワシが!」
それはさながら、一種の仮想世界を幾万の人に提供することに等しい。
幾万の人に支持される万能感、多幸感、そして漲る活力と勝利の予感が、視聴者たちにフィードバックされて、さらなる循環を生み出した。
この身を神に近づけさせながら、神体験を視聴者に追体験させることで更に、信仰の力を強めていく。
即ち、これだけ力が漲っているんだから負けるはずがない、という確信をより強固にさせていくのだ。
願いが本当になる世界で、信じる力は魔力である。
俺はその中心に、絶対的な覇者然として天地刮目せよと言わんばかりに立っていた。
「――このワシが、突貫するしかないようじゃなッ!」
刹那、重力衝撃波発生ハンマーを携えた機械鎧が、意気揚々と前線に飛び足してきた。
黄金の魔術師ジョゼット。
老境に入ってなお苛烈。かの魔術師の表情には、一切の緩みも油断もない。
「発動承認! セーフティデバイス、パージ! ――ハンマーコネクト! 行くぞ小僧ッ!」と言うや否や、背後のブースターで加速し、俺の一団へと肉薄する。
その速度、音速を超えてもはや脅威。
圧倒的な質量が俺を押しつぶさんと差し迫っていた。
「アルテマエンジン稼動! 最大火力! ――光にッ なれぇぇぇえええええええええッ!!」
重力衝撃波発生ハンマーが唸りを上げて俺を叩いた。
瞬間、俺は燐光に包まれ、世界が爆ぜた。
歪められた重力場が、俺の周囲の空間を湾曲する。
極端な立ち上がり強度を持つ重力波面が俺にそのまま叩き付けられ、俺の体は湾曲した空間の中を光速で落下することとなる。
重力場と通常空間とでグリッドスケーリングが大きく変化したその空間で、重力場において擬似的に俺は光の速度を超越し、俺は、その超加速に耐え切れず、光子レベルまでに分解されていく。
鋼鉄粉砕の勇者の一撃。
否、理論上質量を持つ全ての物質を光に転換させてしまう凶悪な最終兵器。
俺は、周囲の俺を巻き添えにして、目を焚き身を焦がすほどの大規模な光に転じて、周囲を再び吹き飛ばしてしまった。
「――ぐッ!?」
――反動が大きかったのは、果たして黄金の魔術師のほうであった。
俺は相変わらず増え続けている。
むしろジョゼットの本気の一撃ですら、視聴者を満足させるための一コンテンツとしてアストラルネット上に提供されて、俺の魔力へと転化していた。
一方、至近距離から爆風を浴びたジョゼットは深刻な状態にあった。
黄金の鎧が半分ほど壊れて、表面が溶けてさえある。
当然、中身も無事ではないはずだ。
彼は煙を吐きながら「……やるわい、朱の魔術師め」と悪態を吐いていた。
なお優位、なお圧倒。
これこそが数の最大の威武。
恐らく今の一撃が、運否天賦の大一番であったのだろう。
黄金の魔術師ジョゼットは片膝をついて荒い息を吐いていた。
紫の魔術師ツキヒメも顔色が悪い――やや赤みを帯びているが表情は苦々しげであった。
白の魔術師エスリンはいつ介入すべきか機を窺って手をこまねいている。
緑の魔術師ナジャも、蒼の魔術師カークウッドも、同様に今の状況を維持し続けることしか出来ていない。
歌姫NAVIはもはや機能しておらず、逆に俺に魔力を供給し続けるだけの存在にすら成り下がっていた。
間もなく訪れるだろう顛末は、もはや誰の目にも明白であった。
「――弟子よ。そうか、そうなのか」
橙の魔術師ジャハーンが真顔になったのはまさしくそんな時、事の勝敗も既に決して声も勝機も枯れ切ったかと思われるような状況の最中であった。
その瞳には、覚悟が窶されていた。
「お前にはどうやら、本気で極彩色同士の争いを引き起こす覚悟があるようだな。……いや、もはやそれしか考えていなかったというべきか……!」
ならば、という言葉は消えた。
――進退窮まり命脈絶えて、我が心意気なお折れず。天に賜る大死一番、命尽くして火を灯す。
そんな意味の梵字呪文が、ジャハーンの背中に蓮華の花の如く展開する。
魔力が怪しく白めき、天界の乳海のように濃密に敷き詰まって場を支配した。
曼荼羅が展開して、視覚的、象徴的にヴェーダ聖典を描写しながら、讃歌、歌詞、祭詞、呪詞を発散させる。
蜘蛛の巣のように散らばった梵字呪文は、六道を象徴する鎖となって、全てを一直線に貫き通した。
やがて、文字は腕になる。
肩から残り四本の腕を生やしたジャハーンは、それぞれの腕に鎖を一本ずつ巻き付けて梵字を刻み込み、阿修羅が如く六本腕の威容を誇った。
太陽十字を意味する卐が額に浮かんだ。続いてサハスラーラの千の眼のシンボルがそれを包み、あまねく千世界に太陽を与えた。
六つのチャクラが順番に解放される。
根を支える大地、
我が住処の水、
宝珠都市の火、
神秘の音の風、
清浄なる輪の虚空、
教勅の意思。
ジャハーンの脊髄を縦一閃に貫く力の奔流が、世界と彼を強力なまでに結びつけ、ついに一体の大いなる力となって絡み合った。
やがてそこにいるのは阿修羅であった。
目の奥の焦がれるような眩い光をその身に携え、全てを黄丹の色/皇太子の色/日の出の色に染め上げながら、燃えるような輝きでその場を制している。
その雄姿、まさしく威風堂々。
言理の妖精語りて曰く。
――彼こそ、太陽の阿修羅王ヴィローチャナ。
――彼こそ、失われた帝国の次代皇帝。
――そして彼こそ、金獅子の頭を持つ太陽の魔術師。
「さあ、改めてこの場に宣名しよう! 我が名はジャハーン。太陽王ジャハーン・アフタブ! 世界の太陽を名に冠するものなり!」
怒号がその空気を席巻した。遍く大地を砕き割らんとするような咆哮であった。
橙の魔術師ジャハーン・アフタブは、この日この地に君臨した。
「……力が、欲しい」
そしてかすかな声が、それに抗った。
その声は、地に転がる焼け細った亡骸の必死の声だった。
「何にも屈さない、誰にも負けない、そんな無敵のファンタズマが――フリッカを守るための力が欲しい!」
力の契約、ついにその時が満ちたのだ。
朱の魔術師たちの顔に喜色が浮かび、間に合ったのだと叫んだ。
視聴者は皆、ああこのための伏線だったのか、と合点が言って歓声を上げた。
様々な思いの渦の中心で、その契約はようやく取り交わされた。
「その願い、しかと聞き届けた! さあ、その名を口に出せ。お前は、そう――」
亡骸に力が集まっていく。
無敵のファンタズマと魔力がそこに形を作り上げていく。
それはとある少女が願った夢と、とある男が振り絞った勇気の集約と象徴である。
言理の妖精語りて曰く。
――突如帝国中央区のスラムに現れた、異次元級の強さをもつストリートファイター。
――使う体術は古風なジウ=ジツと截拳道。
――戦う目的は愛と家族。
吹き荒れる魔力が渦巻いて、新たなる命の生誕を予感させた。
その場にいた皆は、言葉を思わず呑んでかの者の姿を眼窩に入れた。
その名も。
「――世界でたった一人の無敵のヒーロー・バーチャルファイターなのだ!」
宣名がなされる。
「――CAST ON!!!」
力強い叫びが木霊する。
凄まじい魔力の奔流が、その発光外装を作り上げてかの者をヒーローに変えた。
言理の妖精語りて曰く。
告がれるその名は、バーチャル・ファイター。
状況は、ますますの混迷を呈していた。